4年目 閑話 うちの社長は、何を目指しているんだ?
「なあ、聞いたか? 社長、今度は農業を始めるらしいぞ」
昼休み。
社員食堂で昼食を取っていると、同期の山本がそんなことを言い出した。
「……農業?」
「そう。農業」
「なんで?」
「知らん」
知らんのかい。
「サッカーの次は農業か……」
「そのうち会社でゲームでも作り始めるんじゃないか?」
「それならむしろやってみたいわ」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
俺が勤めるノードシード株式会社は、IT企業だ。
俺もシステム開発部門で働く、ごく普通のエンジニアだ。
そんな会社に、数年前、突然サッカー事業部ができた。
最初に聞いたときは、正直、何の冗談かと思った。
会社でサッカーチームを作る?
しかも、本気で上のリーグを目指す?
社長の趣味じゃないのか、と疑った社員もいたと思う。
実際、俺もそうだった。
ところが、蓋を開けてみれば、サッカー事業部の社員はサッカーをしつつも、ちゃんと通常業務もこなしていた。
片手間じゃなくてちゃんと、だ。
一緒に通常業務をしたことがあるが、サッカーがメインだからと甘えたところはなかった。
無論、ITだけの業務時間は俺たちよりも短いのだが、通常業務の後にサッカーをやっているのだ。
正直、その話を聞いたときはそんなの無理だと思った。
だが、実際にやっているところを見ると、素直にすごいと思うようになった。
しかも、京南FCは毎年リーグ昇格という結果も出している。
なので、サッカー事業部はまだ少し不思議な存在ではあるが、今では同じ会社の一員として受け入れられている。
「そういや、今度の土曜日、手伝いに行くんだろ?」
山本が思い出したように言った。
「ああ。ジュニアスクールの交流戦にノードシードが出展するんだよ」
「ご苦労さん」
「他人事みたいに言うなよ。お前も来いよ。
結構楽しいぞ、お祭りみたいで」
「いや、俺、土曜は予定あるから」
「どうせゲームだろ」
「大事な予定だ」
こいつは……。
今度の土曜日、京南FCのジュニアスクールで交流イベントが開催される。
普段スクールに通っている子どもたちと、トップチームの選手が一緒にサッカーをするイベントだそうだ。
ただサッカーをするだけのイベントでもなく、京南FCのスポンサー企業の出展もある。
スポンサーではあるが、一緒に仕事をすることもある不思議な関係だ。
よく数年でそんな関係を新しく作れるものだと感心する。
「で、社長も来るのか?」
「さあ。忙しいんじゃないか?」
「農業の準備で?」
「……本当に何を目指してるんだろうな、あの人」
俺たちは、もう一度笑った。
◇
土曜日。
イベント会場のグラウンドに到着すると、すでに何人ものスタッフが準備を進めていた。
俺は企業ブースの方の準備を終え、受付をしている様子を何となく眺めていた。
「おはようございます!」
「おはようございます。お名前は?」
「京南第三小学校スクールの田村翔太です!」
大きな声がここまで聞こえてくる。
小学校低学年くらいだろうか。
何人も列になっている。
来るたびに子どもの多さにびっくりする。
受付が終わると、屋台のたこ焼きをさっそく食べる子もいる。
これから試合なのに大丈夫だろうか?
「お兄ちゃん!」
と声をかけられたので、意識を戻す。
親子で企業ブースを見に来てくれたようだ。
子どもの方はスクールの紫のユニフォームを着ている。
「はい、どうしたの?」
「京南FCの人?」
「うん、そうだよ」
「選手?」
イベントの時は京南FCの紫のTシャツを着ている。
正直、運動していない俺がスポーツ選手に見えるとは思わないが、子どもからしたら分からないのだろう。
「いや、俺は選手じゃないよ。
でも選手の長谷川コーチとはお友達だよ」
「長谷川コーチ知ってる!
いつもサッカー教えてもらってるんだ!
でもお兄ちゃんは選手じゃないなら何をしているの?」
「いつもはパソコンを使って、システムを作ったりしてるよ。
システムを作るのも長谷川コーチと一緒に作ってるよ」
「え、長谷川コーチもですか?」
お、お母さんが食いついた。
さすが長谷川君だ。
「はい、ではせっかくなのでノードシードのサービスをご紹介しますね」
一般の方でも分かりやすいように、極力専門用語は使わずに紹介する。
あら、さすがに子どもの方は退屈そうだ。
「ほら、この京南FCのWEBサイトも見てみてよ。
これもノードシードのシステムで作ってるんだよ」
退屈まぎれになればと京南FCのサイトを見せる。
「あ、板垣コーチ! 田中コーチ、鈴木コーチもいる!」
おお、写真に食いついてくれた。
「みんなのことコーチって呼ぶんだね」
「はい、いつも教えてもらってるので。
一度選手って言ってみたんですが、それよりもコーチって呼ぶ方が親しみがあるみたいで」
とお母さんが説明してくれた。
なるほど、選手の前に子どもたちにとってはコーチなんだな。
「板垣コーチ、めっちゃ試合で点決めるからカッコいいわ!」
「へえ、詳しいね」
「当たり前やん!」
少年は胸を張った。
いや、当たり前なのか?
俺なんて、同じ会社なのに選手の顔と名前がほとんど一致しないぞ。
分かるのは関わった選手くらいだ。
「お母さんは長谷川コーチ推しって言ってるで!」
と子どもが暴露する。
お母さんは恥ずかしそうだ。
「……応援ありがとうございます」
試合開始が近づいてきたようで、親子は行ってしまった。
なんというか、京南FCを応援してくれる人も多くなってるんだな。
推しはともかくとして。
◇
交流戦が始まった。
どちらがビブスを着るかという熱いじゃんけん対決の後に、試合が始まる。
子どもたちの楽しそうな声が響く。
選手たちも子どもを応援している。
あそこで大きな声で指示を出しているのは監督の岡本さんだったかな……?
