1年目 第3話 社員選手の一週間
俺は鈴木新之助。
愛知県出身、今年の四月にノードシード株式会社へ入社した新入社員だ。
大学では四年間サッカー部に所属していた。
それなりの強豪校だったと思う。
ポジションはセンターバック。
そして今はノードシードのIT部門で働きながら、京南FCの選手としてサッカーをしている。
入社して二か月ちょっと。
ようやくこの生活にも少し慣れてきた。
◇
月曜日。
目が覚めたのは九時過ぎだった。
寮の同期が数分前にバタバタと出社していく音がしていたが、俺は今日は午前中が休みなのでゆっくりできる。
同期、間に合ったかな……?
もう少し寝ていたかったが、俺のAIトレーナー君が早く朝食を食べるように言ってくるので起きる。
昨日は試合がなかった。
試合があった週なら今日は一日休みになるが、試合がなかった週は午前中だけ休み。
午後から会社に行き、十六時まで仕事をして、その後は練習だ。
身体を休めるための制度らしい。
最初に聞いた時は、ずいぶん恵まれていると思った。
高校、大学時代なら土日連続で試合をしようがなんだろうが、翌日から普通に学校だったからだ。
でも実際に働き始めてみると、この午前休みがありがたい。
仕事って意外と疲れる。
もちろん肉体的にというより、頭の方だが。
日曜に試合をして、そのまま月曜の朝から仕事だったら正直使い物にならないだろう。
特に俺の場合は、ITの仕事についてほとんど何も知らずに入社したからというのもある。
入社前。
俺は結構本気で心配していた。
ずっと文系だった。
数学が特別苦手だったわけではない。
でもプログラミングなんてやったことがない。
そもそもITの仕事って何をするんだ?
プログラムって何なんだろう?
パソコンに向かって何かする。
それくらいしか分からなかった。
俺の中のITエンジニアのイメージは、黒い画面に〇と一みたいな文字が大量に流れていて、それを見ながら凄い速さでキーボードを叩いている人だった。
映画の影響なんだろうな……。
そんな俺がIT企業に入って大丈夫なのか。
採用面接でも何度か確認した。
未経験でも大丈夫ですか、と。
大丈夫だと言われた。
後から知ったのだが、同期のIT職でも文系出身でIT未経験の人は半分くらいいるらしい。
──もっと早く教えてほしかった。
研修もあると言われたが、それでも不安だった。
ところが四月に入社してみると、いきなり黒い画面の前に座らされることはなかった。
最初の二か月は研修。
会社のこと。
社会人としての基本。
そしてITの基礎。
もちろんプログラミングもやった。
同期の理系出身者のタイピングの速さには正直ビビった。
あの威圧的なタイピング音、エンターキーを押す勢いに、研修についていけるのか心配になった。
ただ、講師は会社の先輩ではなく、専門学校などで教えているプロの先生で、まったく何も知らない俺たちにも分かりやすく説明してくれた。
研修の中で班に分かれて課題に取り組むことになった。
サッカー事業部のメンバーはほぼ全員文系出身なので、バラバラに班分けされた。
同じ班にも文系出身の社員がいたので引け目を感じず、一緒に分からないところを先生に聞きながら何とか課題をクリアできた。
研修を受けて少しだけ分かった。
ITの仕事は、いきなり訳の分からない文字をパソコンに打ち込む仕事じゃない。
何を作りたいのか。
何が必要なのか。
どうすれば実現できるのか。
それを順番に整理する。
やりたいことを設計書として言葉にする。
その設計書を元にプログラムを書く。
もちろん、俺が知らないことは山ほどある。
というか、知らないことの方が圧倒的に多い。
それでも二か月前の、
『俺にITなんてできるのか?』
から、
『難しいけど、頑張れば何とかなるかもしれない』
くらいには変わった。
ついでに、いつの間にかブラインドタッチができるようになっていた。慣れとは恐ろしい。
六月に入って研修期間が終わり、俺も正式に部署へ配属された。
とはいっても、いきなり一人で仕事を任されるわけではない。
今は先輩について実際の仕事を教えてもらうOJTの真っ最中だ。
半分研修。
半分仕事。
そんな感じだと思う。
研修で見たような設計書が本当に使われていた時は、ちょっと感動した。
しかし、内容が複雑で理解できなかったが……。
逆に、研修では綺麗に整理されていた要望が、実際の仕事では全然綺麗に整理されていないことにも驚いた。
「鈴木君、これどういう意味だと思う?」
先輩が画面を見せてくる。
何やらお客様からの要望書らしいのだが、先輩でも何を希望されているか分からずに苦労した案件らしい。
