第77話:淳志、首輪の長さを測る
甚八の首桶を足元に置いて、俺は箕輪の城の前に立った。
振りかぶって、拳大の石を撃ち込む。門に、櫓に、塀に。何度も、何度も。
浦部の兵たちは誰も声を上げず、黙って俺の後ろに並んでいた。一番前にいるのは、甚八と同じ村の連中だった。
途中で一度、藤次郎が馬を寄せてきた。
「小鳥遊様。もはや門は……」
「まだだ」
藤次郎はそれ以上何も言わずに、元の位置へ下がっていった。
日が傾く頃には、大手門も櫓も崩れていた。城の中から白い布が振られて、降伏の使者が、這うようにして坂を下りてくる。
「お、お慈悲を……城を開け渡しまする。家老の首も差し出しまするゆえ……」
「さっき、同じことを言いに行った奴がいたよな」
使者が、顔を上げられなくなった。
「そいつの首、返ってきたんだよ」
俺は使者を城へ追い返して、五郎と藤次郎に、近くの村から油と薪を集めさせた。
「銭はちゃんと払えよ。百姓から奪ったら、増田と同じだからな」
「へい」
五郎は何も聞かずに走っていった。
◇
夜になって、俺は崩れた大手門の前に立った。
「百姓は出てこい! 百姓には手を出さない。半刻だけ待つ」
しばらくして、何人かの百姓が、子供の手を引いて恐る恐る出てきた。俺はそいつらを藤次郎に預けて、寺の方へ行かせた。
半刻経っても、それ以上は誰も出てこなかった。家老に止められているのか、自分で残ったのかは分からない。
「……仕方ないな」
集めた油と薪を、門の内側に入りながら、掌から次々に出していく。それから、火をつけた。
城から逃げ出そうとする奴は、出口で石を浴びせて押し戻した。業盛も、家老も、一族も、兵も、誰一人出さなかった。
城の中から、叫び声が聞こえてくる。五郎は俺の隣に立ったまま、一言も喋らなかった。
俺は収納から干し柿を一つ出して、齧った。甚八に持たせたのと同じやつだ。甘いはずなのに、ほとんど味がしなかった。
燃える箕輪を見上げながら、婆さんのことを思い出していた。
あの時は、悲しむ暇もなかったなあ。弔いを頼んで、すぐに城へ向かった。甚八の時も、たぶん同じだ。こうやって燃やして、片付けて、また次へ行く。
そういう生き方しか、今の俺にはできないんだろう。
◇
夜半、藤次郎が一通の書状を持ってきた。
「小鳥遊様。本陣の跡から集めた荷を改めておりましたら、沼尻主膳の文箱から、これが」
宛名は、沼尻主膳殿。差出人は、矢島玄蕃。
中身は短かった。小鳥遊なる新参を、沢筋の死地へ回されたし。生きて戻らば、手柄はそちらで。
「……そういうことか」
あの沢筋は、偶然じゃなかったわけだ。
俺が普通の人間だったら、あそこで浦部の兵ごと揉み潰されていた。甚八も、あの沢で死んでいたはずだ。結局どこで死ぬかが変わっただけだったのかと思うと、腹の底がじわっと冷たくなった。
俺は書状を畳んで、懐にしまった。
◇
夜明け前、箕輪がまだ燻っている頃に、政継の後詰が着いた。
小太郎が先導してきて、その後ろに政継と重臣たちが並んでいる。玄蕃もいた。
「小鳥遊様! 殿を、お連れいたしました!」
小太郎が、具足をがちゃがちゃ鳴らしながら駆け寄ってきた。二日で高梨の館まで走って、休まずに引き返してきたらしい。目の下が真っ黒だった。
「おう。よくやった」
小太郎は、その場にへたり込んだ。
政継は燃え落ちた箕輪を見上げて、困ったような顔で笑った。
「……派手にやったのう」
俺は何も言わずに、書状を政継に差し出した。
政継の肩越しに書状を覗いた玄蕃の顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「と、殿! それは偽書にござる! この牢人めが、それがしを陥れようと……」
政継が目を通している間、俺は玄蕃の方を見なかった。ただ、政継の顔だけをじっと見ていた。
この人が、ここでどうするのか。
筆頭家老を庇って、曖昧に済ませるなら、高梨の首輪はその程度の長さってことだ。そうなったら、俺は噛む。ちゃんと手綱を握って、家中を躾けられる人なら、首輪をつけられててもいい。
政継が顔を上げて、俺と目が合った。
少しの間、政継は黙って俺の目を見ていた。それから、いつもの困ったような顔で、ふっと笑った。
「……見てしもうたからには、仕方がないのう」
政継は、玄蕃の方を向いた。笑いは消えて、あの日、廊下で一人で空を見上げていた時の顔になっていた。
「矢島玄蕃。主家の名代を、敵と通じて死地に送った。切腹は許さぬ。斬れ」
玄蕃が何か叫ぶ前に、政継の近習が左右から押さえつけて、陣の外へ引きずっていった。
「玄蕃には倅がおらなんだな。姫は出家させよ。矢島の家は、これで仕舞いじゃ」
重臣たちは青い顔で頭を下げた。誰も、何も言わなかった。
政継は最後に、俺の方を見た。
「これで、よいか」
「……十分です」
俺は頭を下げた。五郎に仕込まれた深さより、ほんの少しだけ深く。
顔を上げると、政継の目が、俺の足元の首桶に向いていた。
「それは」
「甚八です。俺の馬引きでした」
政継はしばらく黙ってから、首桶に向かって、小さく頭を下げた。
それから、燻る箕輪の方をもう一度見上げて、深いため息をついた。
「長野の跡は、そなたに預ける」
「一万石だけもらいます。残りは高梨で」
政継は、しばらくぽかんとした顔で俺を見ていた。それから、困ったような顔で笑った。
「……困ったのう。四千石の家が、一夜で一万四千石じゃ」
「あ、はい。すいません」
政継は、困ったような顔のまま、少しだけ声を出して笑った。
◇
帰り道、勝ち戦のあとだっていうのに、兵たちは誰も乱取りに行こうとしなかった。
五郎が不思議そうに浦部の兵に聞くと、そいつはぶっきらぼうに答えた。
「殿が、甚八のために城一つ燃やしたんだ。足軽一人のためにだぞ。……そんな殿の顔に、泥なんか塗れるかよ」
通り過ぎる村で、百姓たちが家の陰からこっちを見ていた。焼きもしないし、奪いもしない軍勢を、たぶん初めて見たんだろう。
そのうち、一人の爺さんが、道端で黙って頭を下げた。それを見て、他の百姓たちも、ぽつぽつと頭を下げ始めた。
俺は甚八の首桶を鞍に括りつけて、自分で轡を取って歩いた。
「……やっぱ、馬引きは要るなあ」




