第57話:淳志、投擲兵器を編み出す
婆さんの家に世話になり始めて、五日が経った。
畑仕事を手伝い、水を汲み、薪を割る。異世界じゃ、こんな地味な労働とは無縁だったな。
だけど、肉体労働は、意外と嫌いじゃなかった。
「あんたが来てから、随分楽になったわ」
婆さんは、そう言ってよく笑うようになっていたわ。
村の噂話も、少しずつ耳に入ってくるようになった。
この村、しばらく前に腕のいい猟師が流行り病で死んだらしい。以来、鹿や猪が畑を荒らし放題で、時折、狼まで出るという。
誰も対処できず、村人たちは日が暮れると出歩くのも避けているようだった。
ちょうどいい。腹も減っていたし、体を動かす口実にもなる。
……正直、もう稗や粟喰いたくない。肉喰いたいんだよ。
「婆さん、山に行ってくる」
「おお、気をつけるんじゃぞ」
山賊から奪った脇差を、朝のうちに長めの竹に麻紐でしっかり括りつけておいた。即席の槍だ。粗末なもんだが、刃はちゃんとした鋼だからな。
山に入って半刻ほど、藪の奥から突然、猪が飛び出してきた。予想よりずっとデカい。牙も鋭く、突進の速度も馬鹿にならなかった。
「うおっ」
咄嗟に横に跳んだが、避けきれず、牙が太腿を掠めた。
皮が裂けて、血が滲む。ズキリとした痛みが走る。
深手じゃないが、悠長に構えていい傷でもない。
槍を構えるスペースが無いので収納して大木の陰に隠れる。
猪はもう回り込むみがら、もう一度突進してきた。
距離が詰まる。躱しきれない。なら正面から迎え撃つ。
俺は腰を入れて掌を突き出し、竹槍を収納から出した。
突きの速度なんてたかが知れてる。ジャブと同じだ、七十キロ出れば上等だろう。だが、それでいい。
槍が70キロの速度で刺されば、生きてる猪なんかいないだろ。
穂先が猪の胸元に届く、この距離でこの速度だ、躱せない。
ズドッ、と重い音がした。
槍の柄が猪の胸に食い込む。突進の勢いと正面からぶつかったが、俺は柄を握りこみ押す。猪の巨体が止まった。
柄の根元はまだ収納の中に半分残してある。だから左右に動かない。握り込んで、体重ごと押し込んだ。
猪が数歩よろけて、横倒しに崩れる。
「……あー、なるほどな」
俺はしばらく、その場で自分の手を眺めていた。
速度は俺のまま。変えられるのは、動作の先に何を置くかだけ。
うん、あちらでよくやってた『質量パンチ』の変形だ。
だが、それだけの話が、この時代じゃ反則だよな。
少し試したくなった。
近くの大木に向き直る。左手を軽く握って、ジャブを一発。何の変哲もない、ボクシングの基本動作だ。速度なんて七十キロ程度。
拳が伸びきる、その瞬間。触れている拳の先に、一間四方ほどの花崗岩を出した。
ドォンッ!!
空気が殴られたような音がした。
二トン半はあろうかという岩塊が、ジャブの速度そのままに幹へ叩きつけられる。幹がひしゃげ、根元から裂けて、メリメリと音を立てて倒れた。
「……うん、大丈夫」
俺の拳は無傷だ。当然だな。殴ってすらいない。ただ、拳のあった場所に岩を置いただけだ。
久しぶりだったが上手く出来たわ。
速度は遅い。だが、乗せる質量が桁違いなら、威力は青天井に上がる。ジャブ程度の速度でも、二トン半の岩が動けば、それはもう馬車の激突と変わらない。
「……車が突っ込んだのと一緒か」
そりゃ木も折れるわなあ。
じゃあ、投げる方はどうだ。
振りかぶって、腰を捻って、腕を振り抜く。野球でいうオーバースローだ。手は空だが、フォームだけならピッチャーの真似事くらいはできる。
ミクが見たら笑うだろうな。三十四歳が山の中で素振りしてるんだから。
腕が振り抜かれて、リリースポイントに来る。指先の速度が乗り切った、その一点。
そこに、握りこぶし大の石を出した。
バシュッ、と空気が裂ける音。
石は別の木の幹に深くめり込み、樹皮が派手に弾け飛んだ。
「……百五十は出てるか、これ」
突きの倍以上だ。当然だな、投擲は全身を使う。腕を伸ばすだけの突きとは、乗る速度が違う。
つまり使い分けだ。目の前を潰すなら、突きでも拳でもいい。質量さえ乗せれば何でも壊れる。遠くへ飛ばしたいなら投擲。速度が乗る分、遠距離まで届く。
もう一つ試す。
今度は投げない。掌を開いて、まっすぐ前に突き出す。ジャブの要領だ。
腕が伸びきった、その先端に、さっきの竹槍を出した。
槍は、そのまま前方の木に突き刺さっていた。
振りかぶって投げるより、速度も距離も出ない。
だが不意にこんなの飛び出したら嫌だろ。
「……間合いって概念は、死んだな」
離れてるならともかく、近い間合いなら躱せないだろう。
掌から出た瞬間にもう届いてる。
それに長物なら、刺さらないで躱されたら、握り込んで振り回したり、刺した後押しこめる。得物と間合いで使い分ければいい。
問題は、この速度を見切れる奴がどれだけいるかだ。
ジャブの速度で飛び出す槍を、刀で払える人間がどれだけいる。
「……いないよな、普通」
仕留めた猪を担いで村に戻ると、婆さんが目を丸くした。
「なんじゃ、こんな大物、どうやって仕留めたんじゃ」
「まあ、ちょっとした工夫と知恵だよ」
説明しても信じてもらえないだろうから、適当に濁した。
その日の晩、村の連中にも肉が振る舞われた。
久しぶりの獣肉に、村人たちは大喜びしている。
「あの婆さんの所にいる兄さん、なんだか知らんが、えらい腕らしいぞ」
「猪を仕留めたんだと。それも一撃で」
「そりゃ助かる。畑の被害も減るってもんだ」
噂は、あっという間に村中に広まっていく。
それまで余所者として遠巻きにされていた視線が、少しずつ変わっていくのが俺にもわかった。
婆さんは、満足げにそれを眺めて笑ってる。
「あんた、居場所ができたようじゃの」
「……まあ、な」
悪くない、と思う。
この時代で生きていくための武器も、居場所も、少しずつ手に入り始めている。
でもな、足りないんだよ。
アイツの、旨そうなもん見つけた時の声も、旨いもん喰ってバカみたいに笑う顔も、全部足りない。
アイツはちゃんと飯食ってるかな。
――俺は、遠くの山並みを見つめながら、そう思った。




