第53話:美玖比売(ミクひめ)、一刻にて二千石領主に
「アツシさん?」
目が覚めて、最初に出たのはそれだった。
返事がない。
「……アツシさーん?」
もう一度呼んでみる。今度は少し語尾を伸ばして。
やっぱり返ってこない。
「んー?」
ミクは首を傾げて、それだけで切り替えた。いない理由を考えるより先に、まず自分の状態を確認する。
こういう時、うだうだ悩んでも仕方がないというのは、この数ヶ月でしっかり身についた習慣だった。
目を閉じて、意識を自分の中に向ける。
収納――手を差し入れてみる。何も出てこない。空っぽだ。
龍の肉も、教会から持ち出した宝石も、可愛くリボンをつけてもらったクイーンも、何もない。
ただ、いつも通りの、あの手の届く範囲にしか届かない収納の感触だけはちゃんとある。
質量パンチ――多分できる。
目の前に転がっている石ころに手を伸ばして、収納して、また出してみる。うん、いつも通りだ。
触れた瞬間に出し入れするだけの、慣れたやり方。
ヒール――これは、指先を光らせてみればすぐ分かった。
ちゃんと点いた。よかった、これがないと本当に困る。
身体は、多分いつもと同じくらい動く。伸びをしてみると、関節も軽い。
「よし、こんなもんですかね」
次に周りを見た。竹林だ。地面は柔らかくて、湿った土と草の匂いがする。着ているものは、いつもの深紅のコートじゃなくて、見慣れたブレザーとスカートだった。足元にはスクールバッグが転がっている。
「あ、制服だ。懐かしいー」
制服の裾を摘んで、ぺらぺらと確認する。ちょっと汚れてはいるけど、破れてはいない。バッグの中身もざっと見た。スマホ、財布、教科書、ノート、ペンケース、それと非常食用にいつも入れてる飴玉が三個。
「……アツシさん、探すにはどうしますかねえ。そもそも此処、どこでしょう?」
誰もいない竹林に向かって、独り言のように呟いた。
方角も時代も分からない。ただ、木の香りと土の匂いから、たぶん日本のどこかだというのは何となく分かる。
空気の重さが、異世界のそれとは違った。
とりあえず歩くことにした。じっとしていても始まらない。歩けば何かに出会うし、何かに出会えば情報が手に入る。それに――
「お腹、空いてきましたねえ」
道なき道をしばらく進んでいると、藪の中に赤い粒が見えた。
しゃがんで手を伸ばすと、山苺だった。
摘んで、そのまま口に放り込む。
「……ちょっと酸っぱいけど」
噛みしめて、目を細める。
「アツシさんの好きそうな味ですねぇ」
誰も聞いていないのに、そう呟いた。あの人は酸っぱいものを、意外と顔をしかめながらも食べる。文句を言いながら結局全部食べる。そういうところが、ちょっと可愛いと思っている。
もう一粒摘んで、今度は口に入れずにしばらく指先で転がしてから、結局食べた。
さらに歩いていくと、竹林が開けて、細い街道に出た。
そこで、悲鳴が聞こえた。
「きゃあああっ! 誰か!」
目を向けると、街道の少し先で騒ぎが起きている。
粗末な身なりの十数人が、もう少し立派な格好をした一団を取り囲んでいた。
侍らしき男が数人と、女の子を庇うように立つ、老いた家臣らしき男。周りには、刀や槍を持った荒くれ者たちがにやにやと笑いながら距離を詰めていく。
ミクはその光景をしばらく見つめて、ぽつりと呟いた。
「そうだ」
パン、と手を叩く。
「あの人たち助けて、アツシさん探す手がかり、見つけてもらいましょう!」
我ながら良い思いつきだと思った。
身なりからして、それなりの家の人たちだろう。
助ければ、恩を売れるし、情報だって集まる。
ここで一から歩き回って探すより、よっぽど効率がいい。
周りを見回す。
「あった!」
