第60話:美玖比売、二家と喧嘩する
本堂の障子が、内側から吹き飛んだ。
境内に控えていた三家の兵たちが、一斉にそちらを向く。
現れたのは、白い小袖に緋袴の、小柄な娘だった。返り血一つ浴びていない。ただ、その手には、顎から上だけになった人間の頭部がぶら下がっていた。
「……え?」
誰かが、間の抜けた声を漏らした。
境内の空気が凍る。何が起きたのか、誰も理解できていない。
「こいつら皆殺しだから」
美玖比売は、境内をぐるりと見渡して、にっこりと笑った。
「キリキリ殺しますよー?」
異変を察したのは、戸塚と根須、両家の兵がほぼ同時だった。
「て、敵襲! 家老様は!?」
「根須の先代様が――」
混乱が広がる。百と百、合わせて二百の兵が、我先にと武器を取る。
篁の兵、百。
数だけ見れば、絶望的な状況である。
「弥平次!」
内蔵助が、本堂から転がり出るように現れて叫んだ。
「心得た!」
弥平次は、既に槍を掴んで走り出していた。
「篁の者ども、聞けェ! 狙うは戸塚のみ! 戸塚の兵だけを殺せ!」
その声が、境内に響き渡る。
篁の兵たちが、一斉に戸塚の陣へと殺到した。根須の陣には、誰も向かわない。
――一方だけを相手にする。
二正面を同時に相手取れば、百の兵はあっという間に磨り潰される。だが、片方だけに戦力を集中すれば、話は変わる。そして何より、根須を「まだ敵ではない」状態に留めておけば、時間が稼げる。
弥平次は、恐怖で目が回りそうになりながら、それでも足を止めなかった。
――どうせ逃げても、あの比売様に殺される。
ならば前に出るしかない。生き残るためには、ここで武功を上げるしかないのだ。
「うおおおおっ!」
半分は自棄になりながら、弥平次は戸塚の兵の只中へ飛び込んでいった。
◇
一方、内蔵助は、根須の陣へ向かって歩いていた。
供も連れず、たった一人で。
「止まれ! 動くな!」
根須の兵が、槍を構えて誰何する。だがその顔には、明らかな動揺があった。仲介役として来たはずの自分たちが、今どういう立場にいるのか、誰も判断がついていないのだ。
内蔵助は、その困惑を読んだ。
「――根須の御使者殿は」
腹の底から声を張り上げる。老いた身体のどこにこんな声が、と自分でも思うほどの大音声だった。
「美玖比売さまを、愚弄なされた!」
ざわり、と根須の兵が揺れる。
「比売さまは神仏の化身であらせられる! その御方を愚弄し、御守りする千代姫様を『尼になるより他になき身』と嘲られたのだ!」
内蔵助は、手にしていたものを、根須の兵の頭目に向かって放り投げた。
どさり、と地面に転がったのは、顎から上だけになった、根須の先代当主の顔だった。
「ひっ……!?」
「ご当主に、しかとお伝えなされよ!」
内蔵助は、指を突きつけた。
「――神を相手に、戦をなさるおつもりか、と!」
根須の兵たちが、後ずさる。
目の前には、確かに先代当主の変わり果てた顔がある。そして境内の中央では、戸塚の兵が次々と血煙に変わっていく。
ここで動けば、自分たちも同じ目に遭う。
だが、勝手に退けば、後で当主に何と言われるか。
「……引けっ!」
頭目が、絞り出すように叫んだ。
「一旦引く! 本家に報せ、指示を仰ぐ!」
根須の兵百が、潮が引くように山門から撤退していく。
内蔵助は、その背中を見送りながら、大きく息を吐いた。
膝が笑っている。
――これで、一つ。
あとは、戸塚だけだ。
◇
その戸塚が、どうなっていたかというと。
「あはっ」
美玖比売は、境内の隅に積まれていた石垣に手をついた。
修繕用に積まれていた、人の頭ほどの石が数十個。それを、まとめて収納する。
そして、戸塚の兵が固まっている方へ向き直り、右腕を大きく振りかぶった。
野球で言えば、オーバースローだ。もっとも、彼女は投げる真似をしているだけで、手には何も持っていない。
腕が振り抜かれ、指先の速度が乗り切る、その一点。
そこに、石を出した。
一つではない。扇状に、広がるように、数十個をまとめて。
ズドドドドドッ!!
散弾のように放たれた石つぶてが、戸塚の兵の陣に叩き込まれた。
鎧ごと、人体が弾ける。列が丸ごと薙ぎ払われ、後方の塀まで巻き込んで崩落した。
「ぎゃあああっ!」
「な、なんだ、何が起きた!?」
数十人が一瞬で肉塊に変わり、生き残った者たちは何が起きたのかすら理解できていない。飛び道具の飛来した方向を見ても、そこには小柄な娘が一人、立っているだけなのだ。
「次、いきますねー」
比売は、もう一度腕を振りかぶった。
塀の残骸ごと、まとめて収納する。
そして、振り抜く。
ドォンッ!!
崩れた塀の石材が、そのままの質量で戸塚の陣に叩きつけられた。今度は面で潰す。逃げ場がない。
弥平次は、その光景を戦場の端から見ていた。
槍を構えたまま、口を半開きにして。
自分が必死に斬り結んでいた相手が、横合いから飛んできた石の塊に、鎧ごと潰されて消えた。
「……あ、はい」
弥平次は、静かに槍を下ろした。
――俺、要らなくね?
だが、そんなことを口に出す度胸はなかった。彼は精一杯の忠義を示すため、既に絶命している戸塚兵の首を、一つ拾い上げた。
◇
半刻もかからなかった。
境内には、戸塚の兵百が、原型を留めぬ姿で転がっている。
篁の被害は、軽傷が数名。死者はなかった。
「あれ、アイツらは?」
比売が、きょとんとした顔で山門の方を見た。
「根須の兵、いなくなっちゃいましたね」
「は、はい」
内蔵助が、息を切らせながら歩み寄る。
「根須には、当主に判断を仰ぐよう申し伝えました。今しばらくは動きますまい」
「んー? 皆殺しにしなくていいんですか?」
「比売さま」
内蔵助は、深く頭を下げた。
「まずは戸塚を潰してから、その後に根須がよろしかろうかと存じます。二家を同時に相手取れば、いかに比売さまといえど、郷が焼かれかねませぬ」
比売は、しばらく首を傾げていた。
そして、ぽんと手を打つ。
「そうかあ、じゃあまずは戸塚だね!」
その笑顔は、遠足の順番を決めたような気軽さだった。
「では、支度を。城は手薄のはずでございます」
「はーい!」
内蔵助は、深く息を吐いた。
――何とか、一つずつに分けられた。
この比売様は、止められない。ならば、せめて向かう先だけでも整えるのが、家老の仕事というものだろう。
その横で、弥平次が拾った首を抱えたまま、途方に暮れたように立ち尽くしていた。
「……この首、要ります?」
「持っておけ。武功は武功だ」
「はあ」
弥平次は、心の底から思った。
この家、絶対に敵に回してはいけない、と。




