5年目 第4話 五年目
五年目のシーズンが終わった。
京都府二部リーグを突破し、来年からはいよいよ京都府一部リーグで戦うことになる。
府リーグの次はいよいよ地域リーグだ。
しかし、これで五年連続昇格だ。
順調すぎて、何か落とし穴でもあるんじゃないかと思ってしまう。
なんて言いつつも、選手や監督たちは油断せずしっかりやってくれている。
なので俺はこうやって軽口を叩いていられるのだ。
もちろん、順調なことばかりではなかった。
エンペラーカップの京都府予選では、以前のように勝ち進めなかったし、全国社会人選手権の予選でも上位カテゴリのチームにはまだ勝ちきることができない。
リーグ戦で勝てているからといって、京都府の中で一番強いわけではない。
そのことは、岡本さんも選手たちもよく分かっている。
それでも、五年連続で昇格できたのは立派な成果だ。
特に今年は、チームの中身も少しずつ変わってきた。
友近が抜けた穴を埋めるように、板垣が大きく成長した。
今ではすっかりチームのエースだ。
一方で、創設時からのメンバーも、もう二十七歳になる。
サッカー選手として決して高齢というわけではないが、仕事とサッカーを両立する生活は、やはり簡単ではない。
今年は鈴木が現役を引退した。
怪我の問題もあっての決断だったが、今はスクールの指導やクラブの仕事を続けてくれている。
選手を引退したからといって、会社を辞める必要はない。
それは創設当初から考えていた仕組みだった。
実際にそういう選択をする社員が出てきたことで、改めてその意味を感じている。
もっとも、五年前に入社した選手たちが、もう引退を考えるような時期になってきたのかと思うと、少し寂しくもある。
俺も五歳年を取ったわけだしな。
……そのことは、あまり考えないようにしよう。
◇
年末、俺はサッカー事業部の今年の報告を受けていた。
といっても、正式な経営会議というわけではない。
経営会議前の内部での確認だ。
普段から報告は受けているので、大体のことは把握している。
ただ、内容によってはまた役員たちに突っ込まれるかもしれない。
ちゃんと理論武装しておかないとな。
なので伊東たちと資料を広げながら、今年の成果と来年の課題を確認している。
「まず、今年の売上ですが、八千二百万円になりました」
伊東の報告に、俺は思わず顔を上げた。
「おお、八千万円を超えたのか!」
「はい。昨年が六千三百万円でしたので、約三割の増収です」
「それはすごいな」
正直、この一年でこんなに伸びるとは思っていなかった。
もちろん、会社全体から見れば、それほど大きな事業ではない。
それでも、府リーグのサッカークラブを運営しながら、これだけの売上を作れるようになったのは大きい。
「内訳は、スクールとジュニア事業が四千二百万円、スポンサー収入が三千五百万円、物販やイベントなどが五百万円です」
「やっぱり今年はスポンサーだな」
「そうですね。昨年の二千三百万円から、大きく増えています」
スポンサー収入だけで千二百万円の増加か。
「スポンサー企業の数って何社になってる?」
「現在は約五十五社になっています」
「五十五社かあ……」
スポンサー集めをしだしたばかりの頃を思い出す。
最初は話を聞いてもらうだけでも大変だった。
それが今では、五十五社もの企業に支えてもらっている。
ありがたい話だ。
「それで、肝心の収支はどうなった?」
「今年の支出は約九千二百万円ですので、営業赤字は約一千万円です」
「一千万か」
赤字。
その言葉だけを聞けば、決して喜べる数字ではない。
だが、昨年の赤字は約二千万円だった。
「ということは、赤字が半分になったのか?」
「はい。売上の増加が大きく寄与しています」
「おお! それはいいじゃないか!」
思わず声が大きくなった。
「ただし、まだ黒字ではありませんからね」
伊東が冷静に付け加える。
こいつ、ちょっと日下に似てきたか……?
