3年目 第8話 決断
プロになれる。
子どもの頃なら、その言葉を聞いただけで飛び上がって喜んでいたと思う。
いや、今でもだ。
一瞬飛び上がりそうになったのは認める。
でも。
実際にいざその時が来てみると、思っていたよりずっと簡単に決めることができなかった。
V長崎から正式にオファーが来た。
クラブから正式な条件が提示された。
契約期間は二年。
年俸は四百二十万円。
それとは別に試合に出れば出場給、勝てば勝利給が出る。
プロサッカー選手。
ずっと憧れていた言葉だ。
だけど、条件を見れば見るほど、急に現実的な話になっていく。
年俸四百二十万円というのは、正直今の給料とほとんど変わらない。
福利厚生なんかも含めて考えれば、今より条件が良くなるとは限らない。
プロになれば外車を乗り回し、金髪のモデルと付き合う、なんてのはかなり遠そうだ。
考えると今の自分はかなり恵まれているんだと思う。
そしてそれ以上に気になるのが、契約期間の二年。
二年経ったらどうなる?
活躍して、新しい契約を結んでもらえるかもしれない。
年俸も上がるかもしれない。
もっと上のクラブから声がかかるかもしれない。
だが、逆に。
契約を更新してもらえないかもしれない。
そうなったら──
今の俺は、ノードシードの社員だ。
毎月給料が入る。
仕事があって、福利厚生もある。
生まれ育った京南市で生活し、実家から会社に通っている。
ノードシードの社員で親からも安心されている。
それに京南FCでサッカーもできる。
三年間一緒にプレーしたチームメイトもいる。
サッカースクールの子ども達も……
プロになったからといって、給料が何倍にもなるわけじゃない。
それを全部手放して、二年の契約を選ぶ。
しかも全く知らない土地、長崎だ。
――そんな覚悟やったら、行かん方がええ。
岡本さんに言われた言葉を思い出す。
――プロになるだけでも難しい。でもな、プロで居続ける方が、もっと難しい。
分かっている。
プロになれば終わりじゃない。
そこから先も、ずっと競争が続く。
だけど。
不安ばかりかと言われると、そうでもなかった。
V長崎の練習に参加した一週間。
レベルは高かった。
判断が速い。
身体も強い。
ボールを持ってから考えていたら遅い。
少しでもポジションを間違えれば、その隙を使われる。
京南FCでは普通にできていたことが、普通にはできなかった。
でも。
何もできなかったわけじゃない。
パスは通った。
ボールも奪えた。
周りを見て、味方を動かせた場面もあった。
自分より上手い選手たちの中でも、できたことはあった。
だからこそ、正式なオファーが来たんだと思う。
俺なら。
俺なら、プロでもやれるんじゃないか。
そんな気持ちもあった。
◇
「V長崎から正式にオファーもらいました」
仕事が終わった後。
俺は長谷川さん、田中さん、イタを誘って飯を食いに来ていた。
「マジか!」
田中さんが一番大きな声を出した。
「すごいじゃん! おめでとう!」
「ありがとうございます」
「友近さん、プロになるんすか?」
イタが聞いてくる。
「それを相談しようと思ってんだよ」
「相談?」
「まだ決めてない、悩んでるんだ」
イタが不思議そうな顔をする。
長谷川さんは黙って俺を見ていた。
「条件はどんな内容だったんだ?」
「二年契約っす。年俸が四百二十万ですね」
「二年か」
長谷川さんが呟く。
「はい」
俺は箸を置いた。
「皆さんだったら、どうします?」
三人の顔を見る。
最初に口を開いたのは長谷川さんだった。
「難しいな」
「長谷川さんでも?」
「そりゃそうだろ」
少し笑う。
「前も言ったけど、俺は一回だけトップの練習に参加して何もできなかったんだ」
「はい」
「でも、その先には行けなかった。京南FCに入って岡本さんに鍛えられた今なら、もう少しやれたんじゃないかとは思うけどな」