見たことのない画面があり、そこには『登録』というラベルのボタンがある。
その前後にゴチャゴチャと書き込みがしてあるのだが、読み切れない……。
「えーっと……ここのボタンを押したら、登録できるようにしてほしいってことですか?」
「おお、良い線いってるね!」
「正解ですか?」
「残念。正解は、ボタンを押したらここに注意のメッセージを吹き出しで出してほしいっていう内容でした」
「えーっ、そんなのどこに書いてあるんですか?」
「実は書いてないんだよ。分からなかったからお客様に聞いたら、ようやく分かったんだ」
「そんなことあるんですね」
難しさにもいろいろあるみたいだ。
でも面白くないわけではない。
期待通りの動作をしてくれると嬉しい。
サッカーとは全然違う頭の使い方をする。
気がつけば十六時前になっていた。
「鈴木君、もう時間じゃない?」
「あ」
時計を見る。
十五時五十分。
急いで日報を書いて提出する。
「あ、すみません。じゃあ、今日は……」
「なんで謝るの?」
「え?」
「ここから練習でしょ?」
「はい」
「じゃあ鈴木君は、ここから別の仕事。行ってらっしゃい。頑張ってね!」
「あ……はい。先輩、課長、行ってきます!」
パソコンを閉じる。
まだ仕事をしている人たちの横を通って、ロッカールームへ向かう。
入社したばかりの頃は、これが少し申し訳なかった。
他のみんなが仕事をしているのに、自分だけ十六時になったら着替えてサッカーをする。
でも先輩たちは、
『それが鈴木君の仕事だから』
と言う。
ノードシードでは、サッカー部の活動も仕事だ。
仕事を早退して練習するわけじゃない。
十六時まではIT部門の社員。
そこからは京南FCの、サッカー事業部の選手。
まだ少し変な感じがする。
十分後。
グラウンドに出る。
「鈴木、遅いぞー」
キャプテンの長谷川の声がする。
今日は俺が一番最後だったみたいだ。
「練習開始は十六時十分だろ?」
「うん、間に合ってるよ」
「みんな早いな」
さっきまで設計書を見ていたのに、今度はサッカーだ。
本当に面白い会社だと思う。
◇
火曜日から金曜日も、基本的な生活は同じだ。
朝から十六時まで仕事。
十六時から十八時まで練習。
ただし、毎日同じ練習をするわけではない。
毎日肉体的に負荷の高い練習をしていたら、疲労が溜まり過ぎてしまう。
毎日岡本流エンドレスマラソンなんて無茶だ。
なので平日の練習は頭を使うものが多い。
最近はポジショニングについての練習が多い。
狭いエリアのミニゲームで、パスの受け方、出し方、動き方を学ぶのだ。
この練習自体は大学以前でもやっていたが、要求されるレベルが上がっている。
今までと同じやり方では、すぐにパスを取られてしまう。
正直、センターバックなのでそこまで考えてこなかったことも多く、練習でも結構頭を使って疲れてしまう。
ITとはまた違う頭の使い方だけども。
試合が近づけばフォーメーションの確認や、軽い調整になることもある。
AIトレーナーのデータを見て、別メニューになる選手もいる。
俺も一度、疲労が溜まっていると言われて練習を軽くされた。
自分では大丈夫だと思っていたので岡本監督に言ったら、
「休むのも練習や」
と一蹴された。
監督は怖い。
見た目も怖い。
声もでかい。
練習も厳しい。
でも大学時代に想像していた社会人サッカーとは、かなり違った。
そもそも京都府六部と聞いた時、正直もう少し緩いものを想像していた。
大学でそれなりに本気でサッカーをやってきた俺なら、余裕なんじゃないかとも思っていた。
全然そんなことはなかった。
長谷川は普通に上手い。
アカデミー出身って、やっぱりレベルが少し違う。
しかも周りをよく見ている。
試合中に俺が迷っていると、後ろからでも前からでも声が飛んでくる。
サッカー以外でも声をかけてくれるし、食堂のおばちゃんにモテモテだし、俺たちの頼れるキャプテンだと思う。
このチームに長谷川がいてくれて良かった。
他の選手も同じように感じているみたいだ。
そして、よく分からないのが友近だ。
「鈴木さーん! 一本お願いしまーす!」
「おう!」
ボールを蹴る。
友近が走る。
また走る。
あいつはまだ技術的には粗い。
トラップをミスすることもあるし、変なところにパスを出すこともある。
シュートは宇宙開発だし、目立つ欠点は多い。
だけど、めちゃくちゃ走ってくれる。
無駄走りもあるけど、友近の走りに助けられたことが何度もある。
友近は俺たち大学組とは違って近所の高校卒らしいけど、こんなに走るやつは見たことがない。
高校でも活躍したのか聞いたことがあるが、高校の時はフォワードだったらしい。
あの宇宙開発で……?
