第6話:絶望の偽宴と、終わりの始まり
ソノリア侯爵本邸の貴賓室は、歓喜と酒香に満ちあふれていた。
「見事ですわ、ガルバ。あの忌々しいドブネズミの首を確実に落としてくれたこと、褒めて遣わします」
絢爛豪華なドレスに身を包んだ第一妻エレノアは、高笑いを上げながら金貨がぎっしりと詰まった袋をテーブルに投げつけた。
その前には、目から光を失った暗殺ギルドの頭目ガルバが佇んでいる。テーブルの上には、薬品処理され黒布に包まれた『マリアの首』とされる箱と、祝杯用の極上ワインのボトルが置かれていた。
「これにてソノリア家の憂いは全て去りました。右腕を傷つけられたレオンの無念も、少しは晴れましょう」
エレノアはワイングラスを掲げ、傍らに立つ重臣たちや右腕を包帯でガチガチに固めたレオンへと向き直る。
「さあ皆様、我がソノリア家の完全なる勝利と、未来に乾杯を——」
グラスを口元へ運ぼうとしたその瞬間。
カツン、カツン、と。
固い靴底が石畳を鳴らす静かな足音が、誰もいないはずの廊下から響き渡った。
「勝利の乾杯とは、気が早すぎやしませんか、エレノアババア」
「な……っ!?」
エレノアの手からグラスが滑り落ち、床で甲高い音を立てて砕け散った。
扉を押し開けて入ってきたのは、黒い静寂を纏った少女——いや、可憐な面容をした少年、マリア・ソノリアだった。背後には静まり返った影のようにヴォルクが従っている。
「な、なぜ……!? 貴様は殺されたはず……! ガルバ、これはどういうことだ!?」
エレノアが叫ぶ。しかし、ガルバは一切動じず、無機質な声で短く呟いた。
「……命令完了。これより……『偽宴の収穫』を開始する」
瞬間、ガルバの体から漆黒の魔力が吹き出し、室内の扉と窓が重厚な概念結界によって一瞬で完全封鎖された。逃げ場は、どこにもない。
「ひ……ヒィッ!? マリア……お前、また俺の前に立ち塞がる気か!?」
右腕を失ったレオンが、恐怖のあまり顔を蒼白にして後ずさる。
マリアは可憐な笑みを浮かべたまま、ゆっくりとエレノアの前へと歩み寄った。その一歩ごとに、部屋全体の空気が絶対零度の圧迫感へと変貌していく。
「10年前……この部屋で、あなた方は母さんから全てを奪い、毒殺しましたね」
「くっ……たかが側室の女一人! 無能を生んだ落ちこぼれに相応しい末路だったまでよ! 控えなさい、この面汚しが!!」
エレノアが狂乱し、懐から護身用の魔導短剣を抜き放つ。
だが、マリアは静かに一言、呟くだけだった。
——【思創:概念定着・因果逆転】
パチン、と指が鳴る。
「あ……あが……っ!?」
エレノアの手から短剣がこぼれ落ちた。次の瞬間、彼女の皮膚の表面に、赤黒い斑点と激しい腐蝕が爆発的に広がり始めた。10年前にマリアの母・ミラに盛られた毒と全く同じ症状が、彼女の身体を蝕んでいく。
「な……にを……私に……っ!?」
「あなたが母さんに使った特製毒『絶絶』の概念を、あなたの全身の細胞に直接『創り出し』ました。治癒魔法も、解毒薬も効きません。……母さんが苦しんだ時間の分だけ、じっくりと味わってください」
「ぎゃあああああぁぁぁぁっ!!」
床に転がり、顔を掻きむしりながら狂乱の悲鳴を上げるエレノア。
重臣たちやレオンが恐怖で腰を抜かし、壁際に固まってガタガタと震える。マリアはそんな哀れな家族たちを見下ろし、冷徹な瞳で告げた。
「安心してください。ソノリア侯爵家の罪はすべて告発し、財産は全て没収させました。明日には騎士団がこの邸宅を差し押さえに来ます。……ソノリア家は、今日この瞬間をもって滅亡です」
復讐は完遂された。10年間、胸の奥で燃え続けていた暗い業火が、静かに鎮まっていくのを感じる。
「行こう、ヴォルク。……ここにはもう、僕の探すものは何もない」
「御意。……マリア様、これよりはいずこへ?」
マリアは窓の結界を指先ひとつで消し去ると、夜空に浮かぶ満月を見上げた。その瞳には、もはや過去の遺恨はなく、どこまでも広い世界への知的好奇心が宿っていた。
「学園で得られる知識はあらかた奪った。次は……この世界の『外』だ。ギルドで冒険者登録をして、世界中の未踏の遺跡や古代魔法を巡る旅に出よう」
「クク……冒険者、ですか。主の力があれば、神々の領域すら踏破できそうですな」
「ふふ、楽しみだね。……さあ、新しい物語の始まりだ」
絶叫と絶望が渦巻く侯爵邸を背に、黒髪の少年は夜の闇へと飛び立った。復讐の終わりは、世界を統べる至高の冒険者としての、新たなる伝説の幕開けに過ぎなかった。