長谷川さんがコップを置く。
「俺には、今の友近みたいに選ぶことすらできなかったからな」
「……」
「だから、俺から簡単に行けとは言えない」
そう言ってから、少し考える。
「でも、羨ましいとは思うよ」
「羨ましい?」
「そりゃそうだろ。俺もプロになりたかったからな」
長谷川さんは笑った。
いつもの長谷川さんの笑い方だった。
「プロになるか、ならないか。それを自分で選べるところまで行ったんだ。すごいことだと思うぞ」
「……ありがとうございます」
次に田中さんを見る。
「田中さんだったら?」
「俺?」
「はい」
「俺はならないよ」
即答だった。
「えっ」
「だって今の会社辞めるんだろ?」
「そうですね」
「二年後どうなってるか分からないんだろ?」
「はい」
「怖いって」
田中さんらしい答えだった。
「もちろん、俺の実力じゃプロでやっていけないっていうのもあるけど……それを抜きにしても、今の俺には絵理もいるしな。家族を守らないといけない。だからリスクを背負ってプロにはならないと思う」
結婚した田中さんだからこその言葉だ。
「それに別にプロにならなかったからって、サッカーできなくなるわけじゃないしな。京南FCでも上を目指せるんだし」
「そうなんですよね」
それも迷っている理由の一つだった。
京南FCが嫌なわけじゃない。
むしろ好きだ。
府六部から始まって。
三年間、一緒に上がってきた。
来年は府三部。
その先には二部、一部がある。
みんなでそこを目指している。
俺だって、そのつもりだった。
「たださ」
田中さんが続ける。
「友近がプロになりたいなら、それは全然別の話だと思うけどな」
「……」
「安定してるから残るっていうのと、残りたいから残るっていうのは違うだろ」
少し考える。
確かにそうかもしれない。
そして。
最後にイタを見る。
「イタは?」
「行きます」
「早っ!」
ほとんど考えていなかった。
「お前、ちょっとくらい考えろよ!」
「いや、プロですよね?」
「そうだけど」
「じゃあ行きます」
「二年後に契約なくなるかもしれないんだぞ?」
「活躍したらいいじゃないですか」
「簡単に言うなぁ、こいつ」
田中さんが笑う。
長谷川さんも笑っていた。
こいつに聞いた俺が間違いだったかもしれない。
でも確かにそうだ。
活躍したらいいのは間違いない。
そう踏み切れたら、なんとシンプルなことか。
イタは飯を食いながら、普通に言った。
「でも、友近さん」
「ん?」
「友近さんはプロになりたくなかったんですか?」
「……」
箸が止まった。
「いや、なりたかったけど」
「じゃあ、何で行かないんですか?」
「だから、いろいろあるんだよ」
「そうなんすか」
興味を失ったのか、また飯を食い始める。
なんなんだ、こいつ。
でも。
その言葉だけは残った。
――プロになりたくなかったんですか?
なりたかった。
当たり前だ。
サッカーをやっていた子どもなら、一度くらい夢見る。
俺だってそうだった。
でも、いつからだろう。
自分がプロになるなんて、考えなくなったのは。
◇
その日の夜。
親父の帰りを待って話をさせてもらった。
「どうしたんだ拓海、珍しく神妙な顔をして」
「まさか、結婚するとか言うんじゃないだろうね?」
「いや、俺さ」
少し言いにくい気がする。
「プロからオファー来た」
「プロって何の?」
「何のって、そらサッカーや」
「プロって、プロサッカー?」
「そう」
「詐欺じゃないのか?
騙されてないか?」
実は俺も練習に参加するまでは、ちょっと詐欺だったらどうしようかと思っていたけど。
「失礼な! 正真正銘のプロチームだよ。
V長崎ってチームだ」
「「ええええええ!」」
うるさい。
俺もよくうるさいと言われるが、遺伝だと思う。
「ええ、あんたいつの間に?」
「この間一週間長崎に行ってきただろ?
