6年目 第1話「去る選手、加わる選手」
京南FCが創設されて、六年目。
今年から、いよいよ京都府リーグ一部で戦うことになる。
六部から始まったクラブが、ついに府リーグの頂点を目指すところまで来た。
もっとも、一部で優勝したからといって、すぐに地域リーグへ昇格できるわけではない。
その先には、各府県の代表が集まる昇格大会が待っている。
これまでのように、リーグ戦を勝ち抜けば昇格、という単純な話ではなくなった。
それでも、ここまで五年連続で昇格してきたのだ。
六年目も、その流れを止めるつもりはない。
そんな新しいシーズンを迎える準備を進めていたある日、一人の選手から相談を受けた。
渡部だった。
「社長、少しお時間いただけますか」
「もちろん。どうした?」
会議室に入ってきた渡部は、いつもより少し緊張した様子だった。
「実は、洛南FCから声をかけていただいていまして」
「洛南FC?」
思わず聞き返した。
地域リーグ一部に所属するクラブだ。京南FCより二つ上のカテゴリーにいる。
同じ京都でプロを目指すクラブとして、京南の一歩も二歩も先に進んでいるチームだ。
今まで幸いにしてか、不幸か、全社やエンペラーカップの予選でも当たっていない。
「はい。洛南に来ないかと誘われています」
「それは……すごいじゃないか」
まず出てきたのは、素直な驚きだった。
渡部は長谷川や田中たちと一緒に京南FCの栄えある第一期生の選手だ。
しかし、最近は板垣の台頭もあり、出場機会が限られている。
控えになっても練習には真面目に取り組んでいたし、決して実力がないわけではない。
ITの方の勤務態度や仕事っぷりも問題なし。
それだけに移籍の想像はしていなかったので、少しビックリしたのもある。
「向こうでは、出場機会を得られる可能性があると言っていただいています。もちろん、レギュラーを約束されたわけではありませんけど」
「そりゃそうだろうな。でも、関西一部か」
「はい。自分としては、挑戦してみたいんです」
その表情を見れば、本人の気持ちはほとんど決まっているのだと分かった。
ただ、一つ気になることがあった。
「向こうでの仕事はどうなるんだ? ウチみたいに通常業務と兼任なのか?」
「いえ、向こうでは、基本的にサッカー専任になるそうです」
「サッカー専任?」
「はい。もちろんスクールのコーチはやりますが、練習や試合を中心に生活できる環境を用意していただけると」
なるほど。
京南FCとは、クラブの成り立ちからして違う。
うちはノードシードの社員として働き、そのうえでサッカーに取り組む仕組みだ。
給与が安定していることも、現役を引退したあとに会社に残れることも、大きな特徴になっている。
一方で、サッカーだけに集中できるわけではない。
仕事がある以上、練習時間にも限りがある。
「そうか。じゃあ、ノードシードから転職ってことになるんだな」
「はい。せっかくここまでお世話になったのに、申し訳ありません」
「いや、謝ることじゃないよ。この5年間、よく頑張ってくれた」
俺は首を振った。
「ITとサッカーの両方の仕事をキッチリやってくれてありがとう。ここで学んだことが次のチームでも役に立ってくれたらいいと思う」
俺たちはサッカーと仕事を両立できる環境を作ってきた。でも、それが全員にとって一番いいとは限らない。
渡部にとってこの選択が良いものであれば、と思う。
渡部は少し驚いたように顔を上げた。
「試合に出て活躍したいんだろ?」
「はい」
「だったら、挑戦してこい」
そう言うと、渡部は深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
その声には、さっきまでの緊張がなくなっていた。
もちろん、寂しくないと言えば嘘になる。
選手としても、社員としても、ここまで一緒にやってきた仲間だ。
それでも、出場機会を求めて上のカテゴリーへ挑戦するというのなら、喜んで送り出したい。
俺たちが選手の人生を預かっているつもりでも、最後にその人生を決めるのは本人なのだから。
「そういえば渡部が京南FCからの移籍第二号だな」
「そうですね、友近に続いて二番目です」
「友近は今やJF1で活躍してるから、負けるなよ」
「え、ちょっと友近と比べられるとキツイっす!」
◇
渡部の退職と移籍が正式に決まると、選手や社員たちが送別会を開いてくれた。
会場には、サッカー事業部だけでなく、普段一緒に働いている社員たちも集まっていた。
そして、その中には鈴木新之助の姿もあった。
昨年、現役を引退したばかりの鈴木だ。
「渡部。関西一部だって?」
「おう、鈴木。悪いな」
「いいなあ。俺なんか、もう現役引退しちまったのにな」
「いや、鈴木は怪我だし、自分で決めて引退したじゃないか」
「まあな。でも、試合の話を聞くと、やっぱりちょっと羨ましくなるんだよ」
鈴木は笑いながら渡部の肩を叩いた。
「出られるうちに、思い切りやってこい。せっかく声をかけてもらったんだからな」
