1年目 第2話 休むのも練習だ
開幕戦で最高のスタートを切った京南FC。
そして翌週。
「走れー!」
岡本さんの声がグラウンドに響いていた。
毎週ではないが、余裕がある時は練習を見に行くようにしている。
だが、今日の練習は今までとは違った。
「もっと速いやろ! サボるな!」
選手たちが走る。
ひたすら走る。
ボールは使わない。
今日は休日。
午前中を丸々練習に当てる。
全員が揃って本格的に練習できるようになった岡本さんが、最初に力を入れたのは走ることだった。
「サッカーは走れんかったら話にならん!」
確かに、どれだけ上手くても大事なところにいないと意味がないもんな。
この間の試合ではウチの走力はなかなか凄いと思っていたのだが、岡本さん的にはまだまだみたいだ。
俺たちが目指しているのは京都府六部で勝つことじゃない。その先だ。
だから今のうちに基本になる走力を鍛えるらしい。
スタートは全員一緒だったが、周回が進むごとにバラバラになってきた。
一周何百メートルかは分からないが、もう十周以上走っている。
グラウンドを一周した長谷川が岡本さんの前を通ると、突然――。
「長谷川!」
「はい!」
「社長の下の名前は?」
「……悠真!」
「よし! 行け!」
長谷川が止まらず走っていく。
……。
何をやってるんだ?
次。
田中が来た。
「田中!」
「はい!」
「俺の初恋の人の名前は?」
「え、知りません!」
「よし! 行け!」
「いいんすか!?」
田中が困惑しながら走っていく。
やっぱり分からない。
「岡本さん」
「なんや?」
「何してるんですか?」
「見たら分かるやろ。走らせてんねん」
「そこじゃないです」
質問の方だ。
次の選手が来た。
「昨日の晩飯!」
「えーっと、カレー!」
「よし!」
次。
「今何周目や!」
「はい? 十三……?」
「多分あっとる! 行け!」
正解しなくてもいいのか。
本当に何なんだ。
「質問に意味あるんですか?」
「内容にはないで」
ないんだ。
「走ってる時って、しんどくなったら頭も回らんようになるやろ」
「ああ」
なるほど。
「返事の速さとか、声とか、顔とか見てんねん。ずっと走ってる奴を外から見てるだけより分かりやすい」
そういうことか。
心拍数や走行距離ならAIトレーナーでも分かる。
でも、選手本人が今どんな状態なのか。それを岡本さん自身も見ている。
「それで初恋の人の名前なんですか?」
「何でもええねん」
次の選手が来る。
「佐藤さんの誕生日!」
「えっ!?」
「早よ答えろ!」
「知らないです!」
「よし! 行け!」
少し離れたところにいた佐藤さんが、こっちに近づいてくる。
佐藤さんも練習をよく見に来ているみたいだ。
さすが選手に慕われることだけはある。
……ちょっと嫉妬。
「社長」
「俺じゃない」
先に言っておく。
「なんで私の誕生日なんですか?」
「質問は何でもいいんだって」
「ちなみに私の誕生日は九月七日なので、プレゼント期待していますね」
「え、……了解」
くそ、岡本さんのせいで謎の約束ができてしまったぞ。
まあ、普段の頑張りに応えて何か用意しておこう。
忘れていると一生食堂でスイーツが食べられなくなるかもしれないからな。
その後も選手たちは走り続けた。
そして岡本さんの前を通るたびに質問される。
ただ、友近は質問に答えるのも楽しそうだ。
「俺の初恋の人の名前は?」
「ひろ子ちゃん!」
「うお、何で当たるねん!」
「やったー!」
「お前は次ダッシュしてこい!」
「りょうかーい!」
ひろ子っていうのか……。
その後も質問は続く。
「好きな食べ物は?」
「焼肉!」
「行け!」
「会社の経営理念!」
「ITで社会に貢献する!」
「よし!」
「社長のいいところ三つ!」
「えっ!?」
おい、そこは即答しろ。
「三つもですか!?」
三つもってなんだ。
三つ程度ポンポン出るだろ。
覚えていろ。
しばらくすると、さっきまで笑いながら答えていた選手たちから少しずつ余裕がなくなっていく。
息が荒くなる。
返事が短くなる。
そして、一人の選手が岡本さんの前に来た。
「おい!」
「……はい」
「今日の朝飯は?」
「……」
選手が考える。
「……パン……と」
「終わり」
岡本さんがすぐに言った。
「歩け」
「え?」
「クールダウンして水分とれ。今日はそこまでや」
「いや、まだ走れます」
「走れるかどうか聞いてへん。歩いて息整えろ」
選手は少し不満そうだったが、言われた通りコースから外れた。
佐藤さんが飲み物とタオルを渡している。
なるほど。
質問に答えられるかを見るというより、状態を見ているのか。
その後も岡本さんは一人ずつ止めていった。
同じ距離ではない。
同じ時間でもない。
まだ走っている選手もいるし、もう終わって休んでいる選手もいる。
一人一人違う。
そして当然のように、友近はまだ走っていた。
「お前、何周目や!」
「分かりません!」
「数えとけ!」
「はい!」
元気だな。
田中と長谷川もまだ走っている。
先輩としての意地もあるんだろうな。
「お前は終わりや!」
岡本さんの声が響く。
別の選手が止められていた。
「え? 俺まだ全然いけますよ」
確かに、見た感じまだ少し余裕がありそうだ。
「今日は軽めにしとけ」
「なんでですか?」
岡本さんが手元を見る。
タブレット。
AIトレーナーのデータだ。
選手たちはウェアラブル端末を付けている。
運動量。
心拍。
睡眠。
体重。
体脂肪。
これまでのトレーニング負荷。
食事。
集められたデータから、AIが一人一人の状態を分析している。
「昨日、ちゃんと寝たか?」
「……寝ましたよ」
「何時間?」
「……五時間くらいです」
「寝てへんやないか」
「でも俺、身体は全然大丈夫です」
「昨日までの負荷も高い。今日は終わり」
「まだ走れますって」
「休め」
岡本さんが言った。
「休むのも練習や」
選手が黙る。
「今日無理して、明日動かれへんようになって何の意味があんねん。まして怪我したらもっと意味ないやろ」
「……はい」
「ストレッチしてこい」
「はい」
選手がコースから外れる。
俺はその様子を見ていた。
高校サッカーの監督だった頃、岡本さんは厳しい指導を売りにしていた。
選手を追い込んで、追い込んで、それが正しいと思っていた。
変わったってことなんだな。
今も選手を追い込んで走らせるところは一緒。
でも今は、無理をさせることと鍛えることをちゃんと分けようとしている。
「社長」
「ん?」
佐藤さんが隣に来た。
「岡本さん、ずっとデータと選手の両方を見てますよ」
本当だ。
選手にくだらない質問をしながら、顔を見る。
走り方を見る。
返事を聞く。
そしてタブレットの数字を見る。
AIだけでもない。
岡本さんだけでもない。
両方だ。
結構大変そうだな。
同じ人差し指操作でも、タブレットなら得意なのかな?