あの時に練習に参加して認められたんだよ」
「え、てっきりただの出張か何かかと……」
と、オカンは長崎土産のカステラに手を伸ばす。
何も聞いてくれてなかったんだな。
そこからは質問の嵐だった。
どんなチームなのか。
いつからなのか。
給料はいくらなのか。
ノードシードは辞めるのか。
次々に聞かれた。
「まだ行くって決めたわけじゃないよ」
「そうなの?」
「うん」
契約が二年であること。
今より生活が安定するわけではないこと。
試合に出られる保証もないこと。
全部話した。
「なるほど、それは心配やな」
と親父。
親父は転職したことがあるし、少しは分かるのかもしれない。
「拓海、今の会社や京南FCに不満があるの?」
オカンが不安げに聞いてきた。
「いや、不満はないよ」
「だったら今の会社に残った方が良いんじゃない? せっかくちゃんとした会社で毎日楽しそうにしてるじゃない? そんな会社は滅多にないとお母さんは思うわ」
「それは俺もそう思う」
「なら……」
「でもプロなんだよ。今回の話が無かったら、次があるかなんて分からないんだ」
「それはそうだけど……」
オカンはかなり心配そうだ。
「拓海はどうしたいんだ?」
「迷ってる」
「拓海がどっちを選んだとしても、お父さんもお母さんも応援するぞ。
まだまだ若いんだ。たとえ失敗したとしても何とかなるさ」
親父も社長みたいなことを言ってくれる。
そうだな。
失敗しても何もかも無くなるわけじゃない。
そう言うと、二人とも考えて黙り込んでしまった。
しばらくすると、母親がポツリとつぶやいた。
「そういえば拓海は小さい頃、プロになりたいってよく言ってたわね……」
「……え?」
「小さい頃、ずっと言ってたよ。JFリーガーになる、日本代表になるんやって」
そうだった。
昔のことを思い出す。
サッカーを始めた頃。
テレビで見ていた選手。
スタジアムで見た試合。
自分もいつか、あそこでプレーしたいと思っていた。
いつの間にか。
そんなことは忘れていた。
高校を卒業して。
ノードシードに就職して。
京南FCに入って。
仕事をしながらサッカーをする。
それが俺の人生になった。
楽しかった。
今も楽しい。
だから。
昔の夢なんて、考えなくなっていた。
「そんな夢まであと一歩ってところまで来てるんやねぇ」
「……」
「大きくなったわね、拓海」
そこには小さい頃から変わらない、俺を見る時のオカンの顔があった。
「お母さんはやっぱり今の会社を続けてほしいけど、拓海がプロになりたいって言うなら応援するわ」
「……分かった」
「どっちにするか決めたら教えてね」
「分かってるって」
◇
プロになりたかった。
その気持ちは確かにあった。
でも。
だからといって、何も考えずに行けるわけじゃない。
ノードシードを辞める。
京南FCを離れる。
三年間一緒にやってきたみんなとも別れる。
岡本さんとも。
長谷川さんとも。
田中さんとも。
イタとも。
スクールの子どもたちとも。
来年も一緒に戦うつもりだった。
京南FCがどこまで行くのか。
俺もその中にいるつもりだった。
残る理由はいくらでもある。
今の生活は楽しい。
会社も嫌いじゃない。
京南FCも好きだ。
それなのに。
目を閉じると、V長崎での練習を思い出した。
速かった。
強かった。
上手かった。
今までとは全然違った。
最初はついていくので精一杯だった。
でも。
楽しかった。
もっとやりたいと思った。
もっと上手い選手とやってみたいと思った。
自分がどこまでできるのか、試してみたいと思った。
それに。
俺は何もできなかったわけじゃない。
通用したプレーもあった。
相手はプロだ。
その中で、俺のプレーができた瞬間があった。
そして。
向こうもそれを認めたから、正式なオファーを出してくれた。
だったら。
俺なら。
やれるかもしれない。
――そんな覚悟やったら、行かん方がええ。
岡本さんの言葉を思い出す。
――そこで生き残るつもりで行け。
怖い。
二年後なんて分からない。
試合に出られるかも分からない。
プロになって、何もできずに終わるかもしれない。
でも。
それは行かない理由になるのか?
長谷川さんには、その選択肢が来なかった。
田中さんは、安定しているから残るのと、残りたいから残るのは違うと言った。
イタは何も考えずに言った。
――プロになりたくなかったんですか?
母親は、俺が忘れていた夢を覚えていた。
俺は。
どうしたい?
答えは、もう分かっていた。
◇
翌日。
俺は社長のところへ行った。
「社長」
「ん?」
社長がパソコンから顔を上げる。
俺の顔を見て。
少しだけ表情が変わった。
たぶん分かったんだと思う。
「決めた?」
「はい」
緊張した。
V長崎の練習に参加した時よりも。
正式なオファーを見た時よりも。
この一言を口にする方が緊張した。
「俺、行きます」
社長は少し黙っていた。
「……そっか」
「はい」
寂しそうにも見えた。
でも、すぐに笑った。
俺も笑う。
もう迷わない。
二年後のことは分からない。
その先なんて、もっと分からない。
でも。
そこで生き残る。
もっと上手くなる。
もっと上へ行く。
そのつもりで行く。
「社長」
「うん」
「俺、プロになります」
新しいサッカー小説をアップしました。
京南FCとはかなり読み味が違う物語です。
もしタイトルで気になったら御一読いただけると嬉しいです。
短い話になリますので。完結まで一気に投稿します。
10回ループするまでにサッカー日本代表にならないと人類滅亡ってそりゃないよ
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