第61話:淳志と婆さんの戸板と、十騎の侍
鹿を担いで山を下りると、囲炉裏から粟を炊く匂いがしていた。
「おお、また大物じゃな」
婆さんが目を細める。この顔を見るのが、最近ちょっとした楽しみになってる自分がいるのが、どうにも落ち着かない。
昼過ぎには、近所の女が大根を三本置いていった。こないだの猪の礼だそうだ。肉と野菜の物々交換。異世界でも散々やったが、ここのは金貨も駆け引きもない。ただ「旨かったから」で回ってる。
晩飯は鹿の肉を焼いて、大根を煮た。塩がないのは相変わらずだが、婆さんが味噌をひと匙だけ出してくれた。とっておきらしい。
「あの子もな」
囲炉裏の火を見ながら、婆さんがぽつりと言った。
「獲ってきた獲物を、そりゃあ自慢げに見せる子じゃった。こーんなでっかい兎じゃ、言うてな」
婆さんの倅は、先の戦で死んでる。前に一度だけ聞いた。
「……そうか」
気の利いたことなんか言えないから、婆さんの椀に肉を多めに入れてやった。婆さんは笑って、「歯が足りんわ」と言いながら全部食った。
◇
翌朝、村の入り口で半鐘が鳴った。
ガンガンガンと、叩き方に余裕がない。飛び出すと、畑の向こうから土埃が上がっていた。具足の連中が二十ほど。旗印は隣の国のものだと、村の男が叫んでいる。
「徴発じゃ! 米を出せ! 逆らう奴は斬るぞ!」
徴発ねえ。言い方を変えただけの略奪だろ。
「婆さん、家から出るなよ」
「あんた、どこへ」
「掃除してくる」
駆け出しながら、腕を振りかぶる。先頭の騎馬との距離は三十間ほど。腕が振り抜かれる一点で、握り拳ほどの石を出す。
バシュッ。
騎馬武者が鞍から吹っ飛んだ。続けて二つ、三つ。振るたびに誰かが落ちる。
だが連中は、最初から村中に散るつもりで来ていた。一塊になってくれりゃ楽なのに、三人、四人と小分けになって家々に押し入っていく。
「チッ、手間かけさせやがって」
納屋の陰から飛び出してきた足軽に、掌を突き出す。腕が伸びきった先に、竹に括った脇差の槍が出る。喉を貫いたら握り込んで、引き抜いて、収納。次。
走る。潰す。また走る。
どこかで火の手が上がった。悲鳴が聞こえる。全部を一度には追えない。一人ずつ片付けていくしかない。
最後の一人を井戸端で仕留めた時には、二軒が焼け落ちて、何人か怪我人も出ていた。それでも、兵は一人も逃がさなかった。
「……ふう」
息をついて、空を見上げる。煙が細く上っていく。
婆さん、腹空かせてるだろうな。朝飯もまだだった。残りの鹿肉、焼いてやるか。
そんなことを考えながら、家に向かって歩き出した。
◇
途中で、村の連中の様子がおかしいのに気づいた。
誰も目を合わせない。いや、合わせられないんだ。俺の顔を見て、すぐに逸らす。
家の前に、人が集まっていた。
剥がした戸板が、地面に置かれている。その上に誰かが自分の着物を脱いで、かけてくれていた。継ぎ接ぎだらけの、野良着だ。
周りの連中は、黙って立っている。
「婆さま、家の前で……兵を通すまいとしなすって……」
大根をくれた女が、絞り出すように言った。
着物をめくらなくても分かる。
それでも、めくった。
婆さんは、目を閉じていた。胸のところが、赤黒く染まっていた。槍だろう。一突きだ。
――家から出るなって、言っただろうが。
――もう少し早く戻ってれば。
――あいつがいれば。ミクのヒールなら、こんな傷くらい。
全部、頭の中を通り過ぎていった。
口には出さなかった。出したところで、何が戻ってくるわけでもない。
俺は着物を元通りにかけ直して、立ち上がった。
この村は貧しい。棺桶なんて用意できない。戸板一枚と、誰かが着ていた野良着。それがこの村の連中にできる、精一杯だったんだろう。
「……ありがとう」
頭を下げた。
誰かが、鼻をすする音がした。
人垣の後ろから、村長が出てくる。俺はその前に立った。
「俺は、この土地のしきたりが分からない。婆さんの弔い、手伝ってくれ」
自分でも驚くほど、普通の声が出た。
村長は一瞬だけ目を見開いて、それから、深く頷いた。
◇
弔いは、村の衆が総出でやってくれた。
裏山の、日当たりのいい斜面に穴を掘る。坊主なんて呼べないから、村長が覚えている限りの経を唱える。たぶん半分くらいは間違ってるんだろうが、誰も気にしない。
俺は墓の前に、粟の握り飯を一つ置いた。婆さんが毎朝握ってくれたやつと同じ形にしたつもりだが、だいぶ歪んだ。
◇
その夜のうちに、後始末をした。
隣国の兵、二十人分の死体。具足に刀に槍、それに乗り手を失った馬が四頭。
