第76話:淳志、しがらみが増える
長野の本陣を潰した翌朝、俺は百足らずの兵を連れて箕輪へ向かった。
逃げた長野の兵は、それぞれ自分の城に駆け込んで、高梨の名代が謀反だの、殿が討たれただの、触れ回っているらしい。まあ、半分は合ってるから文句も言えない。
道々、甚八が轡を取りながら、珍しく自分から口を開いた。
「殿。長野様を……本当に、喰うんですか」
「喰うよ。もう半分喰っちゃったしな。ここで止めたら、今度はこっちが喰われる」
甚八は少し黙ってから、「へい」とだけ言った。怖がっている声じゃなかった。
最初に道を塞いでいたのは、長野の一族が守る城だった。
門はぴたりと閉じられていて、塀の上から矢が飛んでくる。
「業正公の仇じゃ! 一人も生かして帰すな!」
城主は業正の身内らしい。顔を真っ赤にして、塀の上で怒鳴っている。
「身内か。じゃあ話し合いは無理だなあ」
俺は馬を降りて、思いっきり振りかぶった。腕が振り抜かれる一点で、門扉ほどの岩を出す。門が内側に吹っ飛んだところへ、拳大の石をばら撒きながら踏み込んだ。浦部の兵が、槍を揃えてそれに続く。
身内の城は、残しておけば必ず仇討ちの旗頭になる。だから奥まで残さなかった。
五郎は黙って兵に指図をしていた。甚八は黙って、俺の馬を引いていた。
夕方には、城の中で動いているのは、こっちの兵だけになっていた。
◇
二つ目の城では、様子が違った。
近づいていくと、門が内側から開いて、白髪の爺さんが一人で出てきた。具足もつけていない。
「この城の城代にござる。長野の殿が討たれた今、この城で戦う理由はござらん。それがしが腹を切り申すゆえ、兵と領民はお見逃しくだされ」
俺は、しばらく爺さんの顔を見ていた。
「……あんた、自分の首で百姓を買うのか」
「左様」
「足りないな」
爺さんの眉が、ぴくりと動いた。
「爺さんの首一つじゃ、ここいらの百姓の値段には足りないよ」
「……ならば、倅の首も添えましょう」
はあ、と俺はため息をついた。そういうことじゃない。
「違うわ。死ぬんじゃなくて、生きて払えって言ってんの。その心持ちで百姓を慈しんで、高梨の殿に仕えろ。それが、ここいらの民を助ける値だ」
爺さんは、しばらく黙って俺を見ていた。それから、ゆっくり口を開いた。
「……高梨の殿は、仕え甲斐のあるお方かな?」
頭に浮かんだのは、困ったような顔で笑う、あの人の顔だった。こっちの使い道を値踏みして、首輪の長さまで決めてくる人だ。
「食えないジジイだよ」
爺さんが、固まった。後ろの城兵たちも、固まった。自分の主君をジジイ呼ばわりする家来なんて、たぶん初めて見たんだろう。
それから、爺さんは急に笑い出した。皺だらけの顔をくしゃくしゃにして、腹を抱えて笑っていた。
「足立藤次郎正孝。高梨様……いや、小鳥遊様にお仕えしたい」
「えー、俺?」
なんでそうなるんだ。
五郎が、横からひょいと顔を出した。
「旦那ぁ。さすがに長野を喰ったら、何千石か、下手すりゃ万石もらえますぜ? あっしもおこぼれをもらっても、治め方なんざ分かりやせん。ここはひとつ、ここいらをもらって、足立様に代官で治めてもらえば」
「……そうかあ」
俺は、空を見上げた。
なんか、どんどん背負うものが増えていく。婆さんの村、五郎、小太郎、浦部の連中、甚八。それに、今度はこの爺さんだ。しがらみってのは、こうやって増えていくんだなあ。
藤次郎は、その場で城兵に武器を置かせて、村へ帰らせた。
帰り際、五郎がぽつりと言った。
「旦那。さっきの城とは、えらい違いでやすね」
「あっちは仇討ちに来る身内で、こっちは百姓を守った爺さんだ。違って当たり前だろ」
甚八が、轡を取りながら小さく頷いていた。
◇
翌日の昼、箕輪の城が見えてきた。
山の斜面に曲輪が段々に重なっていて、思っていたよりずっと立派な城だった。
ついてきた藤次郎が、馬を寄せてくる。
「業正公の嫡男、業盛殿はまだ十ほど。城を仕切っておるのは、家老にござる。……小鳥遊様、あの家老は、使者を斬りかねぬ男にござるぞ」
「そうか」
中には、逃げ込んだ百姓もいるはずだ。力で潰すのは簡単だけど、なるべくならやりたくない。
「降伏の使者を出す。城を開けて、家老と長野の一族が腹を切れば、兵と百姓は見逃す」
誰が行く、と見回したところで、甚八が一歩前に出た。
「殿。おらが行きます」
「……お前、馬引きだろ」
「殿の口上を一番ちゃんと伝えられるのは、おらです。殿が爺さまの城でなんて言ったか、全部聞いてましたから」
俺は、しばらく甚八の顔を見ていた。
藤次郎の言葉が、頭の隅に引っかかっている。でも、甚八の目は真っ直ぐだった。初めて浦部の兵の前で喋った、あの朝と同じ目だ。
「死ぬなよ。お前が死んだら、誰が俺の馬引くんだ」
「へい」
俺は収納から干し柿を一つ出して、甚八の手に押し付けた。
「腹減ったら食え。向こうで出された飯なんか、食うなよ」
「……殿は、食い物の話ばっかりだ」
甚八は少しだけ笑って、干し柿を懐にしまうと、白い布を結んだ竹竿を担いで、一人で城の方へ歩いていった。
◇
一刻経っても、甚八は戻らなかった。
俺は陣の前に腰を下ろして、箕輪の大手門をずっと見ていた。五郎が何度か何か言いかけて、そのたびにやめた。藤次郎は目を閉じて、黙って数珠を繰っていた。
二刻目に入った頃、箕輪の大手門の上から、何かが放り投げられた。坂を転がり落ちて、こっちの陣の手前で止まる。
五郎が拾いに行って、途中で足を止めた。
甚八の首だった。口の端に、まだ少し笑った形が残っていた。
五郎は、その場にしゃがみ込んだまま動かなくなった。後ろで、浦部の兵たちが一人、また一人と、黙って立ち上がる気配がした。甚八と同じ村の奴も、あの中にいたはずだ。
俺は、甚八の首を見下ろしたまま、しばらく何も言えなかった。
「……誰が俺の馬引くんだよ」
しゃがんで、甚八の首を自分の手で首桶に収めた。
それから、顔を上げて、箕輪の城を見た。
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