試合が終わり、さっきの男の子が歩いてくる。
あの表情は試合に勝ったのかな?
「試合どうだった?」
「あ、さっきのお兄ちゃん!」
声をかけると嬉しそうに、
「負けちゃったわ!
でもな、ドリブルでめっちゃ抜けたねん!」
とドリブルを実演しながら教えてくれた。
「そうか~、負けちゃったのか。
楽しかった?」
「うん!
次は絶対に勝つで!」
「おう、頑張って」
「うん、いっぱい勝ってもっと上手くなって京南FCに入るねん!」
「へえ、そうなんだ」
「うん!」
「JFリーグのチームとかじゃなくて?」
何気なく聞いた質問だった。
少年は不思議そうに首をかしげた。
「なんで?」
「いや、プロのサッカー選手になりたいんじゃないの?」
「なりたいで!」
「だったら、JFリーグのチームに入りたいとか思わない?」
「京南FCもJFリーグに行くんやろ?」
「……ああ、そういうことか」
そういえば、社長がそんなことを言っていた気がする。
「それに、板垣コーチもおるし、岡本監督もおるやん!」
少年は当然のように言った。
「知ってる人がおるチームがええねん!」
そう言って、少年はグラウンドに戻っていった。
俺はしばらく、その後ろ姿を眺めていた。
……なるほどな。
この子にとっては、京南FCが一番身近なサッカーチームなんだ。
テレビで見る有名な選手より、毎週一緒にボールを蹴ってくれる選手の方が、ずっと身近なのかもしれない。
同じ会社に勤めている俺より、よっぽど京南FCを応援している。
ちょっと複雑だ。
◇
イベントも終盤に差しかかった頃、久世社長がやってきた。
「お疲れさま! どう、順調?」
「はい。今のところ問題ありません」
「よかった。ちょっと遅くなっちゃったね」
社長はそう言いながら、グラウンドの方へ歩いていった。
……相変わらず、気さくな人だ。
うちの社長は、偉そうにしているところをあまり見たことがない。
もちろん、会社をここまで大きくした人なので、すごい人なのだろう。
ただ、普段の様子だけを見ると、少し変わった気のいいお兄さんという感じだ。
おじさんと呼ぶと少し不機嫌になるらしいけど。
「あっ、しゃちょー!」
子どもたちの一人が声を上げた。
すると、何人かが一斉に駆け寄っていく。
「しゃちょーや!」
「しゃちょー、来たん?」
「おお、みんな元気だね!」
社長は笑いながら手を振った。
……子どもたち、社長のことまで知ってるのか。
「しゃちょー!」
「ん?」
「京南FCって、JFリーグに行くんやろ?」
「もちろん!」
即答した。
いや、そんな簡単に言っていいのか?
「いつ?」
「えっ?」
「いつJFリーグに行くん?」
「……それは、もうちょっと待ってね」
子どもたちが笑った。
「えー!」
「まだなん?」
「早く行ってや!」
「ははは。頑張るよ」
社長も笑っている。
「しゃちょー、サッカー上手い?」
「まあ、少しはできるよ」
「じゃあ、勝負しよう!」
「えっ、今?」
「うん!」
「いや、今日はスーツだから……」
「逃げた!」
「逃げてないって!」
子どもたちの笑い声がグラウンドに響いた。
……社長。
完全に遊ばれてますよ。
◇
交流戦が終わり、片付けをしていると、山本からメッセージが届いた。
『イベントどうだった?』
俺は少し考えてから返信した。
『結構面白かったぞ』
すぐに返事が来る。
『へえ、意外。社長は来た?』
『来た。子どもたちに質問攻めにされてた』
『何それ、見たかった(笑)』
スマートフォンをしまい、俺はグラウンドを見渡した。
交流戦はもう終わっている。
それでも、まだ帰りたがらない子どもたちが何人かいた。
選手たちは子どもと一緒にボールを蹴っている。
岡本監督は、保護者らしき人と笑いながら話していた。
社長はスタッフと一緒にカラーコーンを片付けている。
……社長、自分で片付けまでやるんだな。
そういえば、さっきの子ども。
大きくなったら京南FCに入りたいと言っていた。
まだ京都府リーグのクラブだ。
JFリーグのチームと比べれば、知名度も規模もまったく違う。
それでも、あの子にとっては憧れのチームなのだ。
考えてみれば、すごいことなのかもしれない。
俺たちが毎日働いている会社が、知らないところで誰かの夢を作っている。
……いや、知らなかったのは俺だけかもしれないけど。
「よう、お疲れさま!」
突然、後ろから声をかけられた。
振り返ると、社長が立っていた。
「今日は展示の方ありがとう。どうだった?」
「はい、結構皆さん見に来てくれました。
スポンサー企業の展示もなかなか面白かったです」
「それはよかった。
子どもたちも元気だったでしょ?」
「はい。思っていた以上に元気でした」
「ははは。そうだよね」
社長は楽しそうに笑った。
「また機会があったら手伝ってよ」
「はい。ぜひ」
「ありがとう! 助かるよ」
そう言って、社長は別のスタッフのところへ歩いていった。
俺はその後ろ姿を見送った。
うちの社長は、いったい何を目指しているんだろう。
IT企業を大きくしたかと思えば、サッカーチームを作る。
そして今度は農業だ。
正直、よく分からない。
でも。
さっきまで社長を質問攻めにしていた子どもたちは、みんな楽しそうだった。
あの子たちにとって、京南FCはすでに大切な存在になっているのだろう。




