第79話:美玖比売、根っこを抜く
年が明けてすぐ、根須から使者が来たんです。
六角さんが千代ちゃんの家来になったって話が、もう近江じゅうに広まってるんですよね。後ろ盾がいなくなって、慌てて降参しに来たみたいです。
でも内蔵助は、その使者を広間にも上げませんでした。玄関先に立たせたまま、こう言ったんです。
「根須の当主は、篁の使者を斬った。条件は秋と同じじゃ。当主とその一族の首を揃えて差し出されよ。さすれば、家臣と民の命は保証いたす」
秋っていうのは、弥平次が使者に行った時のことです。政直さんが「使者を斬れ」って言って、供の源六さんたちが死んじゃって、弥平次も肩と脇腹を斬られて、背中に矢を立てたまま帰ってきたんですよね。
使者さんは真っ青な顔で帰っていきました。
千代ちゃんは、根須攻めの大将に弥平次を選びました。元戸塚のお侍さんたちも、年の瀬に贈り物を持ってきた国人さんたちも、我も我もって手を挙げてるんですよ。手柄を立てて、千代ちゃんに顔を覚えてもらいたいんでしょうね。
私はお留守番です。千代ちゃんと二人で、国人さんにもらった鮒鮨を食べてました。匂いはすごいんですけど、慣れるとけっこう美味しいんですよ、これ。
◇
根須の城を囲んで、三日目の夜だった。
弥平次の陣に、搦手の方から一人の若い男が連れてこられた。
顔を見て、弥平次はすぐに思い出した。秋に広間へ通された時、末席から自分の顔の傷をじっと見ていた男だ。政直とどこか面差しが似ていて、目つきだけがもっと静かだった。
「根須右京亮政直が甥、佐高にござる」
男は、弥平次の前に膝をついた。
「家中の大半は、もう叔父を見限っておりまする。明朝、大手門を開けさせまする」
「なぜ、そなたが」
「叔父は、使者を斬った。それがしは、あの日から根須は滅ぶと思うておりました」
弥平次は、しばらく男の顔を見ていた。それから、黙って頷いた。
翌朝、大手門は本当に開いた。
抗う者は、ほとんどいなかった。篁の侍たちが我先に本丸へ駆け上がっていく。元戸塚の連中も、国人の兵も、誰が一番に首を挙げるかで声を張り上げていた。
本丸の奥で、政直が刀を抜いて待っていた。後ろに、奥方と子供が何人か固まっている。
「篁の、犬めが……」
弥平次は、腰の刀を抜いた。
「あの日、それがしの供をして死んだ源六らの分と、この身に受けた傷の分にござる」
政直が斬りかかってくる。弥平次はそれを一度だけ受け流し、返す刀で首筋を断った。政直は前のめりに倒れて、二度と動かなかった。
弥平次は刀の血を払い、振り返って声を張った。
「根須の一族は、根切りにいたす。千代姫様の御沙汰じゃ」
侍たちが、黙って奥へ入っていく。
子供たちのいる部屋の前で、若い侍が二人、刀を構えたまま固まっていた。
弥平次は、その二人を見た。
――戸塚の城の、あの時の己だ。
二歳の姫の前で、刀が動かなかった。比売様に殺されかけ、内蔵助殿に顔を斬られ、あの濡れた床を見た。
弥平次は二人の手から刀をもぎ取ると、自分で部屋に入っていった。
しばらくして出てきた時、二人の若侍は、まだ廊下に膝をついたまま震えていた。弥平次は、その横を黙って通り過ぎた。
あの日の内蔵助殿も、こういう気持ちだったのだろうか、と弥平次は思った。
◇
次の日、私と千代ちゃんも根須のお城に入りました。
広間には、篁のお侍さんと国人さんたちがずらっと並んでます。その真ん中で、千代ちゃんが当主として座りました。
千代ちゃんは、まずあの若いお侍さん二人を前に引き出させたんです。
「主命に背いた者を、篁は置かぬ。両名の家は、一族ことごとく知行を召し上げ、篁より放逐とする。近江の内では、二度と仕官は叶わぬものと心得よ」
二人が、がばっと顔を上げました。
「お、お待ちくだされ! 父や弟には、何の咎も……」
「そなたらは、根須の子らを哀れんだのであろう」
千代ちゃんは、表情一つ変えませんでした。
「ならば、己の一族で、その哀れみの値を払うがよい」
内蔵助がすぐに筆を取ってました。奉公構の触れ状なんだそうです。近江の他の家にも回して、あの二人の一族を誰も雇えないようにするんですって。
知らない家の子供を助けようとして、自分の親兄弟が路頭に迷うんですね。順番を間違えると、そうなっちゃうんですよ。
次は、広間の真ん中で平伏してる佐高さんの番です。千代ちゃんは、まず内蔵助に聞きました。
「内蔵助。佐高殿を、どう思う」
「一族を売った者は、いずれまた主を売りまする。根を切るなら、残さぬが道理かと」
次に、弥平次。
「弥平次。そなたが根須で斬られた場に、佐高殿はおりましたか」
弥平次は、脇腹の古傷のあたりに手をやってから答えました。
「……おり申した。広間の末席に。政直殿が『斬れ』と叫んだ時、刀を抜かなんだのは、佐高殿ただ一人にござった」
千代ちゃんはしばらく黙ってから、すっと背筋を伸ばして、広間じゅうに聞こえる声で言いました。
「佐高。調略の功をもって、命は許す。ただし根須の家は、今日をもって絶える。以降は名を『根元』と改め、篁の根元として生きよ」
「……根元佐高、この身命を賭して、篁にお仕えいたしまする」
佐高さんの声は、震えてました。
それから千代ちゃんは、並んでる国人さんたちを、ゆっくり見回したんです。
「わらわが見たのは、自ら動いた佐高だけじゃ。一族だからと、今更すり寄って何も見せておらぬ者は、遠ざけられると心得よ!」
国人さんたち、一斉に平伏です。贈り物の山を持ってきた人ほど、深く頭を下げてるのがおかしいんですよね。
千代ちゃん、こういう時は「わらわ」って言うんですねぇ。誰に習ったんでしょう。私じゃないですよ。たぶん内蔵助です。
ちらっと見たら、その内蔵助は下座で目頭を押さえてました。泣くほど嬉しいなら、胃の方も少しは良くなるといいですね。
◇
広間を出たあと、千代ちゃんの手をそっと見てみたんです。観音寺の時みたいに、震えてるかなって思って。
でも、今日は震えてませんでした。
「えらいえらい、千代ちゃん」
「……はい、ミク姉さま」
千代ちゃんは、ちょっとだけ照れくさそうに笑ってました。




