第81話:淳志、噂に飛びつく
箕輪を焼いてから、ひと月が経った。
藤次郎は代官として、毎日のように村を回っている。焼け出された百姓に種籾を貸して、壊れた用水を直させて、日が暮れると泥だらけの顔で戻ってくる。
「小鳥遊様、本日は三か村を回り申した」
爺さんのくせに、俺より働いてるんじゃないかねえ。
五郎は、千五百石の知行を前にして頭を抱えていた。
「旦那ぁ、千五百石ってのは、どう数えりゃいいんで? あっしは二百石の時でも、よう分かっとらんかったんですぜ」
「藤次郎に聞け」
「へい……」
甚八の首は、婆さんの村の墓の隣に埋めた。
弔いを済ませた次の日、十五、六の痩せた若いのが、俺の前に膝をついた。
「甚八の弟の、甚九にござります。兄の代わりに、殿の馬を引かせてくだせえ」
兄貴と同じで、口数の少なそうな奴だった。顔の作りも、どことなく似ている。
「死ぬ……」
なよ、と言いかけて、やめた。甚八にも、同じことを言ったからだ。
「……馬の世話、ちゃんとしろよ」
「へい」
◇
それから何日かして、箕輪の焼け跡の近くにできた市に、妙な格好の男がやってきた。
白い装束に烏帽子をかぶって、手に持った鈴をしゃんしゃん鳴らしながら、大声で何か触れ回っている。
「なんだ、あれ」
「鹿島の事触れにござるな」
隣にいた藤次郎が教えてくれた。常陸の鹿島の神人が、神様のお告げを諸国に触れ歩いているんだそうだ。宣伝マンみたいなもんかねえ。
男は市の真ん中で立ち止まると、ひときわ大きな声を張り上げた。
「鹿島の大神、藤原の姫君をお守りあそばす! 姫君は異国の衣をまとい、その手より光を放ちて、病を癒やすと申す!」
俺は、齧りかけの干し柿を落とした。
藤原。異国の衣。手から光。
異国の衣ってのは、ブレザーのことだろ。手から光ってのは、ヒールだ。藤原ってのは、そのまんまだ。
「……ミクだ」
藤次郎が、怪訝な顔でこっちを見ていた。
こっちに落ちてきて、もうすぐ一年になる。名前を轟かせれば向こうから見つけてくれる、なんて割り切ったつもりでいたけど、本当は毎晩のように考えていた。
どこかで腹を空かせてないか。変な奴に騙されてないか。
……いや、騙されるのは相手の方か。
とにかく、手がかりらしい手がかりは、これが初めてだった。
◇
次の日には、高梨の館にいた。
事情を話すと、政継はいつもの困ったような顔で笑った。
「鹿島は常陸の果てぞ。間には武蔵も下総もある。北条も、里見も、そなたを黙って通しはせぬ」
「通してもらうつもりはないですよ。通るだけで」
「……困ったのう」
政継はしばらく俺の顔を見てから、後ろに控えていた若いのを手招きした。
「小次郎。そなた、小鳥遊殿に付いて行け」
「は、ははっ……え、そ、それがしが、でござるか」
政継の甥の、高梨小次郎継光だ。元服したばかりの十六、七で、もう顔が真っ青になっている。その後ろで、付き人の沢村勘解由がぴんと背筋を伸ばしていた。
要するに、お目付け役ってことだ。俺が勝手に常陸あたりで国を一つ二つ喰わないように、ってことかねえ。
「速さが要るんで、大勢は連れて行きません。十騎で行きます」
「十騎で、北条と里見の間を抜けると申すか」
「抜けるだけなら、十騎の方が速いんで」
政継は深いため息をついて、それから小さく頷いた。
「一つだけ言うておく。碓氷の向こうで、武田の動きがどうも妙じゃ。長野の旗頭が消えたのを、晴信が見逃すとは思えぬ」
「なるべく早く戻ります」
「……そなたの『なるべく』ほど、当てにならぬものはないのう」
困った顔のまま、政継は少しだけ笑った。
◇
十騎は、俺が選んだ。
まず五郎。
藤次郎の息子の源三郎と、そのお守り役の戸田新八。
小太郎の従弟で、無口な権之丞。浦部の古参の柴田弥兵衛。
婆さんの村の村長の倅で、弓の上手い太助。
武蔵や下総の道に詳しい、元長野方の大戸右近。
それに、政継に押し付けられた小次郎と勘解由。
最後の一人は、鬼頭与一郎だった。浦部の城で、俺が一騎打ちで討った鬼頭兵庫助の息子だ。
「親父の仇の下に付いて、いいのか」
「父より強い男の下で、その強さを盗みとうござる」
十八の若造が、まっすぐ俺を見てそう言った。親父の兵庫助も、こういう目をしてたなあ。
◇
出立の朝、甚九が馬の轡を取ってきた。
「甚九。お前は留守番だ」
甚九の手が、轡を握ったまま止まった。
「……おら、付いていけねえですか」
「騎馬で駆け通す。走って付いてこられる距離じゃない」
甚九は唇を噛んで、それでも轡を俺に渡して、一歩下がった。兄貴だったら、きっと同じ顔をしただろう。
「帰ってくるまで、馬小屋をちゃんとしとけ。帰ったら、お前に引かせる」
「……へい!」
それでいい。
門の前では、藤次郎と小太郎が見送りに立っていた。
「長野の跡は、確かにお預かりいたす。源三郎、殿の足を引っ張るでないぞ」
「父上こそ、村回りで腰を痛められませぬよう」
源三郎はけらけら笑っていた。小太郎は、具足を鳴らさないように気をつけながら、深々と頭を下げていた。少しは慣れたらしい。
◇
上野から武蔵へ入る。
北条の城は避けて、大戸右近の案内で、裏道と川筋を抜けていく。右近は元長野方で、武蔵の道なら獣道まで知っているという。長野が滅びたとたん、俺に乗り換えてきた現実的な男だ。そういう奴は、案外信用できる。
道中、源三郎はずっと楽しそうだった。小次郎はずっと青い顔だった。権之丞は一言も喋らなかったが、気がつくと、いつも俺の背中側にいた。
夜は川原で野営した。弥兵衛が若い連中を怒鳴りつけながら馬の世話を仕切って、太助がどこからか兎を二羽仕留めてきた。焼いた兎を囲んでいると、勘解由が小次郎に箸の持ち方で小言を言い始めて、小次郎は半泣きになっていた。
騒がしい連中だなあ。でも、悪くない。
五日目に、下総の手前の川に出た。
渡しの向こう岸に、旗がずらりと並んでいた。
右近が馬を寄せてきて、低い声で言った。
「……里見の旗にござる」




