第5話:闇の蜘蛛糸と、崩壊の序曲
長男レオンの右腕が永久不全に追い込まれたという報せは、ソノリア侯爵本家を大激震させた。
夜の静寂に包まれたソノリア本邸の最奥。煌びやかな執務室で、第一妻エレノアは高級磁器のティーカップを床に叩きつけて破砕させた。
「……なんですって……? レオンの右腕が二度と使えない……治癒魔法でも治らないですって!? 一体どういうこと!?」
冷や汗を流しながら平伏するのは、ソノリア家専属の暗殺部隊長・バルザ。
「は、はい……学園の最高峰の回復術士すら『呪いに近い概念的な破壊だ』と首を振るばかりで……。さらに、あのマリアめは『次はエレノア様の首だ』と……」
「あのドブネズミのガキがぁぁぁっ!!」
エレノアの優雅な面容が、般若のような醜悪な怒りで歪んだ。10年前、別館で毒を盛って殺したミラ。その死に損ないの無能が、牙を隠して自分たちの喉元に食らいついてきたのだ。
「裏社会の最大ギルド『漆黒の蜘蛛』へ即座に連絡しなさい! 報酬はいくらでも積む! あの化け物を……マリアを今すぐ肉塊に変えて寄こしなさい!!」
◆ ◆ ◆
同じ頃。王都の最下層、陽の光すら届かないスラム街の地下空間。
無数の骸骨と鉄格子が並ぶ『漆黒の蜘蛛』の本部にて、頭目の男・ガルバは、提示された破格の指名手配書を眺めて鼻で笑っていた。
「侯爵家の第一妻からの極秘依頼か。標的は15歳の無能貴族……報酬は金貨五千枚。くくっ、随分と太っ腹なババアだ」
ガルバの背後に、十数名の精鋭暗殺者たちが影となって蠢く。いずれも国家指名手配級の殺人鬼たちだ。
「頭目、いつ動きますか? 学園の寮へ忍び込めば一晩で……」
「待つ必要はない。今夜すぐに——」
ガルバが言いかけた、その時だった。
ギィ……と、地下室の重い鉄扉が、音もなく勝手に開いた。
「誰だぁっ!?」
暗殺者たちが一斉に凶器を構える。 だが、入ってきたのは大軍でも騎士団でもなかった。
一人の、華奢で可憐な黒髪の少年——マリア・ソノリア。
そしてその背後に控える、かつて『影刃』と呼ばれ裏社会の伝説と化していた男、ヴォルクの二人だけだった。
「やあ。僕を探す手間が省けてよかったですね」
マリアは鈴を転がすような声で微笑みながら、血臭の立ち込める地下室へ悠々と歩み進んできた。
「な……マリア・ソノリア……!? なぜここが分かった……!?」
ガルバが顔を強張らせる。ここは王都最強の暗殺ギルドのアジト。結界と迷宮で守られた絶対不可侵の闇の領域のはずだ。
「ヴォルクに昔のツテを辿らせれば、この程度のドブネズミの巣窟、すぐに見つかりますよ」
マリアは可憐な動作で首を傾げると、ガルバのデスクの前に置かれた依頼書——自分自身の顔写真が描かれた紙を指差した。
「エレノアババアからの依頼ですね。金貨五千枚……僕の首も、案外安く買われたものだ」
「ハッ……! 理由はどうあれ、自ら死に地獄へ飛び込んでくるとは好都合だ! 野郎ども、殺せぇっ! 首だけでいい、切り落とせ!!」
ガルバの号令とともに、十数人の超一級の暗殺者たちが一斉に躍進した。 毒塗りの短剣、不可視のワイヤー、音もなく放たれるボウガン。あらゆる『死』の手段が、マリアの全方位から殺到する。
だが、マリアは瞳一つ動かさなかった。
「——ヴォルク。掃除の時間だ」
「御意」
黒い影が爆発した。
元Sランク『影刃』ヴォルクの身体運動に、『思創』で生成された【摩擦ゼロの加速力場】が重ね合わされる。
音速を超えたヴォルクの影が交錯した瞬間——
ガキィンッ! サクッ! ドサッ!
「が……っ!?」「な、なにが……」「目にも……見え……」
わずか二秒。
ガルバが瞬きをする一瞬の間に、部屋にいた精鋭暗殺者十二名の首が、同時に床へ転がった。血の噴水が地下室の壁を真っ赤に染め上げる。
「ひ……ひいいいぃぃぃっ!!??!?」
ガルバは腰を抜かし、尻餅をついたままガタガタと震え上がった。自分のギルドが誇る最強の刺客たちが、手も足も出ずに一瞬で全滅したのだ。
絶望に包まれる部屋の中、マリアは血で汚れていない床を選びながら、ガルバの前へと歩み寄った。
——【思創:絶対可聴領域・音素遮断】
部屋全体から一切の外部への音が消え去る。完全なる密室。
「ひっ……助けて……助けてくれ……っ! 頼む、金なら……!」
命乞いをするギルド頭目の頭を、マリアは小さな手で優しく撫でた。その手つきはまるで、愛くるしい小動物を愛でるかのようだった。
「殺しませんよ、ガルバさん。……貴方には、とても大切な『お仕事』がありますから」
「お……仕事……?」
「ええ。エレノアババアに報告してください。『マリア・ソノリアの暗殺は無事に成功した。首は薬品で腐敗処理して持ち帰る』……とね」
マリアの唇が、妖しく、美しく歪む。
「そして……僕が創り出す『偽の首』と『特製の毒薬』を持って、ソノリア侯爵家の勝利の宴へ向かうんです。……分かりますね?」
「あ……あ……っ! 偽の勝利に酔わせたところで……本家を内部から一網打尽に……!?」
「ふふ、察しが良くて助かります」
——【思創:精神寄生・絶対服従付与】
マリアの指先から、目に見えない透明な概念の糸がガルバの脳幹へと打ち込まれた。
ガルバの瞳から光が消え、まるで精巧な人形のように無機質な表情へと変わる。
「……御意……我が主……。エレノア様を……ソノリア侯爵家を……地獄へ案内いたします……」
操り人形となったギルド頭目の返事を聞き、マリアは満足そうに微笑んだ。
窓のない地下室の暗闇の中、復讐の網はソノリア侯爵家の全体へと完璧に張り巡らされた。10年の沈黙を経て放たれた牙が、いよいよ侯爵家という腐った巨木を根本から倒しにかかる。
「さあ、宴の準備を始めようか、ヴォルク。……最高の舞台を用意してあげないとね」
「御意に、マリア様」
暗闇の中で重なる二つの影。ソノリア侯爵家の終焉へのカウントダウンが、静かに、そして確実に刻まれ始めていた。




