第68話:淳志、名乗りにうんざりする
増田の城の手前は、刈り入れの終わった田んぼが広がる野だった。
切り株だけになった田の向こうに、増田の兵が陣を敷いている。ざっと六十。黒地に白の家紋の旗が、ずらりと並んで風に揺れていた。
婆さんの村で見た、あの旗だ。
法螺貝が鳴る。太鼓が打たれる。向こうはずいぶん景気がいい。五十の浦部勢を見て、勝ちを確信してるんだろう。
「旦那、どうしやす?」
「待つ」
「へ?」
「どうせ、来るだろ」
案の定だった。
増田の陣の中央が割れて、一騎の武者が進み出てきた。
でかい。赤糸縅の派手な具足に、背中に大太刀。手には朱塗りの大身槍。馬までやたらと立派だ。いかにも「家中一の剛の者です」って顔をしてる。
武者は陣の前で馬を止めると、胸をぐっと張って、腹の底から声を張り上げた。
「やあやあ、遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ!」
――来た。
「我こそは上野国の住人、増田弾正長久が家臣、石堂主水正元綱なり!」
ここまでは、まあいい。名乗りってのはそういうもんだって、五郎に教わった。
「我が祖父、石堂兵部は、かの永正の戦にて一番槍の誉れを受け!」
……ん?
「我が父、石堂主水は、享禄の合戦にて敵将の首を二つ挙げ!」
おい。
「この元綱は十五の歳に初陣を飾り、兜首を二つ! 続く天文の戦では三つ! さらに翌年の――」
長い。
まだ続くのか。
お前のじいさんの話はいい。親父の話もいい。というか、今の「兜首を二つ」、さっきも言わなかったか。
「――さらには信濃の峠にて、武田様の御前で槍を合わせ、その武勇を――」
武田とも繋がってるのを、自分から喋っちゃってるぞ、こいつ。
横目で浦部の兵を見る。全員、真剣な顔で聞き入ってる。この時代の連中にとっちゃ、これが当たり前の戦の作法なんだろう。うんざりした顔をするわけにもいかない。
隣の五郎だけが、俯いて肩を震わせていた。必死に笑いを堪えてる。お前、後で覚えとけよ。
「――いざ! 尋常に勝負!」
やっと終わった。
俺は馬を一歩進めて、教わった通りに腹から声を出した。
「小鳥遊淳志綱興である」
以上だ。
石堂主水が、一瞬だけ「え、それだけ?」って顔をした。悪いな。じいさんも親父も、この世界にはいないんだ。
◇
主水が、朱槍を構えて馬を駆けさせてきた。
速い。腕も確かだ。浦部の鬼頭兵庫助と同じくらいか、それ以上かもしれない。
俺も槍を構えて、馬を出す。
一合。穂先がぶつかって、火花が散る。重い。
二合。主水の突きを、柄で弾く。腕に痺れが走った。
三合。馬がすれ違いざまに、もう一度打ち合う。周りの兵が、息を呑む気配がした。
――正直、素の力だけで押し切れないこともない。
だが、浦部の城で槍を一本へし折ってる。今持ってるのは、増田の兵から剥いだ予備の一本だ。これまで折ったら、さすがに格好がつかない。
それに、こいつとの打ち合いに付き合ってたら日が暮れる。
……まあ、作法には付き合ったからいいだろ。
四合目。
馬を寄せて、主水の槍を右手の槍で受け流しながら、左手を軽く払った。
振り抜いた手の先で、収納から砂を出す。河原で拾ってきた、砂利混じりの粗い砂だ。
馬上で揉み合ってる最中だ。周りからは、手綱を握り直したくらいにしか見えなかっただろう。
砂が、主水の顔面に叩きつけられた。
「ぐっ……!?」
主水の目が潰れる。槍が一瞬、宙に浮いた。
そこを、普通に突いた。
胴丸と草摺の隙間。穂先が、深々と入る。
主水が、馬から転げ落ちた。何が起きたのか分からないって顔のまま、田んぼの切り株の上で動かなくなる。
一瞬、野が静まり返った。
それから、背後で浦部の兵がどっと沸いた。
「討ち取ったぞぉ!」
「増田一の剛の者を、一突きで!」
増田の陣が、ざわざわと揺れているのが見えた。
五郎が馬を寄せてきて、小声で囁く。
