第73話:美玖比売、羊羹を食べる
控えの間に通されてから、もう一刻以上待たされてるんです。
内蔵助は、膝の上でぎゅっと拳を握ったまま動きません。さっき小声で「これも格付けにございます。わざと待たせて、どちらが上かを分からせるのです」って教えてくれたんですけど、そう言ってる内蔵助の方が、よっぽど分からされてる顔をしてるんですよね。
でも私は、正直それどころじゃないんです。
だって、待ってる間にお菓子が出てきたんですよ。
黒っぽくて、四角く切ってあって、つやつやしてるんです。竹の楊枝で一切れ口に入れてみたら、すっきりした甘さが広がって、後から小豆の香りがふわっと来るんですよね。
「これ、羊羹ですか?」
「は。甘葛の蒸し羊羹かと存じまする」
内蔵助が、ちょっと驚いた顔で答えてくれました。甘葛っていうのは、蔦の汁を煮詰めて作る甘味なんだそうです。干し柿の甘さとは全然違って、上品なんですよ。
「さすが六角は良いものありますねぇ。六角潰せばこのお菓子も……」
「ひ、比売さま! ここでそんなことを!」
内蔵助が、真っ青になって襖の方を振り返ってます。
「もうー、冗談ですよー。ねえ千代ちゃん?」
「はい! ミク姉さま」
千代ちゃん、口の端に羊羹のかけらをつけたまま、にこにこ頷いてるんです。可愛いですねぇ。
内蔵助はまた胃のあたりを押さえて、長いため息をついてました。最近、この人のため息、ずいぶん長くなった気がします。
もう一切れ口に入れながら、アツシさんにも食べさせてあげたいなあ、って思っちゃいました。あの人、甘いものはそんなに食べないくせに、私が美味しそうに食べてると、横から一口だけ取っていくんですよね。それで「甘っ」とか言うんですよ。自分で取ったくせに。
……今頃、どこで何を食べてるんでしょうね。
◇
ようやく呼ばれたのは、羊羹を三切れ食べ終わった頃でした。
入口で刀を預けて、弥平次の腰に残ってるのは脇差一本だけです。廊下をずいぶん歩かされて、通された大広間は、篁のお城の広間が三つくらい入りそうな広さでした。
上座には、四十手前くらいの男の人が座ってます。あれが六角義賢さんですね。顔立ちは整ってるんですけど、なんだか地味な人なんですよ。お父さんの定頼っていう人がすごく偉かったらしくて、比べられて大変なんだろうなあ、って感じの顔です。
両脇には、重臣さんたちがずらっと並んでました。後藤、進藤、蒲生、三雲。一郎太さんに教えてもらった名前を、心の中で順番に当てはめていきます。三雲さんの席の人たちだけ、さっきからこっちをじろじろ見てて、なんだか目つきが嫌な感じなんですよね。
そして下座の端っこに、見覚えのある顔が二つありました。
戸塚の当主と、その嫡男です。
私たちが入っていくと、戸塚の当主は、こっちを射殺しそうな目で睨みつけてきました。
御裁き、っていうから何をするのかと思ったら、要するに戸塚の当主の言い分を聞くだけみたいなんです。
篁は女子供まで皆殺しにした鬼の家だの、比売とかいう素性の知れない女が当主の後見に収まってるだの、戸塚の城を不意打ちで奪っただの。まあ、半分くらいは本当なので、別にいいんですけど。自分が奥さんや娘さんを城に置いて逃げたことは、一言も言わないんですよね。都合のいいところだけ数えるって、算木より雑ですよ。
でも、そのうちだんだん調子に乗ってきたんですよね。
「そもそも千代姫は、本家の者に攫われて傷物にされた身。そのような姫が当主とは、篁の家も地に落ちたものよ」
三雲の席の方で、誰かがくすっと笑いました。
はい、決めました。この人は潰します。羊羹のお礼は、また今度にしましょう。
私が膝を立てようとしたら、袖をきゅっと引かれたんです。
千代ちゃんでした。
千代ちゃんは、まっすぐ前を向いたまま、静かに口を開きました。
「戸塚殿。千代が傷物かどうか、ご自分の目でお確かめになったのですか」
戸塚の当主が、ぐっと詰まりました。
「ご自分で確かめもせず、人の噂で女子を傷物と呼ぶ。そのような小さな殿方を武士と名乗らせておくのは、ここにおられる他の方々に失礼でございましょう」
広間が、しんとなりました。
それから千代ちゃんは、ほんの少しだけ声を張ったんです。
「弥平次!」
弥平次が膝を浮かせたのと、私が自分の手に収納から刀を出したのは、ほとんど同時でした。抜き身の刀の柄を、そのまま弥平次の右手に押し込んであげます。弥平次は、ちゃんとそれを握ってました。
脇差じゃ届かない間合いなんですけど、刀なら届くんですよ。
弥平次は二歩で踏み込んで、戸塚の当主を肩口から袈裟懸けに斬り下ろしました。
戸塚の当主は、何か言おうとした口の形のまま、横に倒れていきます。
「ち、父上!」
嫡男が叫んで、尻もちをついたまま後ずさりしてます。それから何を思ったのか、腰の脇差を抜こうとしたんですよね。手が震えてて、なかなか抜けてないんですけど。
あ、そういえば、と私は思い出しました。この人、お母さんも妹さんも城に置いて、お父さんと一緒に逃げた人でしたっけ。
私は立ち上がって、すたすたと嫡男の前まで歩いていきました。誰も止めないんです。たぶん、何が起きてるのか、まだ分かってないんですよね。
「千代ちゃんの家に喧嘩を売った家は、これで全部ですね」
嫡男が顔を上げたところへ、拳を真上から振り下ろしました。頭に拳が触れた瞬間に、収納から花崗岩を出したんです。
ぐしゃ、っていう音がして、嫡男は床板ごと沈みました。岩をしまうと、床にはもう人の形じゃないものと、割れた板が残ってるだけです。
広間のどこかで、誰かが吐く声がしました。
私は袖でちょっと手を拭って、千代ちゃんの隣に戻って座り直します。弥平次は刀を下げたまま、千代ちゃんの前に膝をついてました。右隣では内蔵助が、胃のあたりを押さえたまま真っ白になってます。
「千代ちゃん、この間の干し柿のこと、ちゃんと覚えててくれたんですねぇ」
「はい、ミク姉さま。自分で数えもしない人の言うことは、聞かなくてよいのでしょう?」
千代ちゃんが、にっこり笑ったんです。
上座の六角義賢さんは、肘掛けを握りしめたまま、一言も喋りませんでした。