首は、大将格の騎馬武者のものを中心にいくつか取った。この時代、口で「何人斬った」と言うより首を見せる方が話が早い。残りの死体は収納して、山奥の谷に捨ててきた。村に転がしておけば、隣国に報復の口実をやるだけだからな。
具足は一番ましな一揃いを自分用に選んだ。スーツじゃ、どこへ行っても不審者扱いだ。胴丸に籠手、脛当て。刀を一振り腰に差すと、ようやくこの時代の人間らしい格好になった。
残りの具足と刀と馬は、全部村に置いていくことにした。
「売るなり、使うなり好きにしてくれ。焼けた家の建て直しの足しにはなるだろ」
「……ええのか」
「俺が持ってても仕方ない」
村長は何度も頭を下げていたが、俺からすれば、婆さんの弔いの礼にしちゃ安すぎるくらいだ。
◇
翌朝。
村の入り口に、村の連中が集まっていた。干し飯と味噌を詰めた袋を、村長が差し出してくる。
「にいちゃん、また猪獲ってな」
子供が袖を引っ張る。
しがらみだ。面倒くさい。そう思いながらも、悪い気はしない。
袋を収納して、歩き出そうとした、その時だった。
街道の向こうから、蹄の音がした。
騎馬が十騎。その後ろに、槍を担いだ足軽が二十人ほど。旗印は、この辺りを治める城主のものだと、村長が青い顔で呟いた。昨日の煙を見て、様子を見に来たらしい。
「なんじゃ、この有様は」
先頭の侍が、馬上から焼け跡を見回して顔をしかめた。それから、俺に目を留める。
「貴様、何者だ。見ぬ顔だな」
「この村で世話になってた者だ」
俺は一歩前に出た。
「昨日、隣国の兵が略奪に来た。二十人、返り討ちにした。首もある。恩人を一人殺されたんでな、隣国と戦になるなら合力しようと、首を持って城主殿にご挨拶に伺うつもりだった」
侍たちが顔を見合わせる。二十人を一人で、というのが信じられないんだろう。
「……ほう。恩人とは」
「この家の婆さんだ。昨日、家の前で兵を止めようとして死んだ」
先頭の後ろにいた、若い侍が鼻で笑った。
「なんじゃ、百姓の婆が一人死んだだけか。大仰な」
「左様。どうせこの村、隣国に通じておったのではないか。でなくば、なぜ真っ先に狙われる」
「首も具足も、本来なら城主様のものよ。貴様のような素性の知れぬ者が――」
三人目の言葉は、最後まで続かなかった。
俺の掌が伸びきった先に、槍が出ていた。馬上の侍の喉を、下から貫いている。
握り込んで、引き抜いて、収納。
隣の侍が刀に手をかける。抜く前に、もう一度掌を突き出す。胸板を貫いて、馬から落ちた。
三人目、婆さんを笑った若い奴。馬首を返そうとしたところに、腕を振って石を出した。兜ごと頭が弾けて、鞍から転げ落ちる。
ほんの数呼吸のことだった。
残りの七騎が、凍りついている。馬だけが落ち着きなく足踏みしていた。
「……婆さんは、百姓の婆が一人、じゃない」
俺は、残った七騎を見上げた。
「お前らの主に伝えろ。明日、城に向かう。俺と戦をするか、頭を下げるか。選んでおけってな」
「き、貴様、何を――」
「行けよ。言伝役がいなくなったら困る」
七騎は、顔を見合わせてから、弾かれたように馬を返した。土埃を上げて、街道の向こうへ消えていく。
残されたのは、足軽たちだった。二十人ほどが、槍を抱えたままガタガタ震えている。こいつらも、どうせ徴発された百姓だろう。
「お前らに何かするつもりはないぞ。帰りたきゃ帰っていい」
足軽たちが、ほっとしたような、信じられないような顔をする。
「ああ、そうだ」
思い出して、付け加えた。
「誰か、城まで案内してくれ。城が見えるところまででいい」
足軽たちが一斉に目を逸らした。そりゃそうだ。城主に喧嘩を売った男の道案内なんて、誰だってやりたくない。
沈黙が続く。
やがて、一人の男が、人垣を掻き分けて前に出てきた。
年の頃は三十前後。日に焼けた顔に、前歯が一本欠けている。具足は継ぎ接ぎだらけだが、槍の持ち方だけは妙に様になっていた。
「では、あっしが」
男は、欠けた歯を見せてにっと笑った。
「隣村の五郎ってもんでさ。戦のたびに駆り出されてるんで、城までの道なら目ぇつぶってでも行けますぜ」
隣村の、五郎。
村長が言っていた名前だった。
「……そうか。頼む」
俺は五郎に頷いてから、もう一度だけ振り返った。
村の連中が、まだ入り口に立っている。丘の斜面に、まだ新しい土盛りが小さく見えた。
「……まあ、こういうのも良いか。なあ婆さん」
返事はない。分かってる。
俺は五郎と並んで、城へ続く街道を歩き出した。