「まかせとけ」
「ただし、うちと対戦するときは手加減しろよ」
「そんなのできるか! 八百長じゃないか!」
「そこは即答で手加減するって言えよ!」
周囲から笑い声が上がった。
もっとも、洛南FCは地域リーグ一部だ。
京南FCがそこまで上がらなければ、リーグ戦で対戦することもない。
早くて二年後。
最短で実現したい。
俺たちは、その先を目指しているのだから、こんなところでは躓いていられない。
送別会の終わり際、渡部が改めて挨拶した。
「ノードシード、京南FCに入って、本当によかったと思っています。サッカーだけじゃなくて、仕事でもいろいろなことを教えていただきました」
そこで一度、言葉を切る。
「でも、もっと試合に出たいという気持ちが、どうしても消えませんでした」
誰も口を挟まなかった。
「勝手な決断かもしれませんが、向こうでも頑張ります。今までありがとうございました!」
大きな拍手が起こった。
俺も、手が痛くなるくらい拍手した。
創設した頃は、選手を集めることばかり考えていた。
誰が来てくれるのか。どうすれば入社してもらえるのか。
それが今では、選手が自分の意思で新しい道へ進んでいく。
クラブが大きくなれば、こういう別れも増えていくのだろう。
少し寂しいが、悪いことではない。
渡部には、ぜひ向こうでも頑張ってほしい。
◇
さて、去る選手がいれば、加わる選手もいる。
新シーズンの補強について、去年から動いていた。
キッカケはいつもの通り、隠岐が面白い話を持ってきたことだ。
「社長、ちょっと会っていただきたい選手がいるんですよ」
「また誰か見つけてきたのか?」
「ええ。大学卒業予定の選手なんですが、プロクラブの練習にも何度か参加していたそうでして」
「ほう」
「ただ、チーム編成の関係で契約までは至らなかったそうです」
それは気になる。
プロクラブの練習に参加できるだけでも、大学生としては相当な実力者だろう。
「名前は?」
「大久保寿也です。ポジションは攻撃的ミッドフィルダーですね」
「隠岐はどう思う?」
「人柄は悪くないと思います。話もきちんとできますし、サッカーに対する意欲も相当なものです」
「実力は?」
「それは社長と岡本さんに見ていただかないと」
と、笑いながら答えた。
五年経ってもサッカーの実力を見る目は変わっていないようだ。
隠岐は人脈を作ったり、相手の希望を聞き出したり、交渉をまとめたりすることに関しては本当に優秀だ。
一方で、サッカー選手としての能力を見る目は、残念ながらあまりない。
以前から分かっていたことなので、今さら驚きもしない。
むしろ、分からないことを分からないと認めてくれる方がありがたい。
「それで、本人はうちに興味があるのか?」
「かなりありますよ。特に練習環境について詳しく聞かれました」
「練習環境?」
「AIトレーナーのことを調べていたみたいですね」
なるほど。
AIトレーナーを使ったトレーニングについては京南FCのサイトやノードシードのサイトにも大きく掲載している。
京都のジムにも展開してあるし、京南FC以外のサッカー選手にも見てもらえていたのなら嬉しいな。
これは少し面白くなってきた。
後日、俺と岡本さんは大久保のプレーを確認する機会を作ってもらった。
実際に動いているところを見て、すぐに納得した。
ボールを受ける前の動きがいい。
周囲の状況を確認し、次に何をするかを考えてからボールを受けている。
パスの判断も速く、狭い場所でも落ち着いてプレーできる。
そして何より、俺にはステータスが見える。
現在の能力は、すでに京南FCの選手たちと比較しても高い水準にあった。
最大値にも、まだ伸びる余地がある。
これは、いい選手だ。
これまでの補強では、今は目立たなくても将来大きく伸びる選手を探すことが多かった。
だが、大久保は違う。
今すぐ試合に出ても、十分に活躍できるだろう。
地域リーグを目指す今年の京南FCにとって、これほどありがたい選手はいない。
問題は、本人が来てくれるかどうかだ。
そこから先は、隠岐の出番だった。
◇
数日後、大久保との面談が行われた。
「大久保寿也です。本日はよろしくお願いいたします」
そう言って頭を下げた大久保は、落ち着いた雰囲気の青年だった。
受け答えも丁寧で、こちらの説明を真剣に聞いている。
隠岐が言っていたとおり、礼儀正しい。
俺たちはノードシードの事業内容や、京南FCの活動について説明した。
会社の仕事とサッカーを両立すること。
社員として給与を受け取り、現役引退後も働き続けられること。
スクールや地域活動にも関わってもらうこと。
大久保は一つ一つ確認しながら、うなずいていた。
「何か質問はあるかな?」
説明を終えたところで尋ねると、大久保は少し身を乗り出した。
「AIトレーナーについて、もう少し詳しく伺ってもよろしいでしょうか」
「もちろん」
「個人ごとの練習データやコンディションも分析していると聞きました。それは、選手自身も確認できるんですか?」
