第59話:美玖比売、和睦の席に着く
三家の境にある古寺は、山あいの静かな場所にあった。
苔むした石段。傾いた山門。手入れの行き届かぬ境内には、落ち葉が降り積もっている。
その周囲に、三つの旗が立っていた。
篁、戸塚、根須。それぞれ百の兵を連れ、互いに距離を置いて陣を敷いている。
「……妙に静かでございますな」
弥平次が、篁の陣で小声を漏らした。
「戸塚の連中、殺気がねぇというか……なんというか、余裕がありすぎませんか」
「気のせいであろう」
内蔵助は短く応じたが、内心では同じことを感じていた。
和睦の席に臨む側にしては、戸塚の兵の動きが妙に落ち着いている。まるで、既に結論を知っているかのような。
「比売さま、くれぐれも……」
「はいはい、大人しくしてますってー」
美玖比売は、境内に敷かれた毛氈の上に、きちんと正座していた。今日は白い小袖に緋袴。神官のような装束である。内蔵助が仕立てさせたものだ。この方が「比売」らしいと、家中の者が言い張ったのだ。
本人は「動きにくいですねー」と言いながらも、素直に着てくれている。
◇
本堂の広間に、三家の代表が集まった。
篁からは内蔵助と美玖比売。戸塚からは家老と、その後ろに嫡男と思しき若い男。そして根須からは、先代当主だという初老の男が、仲介役として上座に座った。
「本日は、めでたき席にお集まりいただき、恐悦至極にございます」
根須の先代が、深々と頭を下げる。その所作は完璧だった。完璧すぎて、かえって胡散臭い。
「では、早速にございますが。両家の懸案について、当家が中立の立場より案を示させていただきます」
内蔵助は居住まいを正した。
「まず、境の三村の帰属について。これは戸塚家に帰することといたしましょう」
「……ほう」
内蔵助の眉が僅かに動いた。争っていた三村を、丸ごと戸塚に渡せというのか。だが、そこは呑める。元より係争地だ。
「次に、東谷川の水利権。これも戸塚家に」
「……」
これも痛いが、まだ呑める範囲だ。内蔵助は黙って頷いた。
「そして、篁家より戸塚家へ、千五百石の割譲を」
空気が、変わった。
「お待ちいただきたい」
内蔵助の声が低くなる。
「三村と水利はまだしも、千五百石とは。それでは篁は三千五百石。何のための和睦か」
「おや」
根須の先代は、穏やかに微笑んだ。
「これは異なことを。此度の不穏は、そもそも篁家が本家を滅ぼし、身代を膨らませたことに端を発しておりましょう。周囲が警戒するのも当然。ならば、多少身を削って誠意を示すのが道理かと存じますが」
「それは……」
「それに」
根須の先代は、内蔵助の言葉を遮った。
「この条件でなければ、戸塚家は恥をかかされたとお思いになりましょう。我らが取り持った甲斐もございませぬ」
内蔵助は、ぎりと奥歯を噛んだ。
――話が違う。
これは中立の仲介ではない。完全に戸塚に寄った裁定だ。いや、それどころか。
最初から、根須と戸塚の間で話がついていたのだ。
この条件を呑めば篁は骨抜きになる。蹴れば「和睦を蹴った」という大義名分を与え、両家で挟み撃ちにされる。どちらに転んでも、篁は終わる。
弥平次が言っていた「余裕がありすぎる」の意味が、今になって分かった。
「そしてもう一つ」
根須の先代が、にこやかに続けた。
「両家の縁を深めるため、戸塚家の御嫡男と、千代姫様の婚姻を」
「――なりませぬ!」
内蔵助が、思わず声を荒らげた。
千代姫は篁の当主である。その姫を、八千石の戸塚に嫁がせれば、篁は事実上、戸塚に併呑される。名も家も残らない。
「何を案じておられる」
戸塚の家老が、初めて口を開いた。ずいぶんと気安い調子だった。
「子が生まれたら、二人目を篁の跡目に据えればよろしかろう。血は繋がりますぞ」
「そうそう、それで篁の家は残るではないか」
根須の先代も頷いている。
残らぬ。そんなものは残ったうちに入らぬ。
内蔵助は膝の上で拳を握りしめた。だが、ここで席を立てば挟み撃ちだ。何としても、譲歩を引き出す形に持っていかねば――
「そもそも」
戸塚の家老が、鼻で笑った。
「傷物を嫁に貰ってやるのだ。何の文句がある?」
――時が止まった。
「左様、左様」
根須の先代が、扇子で口元を隠して笑う。
「本来であれば、尼になるより他になき身。八千石の嫡男に娶っていただけるなど、上等にございましょう」
内蔵助の背中を、氷のような汗が流れ落ちた。
そーっと、首だけを動かして隣を見る。
美玖比売は、笑っていた。
仏のように、穏やかに。
「あ」
内蔵助の口から、意味をなさない音が漏れる。
次の瞬間。
比売の手が、伸びた。
戸塚の家老の首を、正面から掴む。
そして、引き抜いた。
ブチッ、という音が、静まり返った本堂に響いた。
血が噴き上がり、天井まで届く。首から下だけになった胴体が、ゆっくりと前のめりに倒れた。
「な……」
根須の先代が、目を見開いたまま固まっている。
比売は、その男に向き直った。
両手で、男の顎を掴む。
上下に、開いた。
ベリッ、と何かが裂ける音。
根須の先代の顔が、口から上と下に、真っ二つに引き裂かれた。上顎から上だけが、比売の手に残る。
どさり、と残りが落ちた。
「……ひっ」
戸塚の嫡男が、腰を抜かして後ずさる。
比売は、その男を一瞥もしなかった。
ただ、静かに立ち上がって、障子の方へ歩いていく。
「内蔵助。弥平次」
その声は、恐ろしいほど平坦だった。
「外の連中、皆殺しよ」
『転生したのに転移で地球に戻っちゃった?! しかも何故43歳?! 王国の魔法革命児 〜爆鳴の鬼と呼ばれた男Ⅱ』
一度お休みする予定でしたが、引き続き連載いたしますよろしくお願いいたします