よく分からないが、人懐っこいからみんなにも可愛がられている気がする。
岡本監督も嬉しそうに友近を走らせている。
本人も楽しそうに走っている。
今の京南FCは六試合を終えて、三勝三分。
京都府六部の首位にいる。
連携面の問題や仕事との両立による疲労で勝ちきれないこともあったが、まだ負けていない。
正直、このメンバーが府六部にいるのは、ちょっと反則なんじゃないかと思う時がある。
でも俺たちが目指しているのは、ここじゃない。
社長は本気でプロまで行くと言っている。
最初に聞いた時は、さすがにそれは無理だろ、と思った。
今も、本当に行けるのかと聞かれたら分からない。
でも、もしかしたら。
そんなことを少しだけ思うようになってきた。
なので府六部にいるうちに、実力を伸ばしていかなければ。
◇
十八時。
練習終了。
ストレッチをして、シャワーを浴びる。
社員食堂で夕食を食べる。
基本的に朝以外はほぼ食堂で済ませている。
練習後すぐに食事が取れるのもありがたい。
アスリート用メニューなら、たんぱく質もしっかり取れる。
こころなしか以前より筋肉がついている気がするくらいだ。
他のメンバーも一緒に食べる。
サッカーの話題、仕事の話題と会話に尽きることがない。
サッカー部以外の人の利用も多いみたいだ。
この食堂は去年までなかったらしい。
なかったらと思うとゾッとする。
愛知から京都に出てきて初めての一人暮らしだった俺にとって、この食堂は本当にありがたい。
なので食後は全力でおばちゃんに感謝を伝えている。
そのおかげか、少しおばちゃんとも仲良くなれた気がする。
寮に帰る頃には、さすがに疲れている。
ただ、長谷川や一部の選手は、このあとトレーニングルームにもよく行っているみたいだ。
俺もたまに行くが、毎日は無理だ。
友近はまたグラウンドに戻って個人練習している。
あいつには疲れとかないのか……?
入社直後は風呂に入ったらそのまま寝てしまうことも多かった。
でも二か月経って、少しだけ頭も身体も慣れてきた。
「鈴木ー、やるぞー」
同期の部屋から声がする。
「ちょっと待って、着替える!」
俺は部屋に荷物を置いて、ゲーム機持参で同期の部屋へ向かった。
すでにいつもの三人が集まっていた。
こいつらはサッカー部ではない。
同じ四月に入社した普通の新入社員だ。
ここでワイワイと仕事や遊びの話をしながらゲームをするのが最近の楽しみだ。
オンラインでもできるが、顔を合わせてプレイする方が楽しい。
「今日、客先に初めてついて行ったけど緊張したわ」
営業部に配属された大橋君が話し出す。
「おお、何か喋った?」
「ちょっとだけ。一緒に行った隠岐さんって人がめちゃくちゃ喋りが上手くて、自然と喋れたわ。俺もいつかあれくらい喋りが上手くなれるかな?」
「あの人レベルはキツいんじゃない? 天性のものがあるでしょ」
「え、知ってんの?」
「あの人、サッカー事業部のスカウトだからね。俺もあの人に勧誘されたよ」
「マジで!?」
「ITの方はどうなん?」
「一応プログラム作ってる」
「あの謎の文字列か」
こいつは営業部所属だが、研修は一緒に受けたので最低限の知識はある。
営業するにもITの知識が求められるとは意外だった。
「このゲームとか、どういうプログラムで動いてるか分かんの?」
「いや、全く分からん」
「そんなもんか」
「そんなもんだ」
いくら仕事を続けても分かる気がしないが、いつか分かる日が来るんだろうか?