「ああ。スタッフと一緒に分析結果を確認して、練習内容の改善にも使っているよ」
「なるほど……」
大久保の目が、少し変わった。
「自分の弱点も分かるということですよね?」
「万能というわけじゃないけど、改善の手がかりにはなると思う」
「それなら、ぜひ使ってみたいです」
さっきまでの落ち着いた様子とは違い、言葉に熱がこもっていた。
「大学では、自分なりに考えて練習してきました。でも、プロの練習に参加して、まだ足りないものがあると痛感しました」
「そうだったのか」
「はい。通用した部分もありました。でも、それだけでは契約してもらえなかった」
大久保は一度、拳を握った。
「編成の都合だとは聞いています。それでも、圧倒的な実力があれば、結果は違ったかもしれません」
静かな口調だったが、その言葉には悔しさがにじんでいた。
「だから、もっと成長したいんです」
俺はうなずいた。
「プロへの挑戦は、まだ続けたい?」
「はい。諦めるつもりはありません」
即答だった。
「京南FCは、今はまだ京都府リーグ一部だ。プロとはかなり距離があるぞ」
「分かっています」
「それでも?」
「はい。ここには、ほかではなかなか使えない練習設備があります。それに、毎年昇格していると聞きました」
大久保は、まっすぐこちらを見た。
「僕も、その昇格に貢献したいです。そして、自分自身も上のカテゴリーで通用する選手になりたい、友近選手のように」
なるほど。
彼が求めているのは、安定した会社員生活ではない。
もちろん仕事を軽く考えているわけではないだろう。
ただ、何よりもサッカー選手として成長できる環境を探しているのだ。
俺たちが選手のために整えてきた設備が、こうして新しい選手を引きつけている。
友近がプロで通用している点も、成長できる環境として説得力があるのかもしれない。
それは、少し誇らしかった。
「分かった。大久保君、ぜひ京南FCに来てほしい」
「ありがとうございます」
「ただ、一つだけ覚えておいてくれ。うちはサッカーだけをするクラブじゃない。ノードシードの社員としての仕事も、地域での活動も大切にしている」
「はい。そこも理解しています」
大久保は真剣な表情で答えた。
「そのうえで、僕はサッカーでも結果を出したいです」
「うん。それでいい」
俺は手を差し出した。
大久保は力強く握り返してきた。
こうして、京南FCに新しい攻撃的ミッドフィルダーが加わることになった。
◇
もう一人、今年は高校を卒業したばかりの選手が加入する。
犬飼和樹だ。
大久保とは違い、まだ十八歳。
これから経験を積んで成長していくことを期待している選手だった。
ポジションはボランチ。
上背はないが運動量は非常に豊富で、攻守にわたって貢献してくれれば、と考えている。
「犬飼和樹です。よろしくお願いします!」
初日の挨拶では、少し緊張している様子だった。
「そんなに固くならなくても大丈夫だよ」
「は、はい!」
……余計に固くなった気がする。
まあ、社会人になったばかりなのだから仕方ない。
犬飼は、サッカーだけでなく、地域との関わりやスクール活動にも前向きだった。
「子どもたちに教えるのも、楽しみにしています」
「そうか。うちはスクールも大事な仕事だから、ぜひ頑張ってほしい」
「はい!」
大久保が自分の競技能力を高めるために京南FCを選んだのに対し、犬飼はサッカーを通じて地域に関わることにも魅力を感じている。
同じ年に加入した二人だが、目指しているものは少し違うようだ。
もっとも、今はそれでいい。
全員が同じ考え方である必要はない。
それぞれが自分の目標を持ちながら、同じチームで戦ってくれればいいのだから。
◇
新しいシーズンに向けた練習が始まった。
グラウンドでは、岡本監督の声が響いている。
大久保は早速、周囲の選手たちと積極的にコミュニケーションを取っていた。
プレーの質も高い。
初めて一緒に練習する選手たちとも、すぐに連係を合わせようとしている。
無口な板垣ともコミュニケーションを取っている。
練習が終わったあとには、AIトレーナーの分析結果を確認したいと伊東に声をかけていた。
本当にサッカーが好きなんだな。
いや、好きというだけでは足りないか。
あれは、自分がどこまで上手くなれるのかを本気で追い求めている人間の姿だ。
一方、犬飼は先輩たちに声をかけられながら、懸命に練習についていっていた。
渡部が去り、大久保と犬飼が加わった。
京南FCは、また少し姿を変えた。
思えば、創設した頃は選手を集めるだけで精いっぱいだった。
今では、上のカテゴリーへ挑戦するために移籍する選手がいて、プロへの夢を追いかけるために加入する選手がいる。
地域との関わりに魅力を感じて入ってくる若者もいる。
選手たちが京南FCに求めるものは、それぞれ違う。
それでも、今は同じユニフォームを着て、同じ目標に向かっている。
京都府リーグ一部優勝。
そして、地域リーグへの昇格。
六年目の京南FCが、動き始めた。




