0年目 閑話 息子の就職
閑話 息子の就職
「ただいまー!」
玄関から拓海の声が聞こえた。
今日はノードシードという会社の最終面接の日。
新しい会社だけど、地元では結構大きな会社だし、本人もここに入りたいと言っていた。
最終面接まで進んだと聞いた時は嬉しかったけど、ここまで来たらやっぱり受かってほしい。
「おかえり。面接どうやった――」
玄関まで出迎えて。
私は固まった。
なぜなら拓海の格好が、見たことのないトレーニングウェアだったから。
しかし、質問するよりも早く息子が興奮気味に満面の笑みでしゃべりだす。
「母さん! 就職決まった!!」
「えっ!?」
さっきまでの疑問が全部吹き飛んだ。
「ほんまに!?」
「うん! 内定!」
「良かったやん!」
すごい! 自分のことのように嬉しい!!
ん? でも内定って、面接したその日にもらえるものだったかしら……?
「そんなに早く内定ってもらえるものなの?
あと、……あんた、その格好何?」
「え?」
拓海が自分の格好を見る。
紫色のトレーニングウェア。
胸には見たことのないエンブレム。
「今日、ちゃんとスーツで行ったよね?」
「うん」
「なんでサッカーの格好で帰ってきてんの?」
「いや、あの、面接やってると急にサッカーすることになって……
そしたら内定って……」
「あんた、ちゃんとノードシードの面接に行ったんだろうね?」
私も混乱してきた。
我が息子に一体何があったんだろうか……?
と、混乱しているところに電話が鳴る。
頭がこんがらがっているが、電話に出る。
「はい、友近でございます」
「お世話になります。株式会社ノードシードの佐藤と申します。拓海様はご在宅でしょうか?」
電話の相手は、今噂のノードシードからだった。
今かかってくるということは、面接に行ったのは間違いないってことね。
「はい、拓海はちょうど帰ってきたところです。
代わりますね」
「ありがとうございます。お願いいたします」
「拓海、そのノードシードの佐藤さんから電話よ」
と、拓海に代わる。
横で見ているが、拓海は声が大きいので内容が丸わかりだ。
「すみません、嬉しすぎてスーツや鞄一式忘れました!」
「いえ、こちらから取りに行きます!」
「内定の書類……はい」
「印鑑もですね」
「明後日の10時、了解です」
「はい、今後ともよろしくお願いします、佐藤さん!」
内容だけ聞いていると、内定をもらったというのは本当みたいだ。
「ありがとうございました。失礼します!」
電話が終わったようだ。
「明後日、もう一度ノードシードに行ってくるよ! スーツ取りに行くのと、内定の書類ももらってくる!」
「分かったわ。全部聞こえてたわよ」
「やっただろ!?」
と、再度満面の笑み。
そうだ。
気になるところはあるが、ちゃんとお祝いしてあげないと。
「良かったわ〜、おめでとう!」
思わず声が大きくなった。
良かった。
本当に良かった。
高校を卒業したら働くと言って、今年に入ってから何社か受けていた。
なかなか決まらず、本人はあまり気にしていないように見えたけど、親としてはやっぱり心配だった。
それがようやく決まった。
しかも、本人が入りたいと言っていた会社。
「良かったなぁ。お父さんにも連絡せな」
ちょっと泣いちゃいそう。
「うん。
そして会社で京南FCに入る」
「……何?」
聞いたことのない名前だ。
「京南FC」
「それ何?」
「会社のサッカー部」
「……あんた、会社の面接受けに行ったんやんな?」
「そうやで」
「なんでサッカー部に入る話になってんの?」
「なんか社長に誘われた」
「社長に?」
「うん」
よく分からない。
私はとりあえず拓海をリビングへ連れていった。
詳しく話を聞く。
最終面接を受けた。
そこまでは分かる。
ところが面接の途中で、社長からこのあと時間があるかと聞かれたらしい。
面接が全部終わるまで待っていると、今度はサッカー部の監督とスカウトという人がやってきた。
サッカーについて色々聞かれた。
そのあとグラウンドへ行った。
服と靴を借りた。
他の選手とサッカーをした。
そして。
「京南FCでサッカーするなら、うちに来ないかって」
「……それで?」
「やりますって言った」
「その場で?」
「うん、速攻で」
この子は。
もうちょっと考えなさいよ。
「ちゃんと仕事もするんやろ?」
「するで。普通に会社で働きながらサッカーするらしい」
「お給料は?」
「普通の社員と一緒やって」
「ほんまに?」
「社長が言ってた」
だったら、悪い話ではないのかもしれない。
ノードシードについては、拓海が受けると決めた時に私も少し調べた。
地元の会社だし、名前も知っていた。
お父さんも会社のことを調べて、
「ここなら大丈夫ちゃうか。俺のとこよりもいいで」
と言っていた。
そこに就職できて。
しかも、サッカーも続けられる。
「良かったやん」
「やろ?」
拓海が嬉しそうに笑った。
その顔を見て、私も笑った。
この子は昔からサッカーが好きだった。
小学生の頃からずっと。
中学でも。
高校でも。
でも。
特別な選手だったわけではない。
試合には出ていた。
でも、本気というよりは好きで楽しんでいる雰囲気だった。
だから高校を卒業したら働く。
サッカーは趣味で続けられたらいい。
そんな話をしていた。
私もそうなるんだと思っていた。
もう毎週のように試合を見に行くこともなくなる。
泥だらけのユニフォームを洗うこともなくなる。
そう考えると。
少しだけ寂しい気もしていた。
それが。
「まだサッカーできるんやな」
私が言うと、拓海が笑った。
「うん。本気でやるで」
「仕事もちゃんとしいや」
「分かってるって」
本当に分かってるんだか。
まあ、いいか。
好きなことを続けられる場所が見つかった。
ちゃんとした会社に就職も決まった。
親としては、それで十分だ。
「あ、そうや。
俺、スーツ忘れてきた」
「せやな」
「革靴も鞄も一式忘れてしもたわ」
と笑う拓海。
私はため息をついた。
こんな息子を採用してくれるなんて。
ノードシードという会社。
本当に大丈夫なんだろうか。
いや。
心配するところが逆か。
会社の方が、拓海で大丈夫なんだろうか。
その日の夜。
帰ってきたお父さんに、拓海の就職が決まったことを話した。
もちろん喜んだ。
そして。
サッカー部に入ること。
面接のあとにサッカーをしたこと。
借りたトレーニングウェアのまま帰ってきたこと。
スーツを会社に忘れてきたこと。
全部話した。
お父さんはしばらく黙ったあと、
「……ほんまに内定なんやろな?」
と言った。
私も少し不安になった。
拓海だけは、
「内定やって!」
と借りたトレーニングウェアを見ながら笑っていた。
◇
この時の私は。
ただ、安心していた。
息子の就職先が決まったこと。
大好きだったサッカーを、もう少し続けられること。
それだけで十分だった。