明日、先輩に聞いてみよう。
仕事して、サッカーして、寮に帰って同期とゲームする。
大変さはあるが、思っていたより普通だ。
こういう生活なら仕事とサッカー、本当に両方続けられるのかもしれない。
◇
週末、土曜日。
今日は公式戦だ。
会社に集合して、まとまって移動する。
部活の時みたいだ。
会場は府内なので、社用車に分乗しての移動だ。
ボールなどの荷物が多いので、大きい社用車で助かっている。
ちなみにドライバーは、免許を持っている人間の中からじゃんけんで決めている。
運転って結構疲れるので、是非とも勝ちたい。
友近はまだ免許を持っていないが、彼の運転は怖そうなのでまだ取らなくていい。
ただ、府内とはいっても最北端だと車で三時間くらいかかる。
その場合はバスと運転手さんを手配してくれるみたいだ。
そのうち京南FCのラッピングバスとかできたりするかな。
着いたら会場設営を手伝い、アップする。
広報部の人も毎回来てくれている。
──というか、一緒に社用車で来ている。
今度、京南FCのサイトを新設するらしい。
サイトができたら、一般の人で応援してくれる人も出てくるだろうか……。
今日みたいな遠い会場だと家族の観戦も少なくなり、ほとんど観客はいない。
観客がいないからといって手は抜かないが、いつか満員になればと思う。
アップ後、最終ミーティングをしてから試合をする。
その日のスタメンは当日のコンディションを見ながらここで発表されるから、気が抜けない。
また、今日一日は勤務扱いだ。
試合をすることも、俺の仕事なのだから。
不思議だ。
仕事としてサッカーをしているという点では、ちょっとしたプロと言えるかもしれない。
今日の試合も簡単ではなかった。
それでも京南FCが勝った。
無失点に抑えることができて、センターバックとして嬉しい。
試合が終われば会場の片付けを手伝い、帰社後にミーティング、身体のケアをして解散という流れ。
明日、明後日は休み。
休みといっても、競技者として最低限の身体のケアはやる必要がある。
それでも勝った試合の後の休みは最高だ。
これで七試合、四勝三分、首位。
順調だと思う。
ただ、岡本監督は試合後も、
「まだまだや!」
と言っていた。
この人が満足する日は来るんだろうか。
でも俺たちのことを本当によく見てくれていると思う。
優勝したら監督を胴上げしたいな。
落とさないように全力で受け止めないといけないけど。
◇
そして六月。
人生で初めての出来事があった。
ボーナスだ。
支給日が近づくと、先輩たちもどこかソワソワしているように感じる。
ボーナスの前に支給要項というものが送られてきた。
基本給×何倍、評価に応じて金額の増減もある、などと説明がきっちり書いてあり、こんな資料があるんだとビックリした。
もちろん四月に入社したばかりの俺たちは全額ではない。
それでも、俺の人生初のボーナス。
支給日。
どこかでうちの会社の支給日が漏れているらしく、保険やマンションの営業の人が会社の門の前に何人も来ていた。
商魂たくましいな……。
支給額を確認する。
「おお……」
思わず声が出た。
凄い。
毎月の給料以外にお金がもらえるなんて、不思議な感覚だ。
額は多くはないが、それでも嬉しいことに違いはない。
何に使おうか……。
ゲーム、服、ちょっといい飯などなど、欲しいものはいっぱいある。
でも最初のボーナスだし、ちょっと特別なことがしたいな。
そして結局、両親に使うことにした。
愛知の実家を出て京都に来る時、二人とも心配していた。
サッカーを続けることも。
IT企業に就職することも。
俺自身が不安だったんだから、親はもっと不安だったと思う。
だから、京都への旅行券を買った。
二人で来られる分。
そして京南FCの試合日程表も一緒に入れる。
あとは手紙。
『父さん、母さんへ。
初めてボーナスをもらったので、京都観光がてら京南に遊びに来てください。
仕事はまだ分からないことばかりだけど、少しずつ慣れてきました。
意外とITの仕事でもやっていけそうだと思っています。
でも仕事ってなかなか大変だな。新入社員の俺が言うのもなんだけど……。
こんな大変なことをしながら大学まで卒業させてくれてありがとう。
サッカーもちゃんと続けています。
社会人になるとレベルも上がるけど、何とか楽しくやれています。
試合の日程も入れておきます。
一度、試合を観に来てください。』
こんなもんかな。
少し恥ずかしい。
親に手紙を書くのは初めての経験だ。
送り先に自分の家の住所を書くのも何か変な感じがする。
全部入れて封をする。
中が見えないように厳重にのり付けだ。
寮の連中にバレないように、ささっと郵便ポストに出しに行く。
帰り道、夜の京南の町を歩きながら考える。
大学を卒業して愛知からここ京南に来た。
IT企業に入り仕事を覚えて、並行してサッカーをする。
週末には試合をし、月末には給料をもらう。
そして今日。
初めてボーナスをもらって、その金で両親に旅行を贈った。
社会人になるって、もっと急に何かが変わるものだと思っていた。
実際はそうでもない。
今でも分からないことばかりだ。
仕事では先輩に教えてもらっている。
サッカーだって、京南FCがこの先どこまで行けるのか分からない。
それでも、二か月前よりは少しだけ社会人になった気がした。