「意外と細かいんですね」
「本人に聞こえたら怒られるぞ」
「聞こえてるで」
聞こえてた。
「誰が大雑把や」
「言ってませんよ」
「顔に書いてあるわ」
書いてない。
たぶん。
「AIの数字だけ見てもあかん。逆に俺の感覚だけでもあかん」
岡本さんが走っている選手を見る。
「身体の状態は一人ずつ違う。鍛えるならちゃんと見たらなあかん」
そう言って、また叫ぶ。
「田中! ペースが落ちてるぞ!」
「はい!」
厳しい。
でも、無茶ではない。
その違いは大きいはずだ。
「今日はここまで!」
岡本さんの声が響く。
何とか走り続けていた選手も座り込み、天を仰ぐ。
友近もさすがに疲れた様子だ。
「クールダウン、ストレッチしっかりやれ」
岡本さんが選手一人一人に声をかけて回る。
「シャワー後にリカバリー食を用意してもらってるで。ちゃんと食べろよ」
食堂のおばちゃんにも協力してもらい、栄養面でのサポートもバッチリだ。
長谷川なんて、食堂のおばちゃんたちのちょっとしたアイドル状態だ。
それを聞いた友近がシャワールームに走っていった。
まだ元気なのかよ、あいつ。
疲れて動けない選手には長谷川が声をかけている。
田中もドリンクを渡したりと協力しているな。
ちゃんとチームになってきているようで嬉しい。
「社長、この後ミーティングして今日の練習はおしまいや」
「お、了解です。選手とタブレット両方見るの、なかなか大変ですよね。お疲れ様でした」
「せやな。いちいち選手の情報を切り替えたりするの面倒やわ。ようやく少し慣れたけど」
「選手たちの走力はどうですか?」
「まだまだやな。でも怪我せんように鍛えていくわ。スタミナは一朝一夕では身につかんしな」
「友近君はどうですか? 私から見ても最後まで元気でしたよ」
と佐藤さん。
「あいつはまだよう分からんな。とりあえずメキメキと走力が伸びているわ。もしかするとモノになるかもしれんで」
岡本さんは少し嬉しそうだ。
指導した選手が成長するのは楽しいだろうな。
「あ、タブレットの改善の方は開発に共有しておきますね。一覧で見られたり、特に注意が必要な選手を目立たせたりとかでどうですか?」
タブレットの件も佐藤さんがすかさずフォローする。
佐藤さんも最初とは違い、積極的に参加してくれるようになったな。
「よう分からんけど、頼むで」
「はい。サンプル画面できたら見せに行きますね」
「ほな」
岡本さんはミーティングルームへ歩いていった。
さすがにミーティングにまで社長がいると邪魔だろう。
俺も帰るとしよう。
「佐藤さんはミーティングも見ていくの?」
「行くわけないじゃないですか。みんな半裸だったりするのに」
確かに。
レディに対して失礼でしたね。
こんだけ練習した後なら、まだ着替えてない選手もいるだろうしな。
「だったらこの後、昼飯でも食べに行くか? 日頃のお礼も兼ねて」
「え、私が、社長とですか!?」
何その反応。
俺だって傷つくんだぞ。
「嫌ならいいぞ」
「どうせなら今度、高いお店をごちそうしてください。新鋭のIT企業の社長御用達のお店に」
「社長にどんなイメージ持ってるんだよ。まあ、俺が普段行くような店なら別にいいけど」
「ありがとうございます。ではまた今度。今日は失礼しまーす」
そう言って足早に去っていった。
……佐藤さんは置いておいて、やはり練習を見に来るのはいいな。
岡本さんのやり方や、選手たちの様子がよく分かる。
◇
ちなみに、この走り込みはその日だけでは終わらなかった。
選手の疲労状態を見ながら定期的に行われ、岡本流エンドレスマラソン――友近命名――として、京南FCに根付いていった。
この特訓の成果がはっきりと現れるのは、もう少し先のことになる。
そもそもスタミナは一朝一夕で身につくものじゃない。
それに今のカテゴリーでは、京南FCの戦力が頭一つ以上抜けている。
走力の差が勝敗を分けるような試合自体、まだほとんどなかった。
ただ、その成果が現れた時。
この走力は、京南FCの大きな武器になった。