「旦那……今、なんか投げやせんでしたか」
「気のせいだ」
「へい。気のせいでさ」
◇
そこから先は、もう戦というより掃除だった。
大将格を失った増田の兵は、明らかに浮き足立っていた。
俺は投石に切り替えた。石を投げる印字打ちは、この時代の立派な戦法だ。誰も文句は言わない。
軽く腕を振る。腕が振り抜かれる一点で、拳ほどの石をまとめて出す。
バラララッと、乾いた音。
増田の兵の列が、まとめて崩れる。
もう一度。もう一度。
「よ、妖術じゃ!」
「あいつ、手に何も持っとらんぞ!」
腰が引けた増田の兵に、浦部の兵が槍を揃えて突っ込んでいく。
先頭を切ってるのは、出陣の時に俺の顔を真っ直ぐ見た連中だった。増田の略奪で、村を焼かれた奴ら。家族を殺された奴らもいるんだろう。叫び声が、明らかに他と違った。
増田の兵が、城門の中へ逃げ込もうとする。門が閉じかける。
俺は馬を降りて、振りかぶった。全身で、思い切り。
腕が振り抜かれる一点で、門扉ほどの岩を出す。
轟音。
増田の城の門が、内側へ吹き飛んだ。
◇
広間に踏み込んだ時、増田弾正長久は上座で腰を抜かしていた。
四十がらみの、腹の出た男だ。昨日まではさぞ威勢が良かったんだろうが、今は袴の裾を握りしめて、ガタガタ震えてる。脇には、同じくらい青い顔をした若い男と、重臣が数人。
「ま、待て! 待たれよ!」
長久が、裏返った声で叫んだ。
「ぜ、銭ならある! 蔵の米も、好きなだけ持っていけ! そ、そうじゃ、武田様にも口を利いてやる! そなたほどの腕なら、武田様もきっと――」
俺は、何も言わずに長久の前まで歩いていった。
収納から、布の切れ端を出す。
黒地に、白の家紋。
長久の目が、旗に釘付けになった。
「浦部の村に、二十人寄越しただろ」
長久の顔から、血の気が一気に引いていくのが分かった。
帰ってこなかった二十人。どこで消えたのか、ずっと分からなかったんだろう。
「あの村にな、婆さんが一人いたんだ」
長久が、口を開きかけた。
「家の前で、お前の兵を止めようとして死んだ」
長久が何か言おうとした。言い訳か、命乞いか、それとも婆さんなんて知らないと言いたかったのか。
どれでもいい。聞く気はなかった。
俺は掌を突き出した。
腕が伸びきった先に、槍が出る。
長久の胸を、真っ直ぐに貫いた。
◇
その後の始末は、手早く済ませた。
武田との内通に関わっていた嫡男と、重臣たちは斬った。
残ったのは、奥にいた女子供だった。奥方、娘たち、まだ小さい子供が何人か。
「旦那」
五郎が、少しだけ言いにくそうな顔で寄ってきた。
「……女子供まで、ですかい」
俺は、奥の間の方を見た。
上等な着物の袖が、襖の隙間から覗いていた。白い飯を食って、絹を着て育ってきた子供たちだ。
「残せば、いつか誰かが担ぐ。『増田の遺児』ってな」
五郎が黙る。
「そしたら、また兵が集まる。また村が焼かれる」
婆さんの村の、焼け落ちた二軒の家を思い出した。
「……こんないい暮らししてる子供一人生かして、百姓が十人死ぬ? ふざけるな」
五郎は、しばらく黙っていた。
貧乏百姓の三男だ。戦のたびに駆り出されて、自分の村が焼かれるのも、隣の村が焼かれるのも、ずっと見てきた男だ。
「……違えねえ」
五郎は、ぽつりとそう言って、浦部の兵に指図をしに行った。
俺はそれ以上、奥の間を見なかった。
◇
城を出ると、外は夕暮れだった。
刈り入れの終わった田んぼが、どこまでも赤く染まっている。
俺は、婆さんの村の方角に目をやった。ここからじゃ、山の向こうで何も見えない。
懐から、旗の切れ端を出す。少しだけ眺めて、それから収納に戻した。
「……一応、取ったぞ。婆さん」
返事は、やっぱりない。
分かってる。
背後で、五郎が「旦那ぁ、飯にしやしょう!」と叫んでいた。今日の戦で一番槍の手柄を立てたとかで、浦部の兵に囲まれて、やけに嬉しそうな顔をしていた。