俺の扱いを心得ている気がする。
「分かってるって。でも、だいぶ改善してきたじゃないか」
「そうですね。社員選手の給与を半分サッカー事業部で負担する仕組みは変わっていませんし、今年は昇給や指導者の増員もありました。その中で赤字を縮小できたのは、大きな成果だと思います」
京南FCの人件費は、普通のアマチュアクラブと比べればかなり大きい。
ただ、選手たちはサッカーだけをしているわけではない。
ノードシードの社員としてITや農業などの仕事をしながら、スクールでの指導やトップチームの練習、試合にも参加している。
その給与の半分をサッカー事業部で負担するというルールは、創設当初から続けているものだ。
会社としては、それぞれの仕事に見合った費用を負担する必要がある。
だからこそ、サッカー事業部の数字だけをよく見せるために、ほかの部署へ費用を押しつけるようなことはしたくない。
「それにしても、人件費が七千二百万円か」
「はい。支出の大部分を占めています」
「まあ、人を雇っている以上、そこは仕方ないよな。今年はジュニアのコーチも増えたし」
むしろ、選手やスタッフの給料をきちんと上げていける会社でありたい。
サッカー事業部だから給料据え置き、だとか、ほかの社員と区別するのもダメだ。
同じノードシードの社員として、与えられた仕事に対しての成果や態度で決めていくのだ。
サッカー事業を黒字にするために社員の待遇を悪くするなんてのは言語道断だ。
「来年も売上を伸ばしていきたいですね」
「そうだな。ようやく黒字が見えてきた感じがするよ」
二年目に出てきた五千万円という赤字。
それが五年目には収入が増え、一千万円まで圧縮することができた。
このペースなら来年の黒字化もいけそうだ。
ただ、そこから地域リーグになるとまた勝手が違いそうではあるが……。
◇
「それにしても、今年は合同企業説明会が大きかったですね」
伊東がそう言った。
「ああ、あれはやってよかったな」
今年、京南FCのスポンサー企業を中心に、初めて合同企業説明会を開催した。
もともとは、地元企業から採用について相談を受ける機会が増えたことがきっかけだった。
地方の中小企業にとって、人材採用は大きな課題だ。
いい会社でも、学生や求職者に名前を知ってもらう機会が少ない。
そこで、京南FCが企業同士をつなぎ、地域の人たちに会社を知ってもらう場を作れないかと考えた。
結果は、想像していた以上によかった。
参加した企業からは好意的な感想をもらえたし、実際に採用につながったところもあった。
「説明会に参加した企業から、来年もぜひ開催してほしいという声をいただいています」
「それは嬉しいな」
「それに、参加企業から話を聞いた別の企業から、スポンサーについて問い合わせをいただくことも増えました」
「へえ、そうなのか」
「はい。採用活動にも役立つなら、京南FCのスポンサーになる意味があるんじゃないか、と」
なるほど。
スポンサーというと、どうしてもユニフォームに企業名を載せたり、試合会場に広告を出したりすることが中心になる。
もちろん、それも大切だ。
でも、京南FCはまだ府リーグのクラブだ。
観客数も知名度も、プロクラブとは比べものにならない。
広告効果だけで考えれば、スポンサーになるメリットは限られている。
だからこそ、広告以外の価値を作りたかった。
「それだけじゃないんですよ」
伊東が続ける。
「最近は、スポンサー企業の方から相談をいただくことも増えています」
「相談?」
「採用のこともありますし、ほかのスポンサー企業を紹介してほしいとか、ノードシードと一緒に何かできないか、といった話ですね」
「おお、いいじゃないか」
「実際に、企業同士の取引につながった例もあります」
それを聞いて、俺は思わず笑みを浮かべた。
最初はこちらから頭を下げて、スポンサーになってもらっていた。
もちろん、今だって営業活動は続けている。
ただ、少しずつ関係が変わってきた。
企業が京南FCを支えてくれる。
京南FCも、企業の採用や事業活動を手助けする。
