第80話:美玖比売、ゴボウを洗う
根須が片付いて、春になった頃です。義賢さんが、観音寺から篁のお城に挨拶に来たんですよ。六角は千代ちゃんの家来ですからね。お土産は、もちろん甘葛の羊羹でした。分かってますねぇ。
千代ちゃんと並んで一切れずつ食べてたら、義賢さんがほっとしたように笑ってました。
「比売さまのお口に合うたようで、何よりにござる」
この人、観音寺の時からずいぶん顔色が良くなりましたね。家来になって、肩の荷が下りたのかもしれません。
義賢さんが持ってきたお話は、二つありました。
一つ目は、北近江の浅井さんのことです。
「浅井は先代より六角に従うておりまする。その証として、嫡男の猿夜叉丸に、平井定武が娘を娶せる約定がございました。六角が千代姫様の家来となった以上、この縁組も、千代姫様のお許しを得ねばなりませぬ」
千代ちゃんが、ちらっと私の方を見ます。頷いてあげると、千代ちゃんは義賢さんと、後ろに控えてた平井さんに向き直りました。
「よしなに」
平井さんが、深々と頭を下げてました。
何日かして、浅井の当主の久政さんが、十歳くらいの男の子を連れて挨拶に来ました。久政さんは広間に入ってくるなり、額が床につくくらい平伏して、千代ちゃんへの挨拶の口上を、何度もつっかえながら言ってました。その横で、男の子は緊張でかちこちになってるんです。この子が猿夜叉丸くん。のちの浅井長政ですね。
教科書だと、この人、平井さんの娘さんと結婚したのに、六角と手を切る時に実家へ送り返しちゃうんですよ。
帰り際、私は猿夜叉丸くんの前にしゃがんで、にっこり笑ってあげました。
「平井さんの娘さん、大事にしてあげてくださいね。大事にしないと、あなた死んじゃいますからね?」
猿夜叉丸くん、なんのことか分からないまま、真っ白な顔でこくこく頷いてました。後ろで久政さんも同じ顔をしてて、さらにその後ろで、平井さんが泣きそうな顔で頭を下げてました。娘さん思いなんですねぇ。
◇
二つ目のお話は、将軍様のことでした。
「公方様が、朽木より御内書を寄越されました。篁に、上洛の兵を出せと」
将軍の足利義輝さんは、三好さんに京を追い出されて、近江の朽木に逃げてきてるんです。六角が篁の家来になったって聞いて、篁を使って京に戻りたいんでしょうね。
内蔵助は、御内書を両手で捧げ持ったまま、ぷるぷる震えてました。
「く、公方様直々の御内書にござりまするぞ……」
そうは言っても、教科書だと、室町幕府ってあと二十年もしないうちに終わっちゃうんですよね。そう思うと、あんまりありがたみがないんです。
内蔵助と義賢さんが、どう返事をするかで唸ってるうちに、待ちきれなくなったのか、将軍様の方からお忍びで篁のお城に来ちゃいました。
二十歳になるかならないかくらいの、背の高い若い人です。
「公方様は、剣の腕では天下に並ぶ者なしと言われるお方にござる」
蒲生のお爺さんが、小声で教えてくれました。
将軍様は上座にどっかり座るなり、千代ちゃんを見下ろして言ったんです。
「篁の当主とは、この小娘か。予の上洛の先陣を申し付ける。三好を討ち果たした暁には、近江半国の守護に取り立ててやろう」
広間が、しーんとしました。
取り立ててやる、ですって。六角を家来にしてる家に、近江半国ですって。
千代ちゃんが口を開く前に、私は立ち上がって、将軍様の前まで歩いていきました。
「女。予を誰と心得る」
「将軍様ですよね。でも、千代ちゃんのこと小娘って言いましたよね」
将軍様が、すらりと刀を抜きました。さすが剣豪将軍、構えがきれいです。
私は収納から、台所でもらってきたゴボウを一本出しました。まだ土がついたままのやつです。
将軍様が踏み込んでくるより先に、ゴボウを胴に叩きつけました。手とか顔に当てたら、たぶん死んじゃいますからね。
バチーン!
将軍様の体がくの字に折れて、刀が手からすっぽ抜けて、拾って捨てたら天井に刺さりました。
バチーン! バチーン! バチーン!
脇腹、背中、お尻。叩くたびに、将軍様が上座の上でぴょんぴょん跳ねるんです。それに、叩くたびにゴボウの土がぱらぱら落ちて、どんどんきれいになっていくんですよね。
「あ、これ、ゴボウの土を落とすのにちょうどいいですねー」
バチーン!
最後の一発で、将軍様は上座から転げ落ちて、畳の上で丸くなったまま動かなくなっちゃいました。
私は、せっかく死なないようにしたのに、将軍様が動かなくなったので、首もらっとこうかなって思ったんです。
義賢さんと内蔵助が、真っ青な顔で千代ちゃんの方を見ました。比売さまを止めてくだされ、って顔に書いてあるんですよ。
千代ちゃんは、すっと立ち上がりました。それから、傍に控えてた弥平次の腰から脇差を抜いて、両手で私に差し出してくれたんです。
「ミク姉さま、どうぞ」
広間にいた全員の顔に、同じことが書いてありました。
姫ええええ?
義賢さんも、内蔵助も、蒲生のお爺さんも、六角の家臣さんたちも、みんな口をぱくぱくさせてます。弥平次だけは、空っぽになった鞘を見下ろして固まってました。
私が脇差を受け取って将軍様の横にしゃがんだところで、ようやく皆さん我に返ったみたいで、一斉に飛びついてきました。
「比売さま、なりませぬ!」
「公方様にござりまするぞ!」
内蔵助なんて、私の腰にしがみついて半泣きでした。
うーん。生意気だったのに。
脇差を弥平次に返したら、千代ちゃんが小さな声で言いました。
「……惜しゅうございましたね、ミク姉さま」
内蔵助が、その場で膝から崩れ落ちてました。
まあ、いいです。ゴボウはすっかりきれいになったので、今夜のお汁に入れてもらいましょう。
◇
将軍様は、ついてきた家来の人たちに担がれて朽木へ帰っていって、そのまま越前の朝倉さんのところへ逃げていっちゃったそうです。
それから半月くらいして、今度は京の三好さんから使者が来ました。
「公方を追い払われたは、まことに見事。ついては篁家も、三好に従われるがよろしかろう」
あ、この人たちも生意気ですね。
使者さんは、私がゴボウのお汁をすすってる横で、偉そうに胸を張ってました。将軍様をゴボウで叩いたっていう話は、まだ京までは届いてないみたいです。
千代ちゃんと顔を見合わせて、私は思いました。
次は、京ですね。




