第72話:淳志、面接に受かる
増田を潰して、ひと月ほど経った頃だった。
高梨から使者が来た。口上は丁寧だったが、中身は「主の刑部少輔が会いたいと申しておる、館へ参られよ」という呼び出しである。
「寄親の呼び出しにござる。小鳥遊殿、どうか粗相のなきよう……」
浦部小太郎が青い顔で何度も念を押してくる。
「粗相って、何が粗相なんだよ」
淳志が聞くと、五郎が額に手を当てて天を仰いだ。
それから館に着くまでの二日間、五郎はずっと作法を仕込み続けた。座り方、手のつき方、頭を下げる深さ、名乗りの順番。淳志が少しでも雑に頭を下げると、横から「殿、もう一寸深く」と声が飛んでくる。
「要するに面接だろ。慣れてるよ、派遣だからな」
「はけん……?」
「こっちの話だ」
五郎は首を傾げたまま、それでも「とにかく、あと一寸深く」と繰り返した。
◇
高梨の館は、思っていたよりずっと小さくて古かった。
塀はところどころ崩れて、土の中の竹が覗いている。門の扉も傷んでいて、蝶番のあたりが黒く腐りかけていた。
家格だけは高い没落家ってのは、こういうことかねえ。どこの世界でも、名門ってのは中身がからっぽだなあ、と淳志は思った。
門の前で刀を預けると、高梨の侍が後ろの五郎をじろりと見た。
「足軽上がりは土間で待て」
「こいつは俺の家臣だ。俺の後ろに座らせる」
淳志はそれだけ言って、返事を待たずに上がり込んだ。五郎が慌ててついてくる。侍の舌打ちが背中に聞こえた。
広間には重臣が左右にずらりと並んでいて、空気がはっきり冷たかった。
まあ、そうだろうなと淳志は思う。素性の知れない男が一年もしないうちに浦部を顎で使い、増田を滅ぼして、影響下だけで三千石だ。四千石の主家から見れば、どう考えても乗っ取りの予備軍である。
上座には、四十がらみの痩せた男が座っていた。高梨刑部少輔政継。優しそうな顔だが、戦国の男だから目は厳しい。
五郎に仕込まれた通りに名乗って頭を下げると、右の列の一番前にいた男が、待ちかねたように口を開いた。
「矢島玄蕃である。小鳥遊とやら、出自も定かならぬ牢人が、主家に断りもなく他家を滅ぼすとは何事か」
「増田が武田に通じてたのは、浦部殿を通して文でお知らせしてますよ。返事が来なかっただけで」
淳志がさらっと返すと、玄蕃はぐっと詰まった。後ろで五郎が小さく息を吐いたのが分かった。
政継は、そのやり取りの間ずっと黙っていた。そして玄蕃が黙り込んだところで、初めて口を開いた。
「小鳥遊殿。そなた、何が欲しい」
淳志は少し考えた。
この手の質問は、前の世界でもさんざん聞かれた。志望動機ってやつだ。ただ、この人に適当な答えを返したら、たぶん一発でバレる。そういう目をしていた。
「人を探してます。名前を国中に轟かせれば、向こうから見つけてくれると思うんで」
「女子か」
「まあ、そうですな。大事な女だ。アイツのためなら、国くらい取りますな」
広間がざわついた。
その中で、玄蕃が鼻で笑った。
「女子一人のために国とは。どこぞの遊び女にでも誑かされたか。とんだうつけよ」
淳志は黙って立ち上がった。
「無礼で……」
誰かが腰を浮かせかけたが、それより淳志の方が早かった。玄蕃の膝の脇、畳一枚ぶん外したところに、軽く拳を振り下ろす。拳が畳に触れたところで、収納から花崗岩を出した。
どん、と腹に響く音がして、畳ごと床板が抜けた。玄蕃のすぐ横に、人が一人落ちそうな穴がぽっかりあいている。
淳志はしゃがんで、床下に転がった岩に掌を当てて、またしまった。
「今のは、床だったから床で済んだんだ」
玄蕃は尻をついたまま、穴と淳志の顔を交互に見ている。並んだ重臣たちも、誰も声を出さない。素手の一撃で床が抜けたようにしか見えないのだから、当然だろう。
「アイツのことを笑うのは、次から命がけでどうぞ」
しんと静まり返った広間で、上座の政継が深いため息をついて、困り顔で淳志を見た。
「……床の修繕は、そなた持ちじゃぞ」
「あ、はい。すいません」
急に素に戻った淳志の後ろで、五郎が頭を抱えていた。
政継はしばらく床の穴を眺めてから、改めて淳志を見た。
「……フム。国を取るなら、我が家の名は使えるぞ? お主のように欲の形が分かる者は信用できる。儂は家がデカくなる。そして大きな声で、お主が探しておるおなごを探す。その代わり、お主は儂に力を貸せ。どうじゃ?」
淳志は少しの間黙ってから、口の端を上げた。
面白い。この人は、さっきの一撃を見ても少しも腰が引けていない。それどころか、どう使うかをもう考えている。
「……面白いお方ですな。小鳥遊淳志綱興、お仕えさせていただきまする」
頭を下げると、五郎に仕込まれた深さがぴたりと決まった。後ろで五郎が、こっそり拳を握ったのが気配で分かった。
政継は浦部ごと淳志を寄騎として認め、増田の旧領の扱いも追認した。そのうえで、一つだけ条件をつけた。
「箕輪の長野様より陣触れがあれば、高梨の名代として兵を出せ。高梨の名で暴れよ。そなたの名が上がれば、高梨の名も上がる」
「承知しました。……ところで」
「何じゃ」
「長野様、喰っていいですか」
広間の空気が、今度こそ凍りついた。玄蕃は口を開けたまま固まり、他の重臣たちは真っ青になっている。
政継はちょっと困った顔をして言った。
「……口に出すな」
それから、少し間をおいて続けた。
「思うておるのは構わん。だが、口には出すな。少なくとも、この館の中ではな」
駄目だとは、一言も言わなかった。
ああ、この人も腹の中では同じことを考えてるんだなあ、と淳志は思った。
◇
帰り際、廊下の奥で政継が一人で、さっき迄が嘘のような厳しい顔で空を見上げているのが見えた。
あの人は、ただの負け犬の没落当主じゃないな。
俺は頭になる柄じゃない。いい上司見つけたわ。
淳志はつられて空を見上げた。冬の初めの、薄い青だった。
◇
帰り道、馬の轡を取りながら、五郎がぼやいた。
「殿、さすがに床は肝が冷えましたぞ。それに長野様のくだりは、寿命が三年縮み申した」
「あそこで黙ってたら、あの家の連中にずっと舐められてたよ。それにな、あの殿様は止めようと思えば止められたのに、黙って最後まで見てた」
こっちの使い道を値踏みして、ついでに首輪の長さまで決めてきた人だ。チョロいよな、この世界は、とは今回ばかりは言えそうにない。
俺は五郎に貰った干柿を齧って、ふと空を見あげた。
「……アイツ、今頃どこで何喰ってんだろうな」