そして、スポンサー企業同士がつながり、新しい仕事が生まれる。
そういう関係ができ始めている。
「いいなあ。こういうのをやりたかったんだよ」
「社長が以前からおっしゃっていた、共存共栄ですね」
「そうそう。スポンサーになってください、お金を出してください、だけじゃ長続きしないだろうし」
「はい。企業側にも具体的なメリットがあれば、継続して支援していただきやすくなります」
「それに、企業同士が仲良くなってくれるのは嬉しいよな」
京南市には、いい会社がたくさんある。
でも、同じ地域にあっても、業種が違えば接点のない企業は多い。
京南FCが、その間をつなぐ存在になれたら。
サッカークラブが地域にある意味は、試合に勝つことだけではないはずだ。
「来年も合同企業説明会は続けよう」
「はい。参加企業を増やせるように準備を進めます」
「あと、スポンサー企業同士の交流も、もう少し増やせるといいな」
「そうですね。検討してみます」
最初はスポンサーを集めるために始めた活動だった。
それが今では、企業同士のつながりを作る活動になっている。
五年間で、ずいぶん変わったものだ。
◇
「農業の方の状況は? 植田さんのところでの研修は終わったよな」
俺は話題を変えた。
「はい、研修は完了しています。来年からは予定どおり岡本さんのご実家や近隣の農家で引き続き実習、それに加えて検証を進めていく予定です」
「研修は順調だった? 結構きついって話だったけど」
「順調かと言うとどうでしょうか。やっぱり苦労したみたいです。でも、植田さんからも最後は『一年間よく頑張った』と激励していただいたと報告にありましたね」
「なるほど、田中たちは本当によく頑張ってくれたみたいだな。来年からの検証もうまくいけばいいけど」
「検証の方はこれから手探りでしょうね。一年間研修を受けたとはいえ、まだ独り立ちできるほどではありませんし。作業をサポートしてもらいながら、課題の洗い出しやシステム化できそうなところがないか検証する感じになるでしょうね」
「まあ、いきなりうまくいくわけないよな。トライアンドエラーを繰り返してもらおう」
農業については、サッカー事業とは別に、新しい可能性を探っている。
田中は今も京南FCの選手だが、農業の仕事にも興味を持って取り組んでいる。
「検証は抜きにしても、田中たちが楽しそうにやってるみたいでよかった」
「はい。案外、農業が性に合っているかも、とのことです」
ITの仕事に悩んでいた田中。
新しい仕事に前向きに取り組めているなら、それは素晴らしいことだ。
ノードシードはITの会社だが、さまざまな道で社員が輝ける場所ができればいい。
社員が自分に合った仕事を見つけて、長く働ける会社にしたい。
その考えは、今も変わっていない。
◇
「それと、来年以降の設備についても、一つ検討したいことがあります」
伊東が別の資料を取り出した。
「設備?」
「メイングラウンドの人工芝化です」
「ああ、そろそろ考えないといけないか」
現在、京南FCの練習場は土のグラウンドだ。
サブグラウンドも整備したが、トップチームにスクール、ジュニアチームと、利用する人数は年々増えている。
雨が降れば状態が悪くなるし、練習環境としても改善できる部分は多い。
「人工芝にすれば、スクールも含めて、より安定して利用できます」
「でも、結構かかるんだよな?」
「はい。排水設備なども含めると、一億円以上の投資になる可能性があります」
「一億かあ……」
さっきまで、赤字が一千万円に減ったと喜んでいたのに。
一億円という数字を聞いた途端、現実に引き戻された気がする。
「もちろん、すぐに工事を始めるという話ではありません。費用や工期、利用計画を調べたうえで判断する必要があります」
「そうだな。スポンサー企業にも協力してもらえる部分があるかもしれないし、まずは検討から始めよう」
「承知しました」
施設については、もう一つ将来の構想がある。
京南市が以前から検討している、市民向けの総合スポーツ施設の整備だ。
