第55話:美玖比売(ミクひめ)、本家を喰らう
城門をくぐると、壁際に予備の閂が立てかけてあった。太い木の棒。ちょうどいいな。
握り直して、リミッターを外す。
骨が軋んで、筋がブツブツ千切れる感触がした。構わず、飛び出してきた兵の顔面に振り下ろす。
「せーの」
ゴッ、と重い手応え。兵の首から上が、あらぬ方向にひしゃげた。振り抜いた反動で、こっちの腕の骨も嫌な音を立てた。折れたな、これ。
「あはっ、いった」
痛いなあ。でも今はどうでもいいなあ。折れた腕を軽く振って、感触だけ確かめてみた。まあ、あとで治せばいい話だし気にしない。
次々と兵が駆けてくる。閂を振り続けて潰していく。当たれば頭が消え、胴が折れる。廊下の壁がじわじわと赤くなっていく。
「どいてくださいねー」
障子も柱も人も、目に入ったものを片っ端から薙ぎ払った。
そのうち、閂が折れた。役目は十分に果たしたので、放り捨てる。
廊下の奥から、足音が近づいてくる。他の雑兵とは明らかに違う、腰の据わった歩き方。篁家中でも武名を知られてるって話の、あの武将だろうか。
「比売さま、拙者が!」
武将の脇から、若い侍が飛び出してくる。弥平次とかいう人だったはず。
「我こそは篁家壱の槍……!」
言い終わる前に、手にしていた閂の折れた半分を投げつけた。狙いは武将の顔面。
だが、当たった瞬間、横から飛び出してきた弥平次が巻き添えを喰らった。咄嗟に庇うように出した右腕に直撃して、鈍い音を立てて折れる。弾かれた勢いで、二人揃って転がっていった。
「あれ気に入ってたのになー」
武将の方に近づいて、拳に岩を乗せて叩き込む。頭が、あっさり消し飛んだ。
見ていた周りの兵たちも、動かないから次々と叩いてみた。
途中で落ちていた刀を拾ったけど、斬り方がわからないので、ただの鉄の棒として振り回したら、敵は結構死んじゃった。
技なんかないよ。ただ、小枝を振る要領で刀を叩きつけてた。
その一撃ごとに、鎧ごと骨が砕け、人が吹き飛んだ。
刀で斬られたはずの兵の体が、まるで大槌で殴られたかのように、あらぬ方向に折れ曲がっていく。
誰も、彼女に近づけなかった。追いかけてくる兵たちも、いつしか武器を構えることすら忘れ、ただ遠巻きに、その光景に見入っていた。恐怖なのか、呆然自失なのか、もはや区別もつかない顔で。
奥の間に辿り着いた時、そこに千代姫がいた。
「あっ! 迎えに来たよ」
ミクの顔が、ぱっと明るくなる。
だが、次の瞬間、その表情から光が消えた。
千代姫の着物は乱れていた。帯が緩み、袖が破れ、頬には涙の跡。必死に抵抗した跡だと、一目で分かる。
間に合いはしたがギリギリだった。
「……そう」
ミクの声は、静かだった。
「お前ら皆殺しだ。女子供関係なく、今日から誰もいなくなる」
千代姫を押さえつけていた、従弟の一党――ミクは彼らを容赦なく殴り倒したが、殺しはしなかった。縛り上げ、転がしておく。当主を含めたこの一団が生け捕りになったことで、城内はあっという間に「降伏」という空気に呑まれていった。
「こ、降伏いたす! どうか、どうかお慈悲を!」
武器を捨てた兵たちが、次々と広間へ引き出されてくる。
千代姫だけは、そっと城へ送り返した。これから起きることを、あの子に見せる必要はない。
広間に、降伏した本家の家臣、一族郎党が並べられていく。震え、蒼白になりながら。
先頭にいた家老が、額を床に擦り付けて頭を下げた、その瞬間。
頭が、消えた。
いや、潰れたのだ。上から降ってきた質量に、跡形もなく。
広間が、まさか、という沈黙に包まれる。
その中に、まだ幼い子供がいた。当主の孫だろう。
「前に出なさい」
ミクが静かに言う。
乳母らしき女が、震えながらその子を抱きしめて離さなかった。
「うん、どうせ皆殺しだから、良いか」
あっさりとした呟き。
嘘だろう、という空気が広間に満ちた瞬間、乳母ごと、子供の姿が潰れて消えた。
それからは、次から次へと。まるで、モグラ叩きの台の上で暴れる何かのように、ミクは淡々と手を振り下ろし続けた。
「そこの、降伏したから、もう良いのでは……」と震え声で口を挟んだ者も。
「い、いくら何でも降伏している相手を……」と横から言いかけた者も。
どちらも、区別なく潰されていった。
やがて、広間は血の池のようになっていた。
「さあ」
ミクは、生き残ってなお立っている者たちを見回した。
「皆さん、家族が死んで、悲しみましたかぁ?」
誰も答えられない。ただ、すすり泣きと嗚咽だけが響く。
「じゃあ、これから皆さんも、送ってあげますね。お腹減ったんで、サクサク行きますよー」
「お、お前は一体何なのだ……! 神の使いだと聞いたが……悪鬼羅刹ではないかああ!」
誰かが、絶望に叫んだ。
「……うん、そうだよ」
ミクは、あっさりと頷いた。
「だって、あなた敵じゃない? おまけに、小さい子まで虐めた。そりゃ、皆殺しだよね」
そう言って、残った者たちを、まとめて叩き潰した。
静寂が戻った広間で、ミクはふと、倒れたまま呻いている弥平主に気づいた。歩み寄り、しゃがみ込む。
「あ、腕折れてますね。ちょっと失礼」
「ひっ……!?」
弥平次が身を強張らせるのに構わず、折れた腕を両手で包む。指先から光が溢れ、骨が軋みながら元に戻っていく感触が伝わった。
「はい、治りました」
弥平次は、目の前で起きたことが信じられないという顔で、自分の腕を見つめている。
「そういえば」
「ひっ……」
「あなた、出奔するらしいですねぇ。次は、敵になるのかしら。そのときは、楽に殺し……」
「拙者は! 生涯こちらにお仕え申す!」
弥平次は、ほとんど叫ぶように答えていた。顔は真っ青で、全身が震えている。
「あら、そう」
ミクは興味なさそうに視線を外し、立ち上がった。
弥平次は心の底から誓った。もう、絶対にこの比売様を敵に回してはいけない、と。
「んー?」
ミクは、血の海と化した広間を見渡し、首を傾げた。
「やっぱり、領民も皆殺しにした方が、綺麗かしらねぇ……」
「い、いえ! それには及びませぬ!」
内蔵助が、慌てて割って入った。額から脂汗を流しながら。
「これ以上、比売さまのお手を煩わせては罰が当たりまする! そ、そうそう! 今宵の汁と焼き物は、猪にございますぞ! さあ、城に帰りましょう!」
「わーい! お肉大好き!」
ミクの表情が、一瞬で花が咲いたように明るくなった。
「内蔵助、ありがとー!」
そう言って、上機嫌に馬に乗り、帰っていく。
血の池と化した本家の広間に残された弥平次と生き残りの家臣たちは、しばらくの間、誰も口を利けなかった。
「……比売さまが来て、二日で本家を喰った」
誰かが、掠れた声で呟いた。
「……この分だと、いずれ、六角すら喰うんじゃないか」
誰も、それを否定できなかった。