新しい体育館を中心とした計画だが、そこにサッカー場を組み合わせられないかという話も少しずつ出ている。
実現するかどうかは、まだ分からない。
市の施設なのだから、当然、市民にとって意味のあるものにしなければならない。
京南FCだけのための施設にするつもりもない。
ただ、将来、地域リーグに上がることになれば、試合を開催する場所も今まで以上に重要になる。
「まあ、まずは来年の府一部だな」
「そうですね。地域リーグのことを考えるのは、その結果を見てからでも遅くありません」
「うん。先のことばかり考えて、足元がおろそかになっても困るし」
人工芝も、スポーツ施設も、まだこれからの話だ。
それでも、五年前には想像もしなかった計画が、少しずつ現実の話になってきている。
◇
報告が終わったあと、俺は練習場に立ち寄った。
グラウンドでは、スクールの子どもたちが元気にボールを追いかけていた。
「こっち、こっち!」
「パス!」
「ナイスシュート!」
楽しそうな声が聞こえてくる。
少し離れたところでは、鈴木が子どもたちに声をかけていた。
もう京南FCの選手ではない。
でも、こうしてグラウンドに立ち、子どもたちにサッカーを教えている。
その姿は、どこか誇らしげにも見えた。
五年前。
俺たちは、ここにサッカークラブを作ろうと考えた。
サッカーを続けたい若者たちに、働きながら競技を続けられる場所を作る。
それが最初の目標だった。
当時は、こんなにたくさんの子どもたちが集まるなんて考えていなかった。
五十五社もの企業がスポンサーになってくれることも。
企業同士の採用や取引を手助けすることも。
農家の人たちと一緒に、新しい事業の可能性を探ることも。
何より、サッカー選手として入社した社員が、引退後も自分の居場所を見つけて働き続けていることも。
もちろん、まだまだ課題は多い。
サッカー事業部は赤字だし、練習環境も十分とはいえない。
選手たちの世代交代も、これから本格的に考えていかなければならない。
そして来年は、京都府一部リーグ。
府リーグの頂点だ。
ここを突破すれば、その先には地域リーグが待っている。
今までのように毎年昇格できるとは限らない。
むしろ、ここからが本当の勝負なのかもしれない。
それでも。
俺はグラウンドを走り回る子どもたちを見ながら、思った。
京南FCは、もう俺たちだけのクラブではない。
選手やスタッフだけでもない。
スクールの子どもたち、その家族、応援してくれる地域の人たち、スポンサー企業の人たち。
この五年間で、京南FCに関わる人はずいぶん増えた。
もし今、京南FCがなくなったら。
きっと、困ると言ってくれる人がいる。
寂しいと言ってくれる人もいるだろう。
それは、五年前にはなかったものだ。
勝つことも、昇格することも大切だ。
でも、それと同じくらい大切なものが、このグラウンドにはある。
「社長!」
声をかけられて振り返ると、鈴木がこちらに手を振っていた。
「お疲れさまです!」
「おう、お疲れ!」
「来年、いよいよ府一部ですね!」
「そうだな。ここまで来たら、もう一つ上がりたいよな」
「もちろんです!」
鈴木は笑った。
「選手じゃなくなっても、京南FCには勝ってほしいですから」
「そりゃそうだ」
俺も笑って答える。
五年連続昇格。
売上八千二百万円。
赤字は、あと一千万円。
数字だけを見れば、まだまだ小さなクラブだ。
だけど、五年前には何もなかったところから、ここまで来た。
来年は六年目。
いよいよ京都府一部リーグに挑戦する。
その先に何が待っているのかは、まだ分からない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
五年前に始めたこの挑戦は、もう簡単には終われそうにない。
……まあ、赤字が続いている以上、まだまだ胸を張って成功したとは言えないんだけどな。
来年こそ、黒字化。
そして、もちろん六年連続昇格。
どちらも簡単ではないだろう。
でも、目標は大きい方がいい。
俺はもう一度、グラウンドに目を向けた。
子どもたちの歓声が、冬の空に響いていた。