足元に転がっていた、大人の頭くらいの岩。それを収納する。それから、道端に落ちていた太い木の枝を拾い上げた。ちょうどいい長さと太さだ。
ブン、ブン、と素振りしてみる。悪くない手応えだった。
「あぁ? 誰だ、てめえ」
振り回す音に気づいたのか、荒くれ者の一人がこちらを向いた。制服姿の小娘が木の枝を振り回している。
場違いにも程がある光景だったのだろう、男は一瞬呆気に取られたようだったが、すぐに嘲笑うような顔になった。
向こうでは十数人で五、六人の侍たちを取り囲んでいる。
多勢に無勢、じりじりと追い詰められているのが分かった。
ミクは木の枝を握り直し、リミッターを外す。
骨が軋む感覚がした。
振りかぶって、思い切り叩きつける。
「どかーん!」
軽い掛け声とともに、枝が男の顔面にめり込んだ。
ぐしゃり、という嫌な音がして、顔が陥没する。
同時に、枝もぼきりと折れた。
「あーあ」
折れた枝を放り投げる。素手になった。
「てめえ! 手籠めにしてやる!」
別の男が粋がって突っ込んでくる。ミクはその顔面に、拳を出した。触れた瞬間、収納から出した岩の質量が乗る。
「どーん!」
首から上が、そのまま消し飛んだ。
三人目、胴を殴りつけると、身体が真っ二つに折れて崩れ落ちる。
残りが浮足立って武器を構え直す隙に、ミクは足元に転がっていた誰かの刀を拾い上げた。素手より、刃物のある方が数を捌くには早い。
リミッターを外した身体能力に任せて振るう。刃が届けば、それだけで人体はあっさり両断された。四人目、五人目、六人目。刀身が刃こぼれして使い物にならなくなると、放り出して、今度は落ちていた槍を拾う。柄が長い分、間合いが楽だった。突けば貫通し、薙げば数人まとめて薙ぎ払われた。
最後の一人だけが、武器を捨てて両手を突き、地面に頭を擦り付けていた。
「た、助けてくれ……! 何でもする、命だけは……!」
ミクはその頭上に拳を掲げる。
「そもそも、こんな事しなきゃいいんですよ?」
振り下ろす。頭が、そのまま叩き潰された。
ミクは手についた土を払い、木の枝を放り出して、振り返った。
守られていた一団――老いた家臣と、震える孫娘らしき少女、傷を負った数人の侍たち――は、腰を抜かしたように地面に座り込んだまま、ミクを見上げていた。
恐怖なのか、驚愕なのか、判断がつかない顔で。
「あ、どーもー」
ミクはにっこりと笑って、片手を挙げた。
「『藤原ミク』と言います」
そして首を傾けて言う
「此処はどこなんでしょうかね?。ところであなた達は誰なんですか?…… 私の敵ですかー?」
問いに、老家臣が慌ててブンブンと首を横に振った。何度も。
「あー、良かったですー」
ミクは胸を撫で下ろした。
「えへへー。お腹すいてるので、あんまり暴れたくなかったんですよねぇ」
次の瞬間、彼女の目が、傷を負った侍の一人に留まった。腕から血が滲んでいる。
「アッ! 痛そうです! 見せてください!」
駆け寄って、その腕を両手で包み込む。「あの、これは――」と男が戸惑う間もなく、ミクの指先から淡い光が溢れ出した。
傷口が、みるみるうちに塞がっていく。
「あ……あ……」
侍が自分の腕を見て、言葉を失っている。
「他に、怪我した人いますかー?」
ミクはあっけらかんとした口調で、周りを見回した。
その瞬間、たった今まで震えていた老家臣が、額を地面に擦り付けた。
「……お、お待ちくだされ、お方様!」
声が震えている。
「先ほどの、あの圧倒的な御力……そして今の、この慈悲深きお力……! これはまさしく、神仏の御加護に相違ございませぬ!」
「んー? そうなんですかね?」
ミクはきょとんとした顔で、自分の手のひらを見つめた。
「私はただのミクなんですけどねえ」
だが、その言葉はもう誰の耳にも届いていなかった。領主の孫娘を守っていた老家臣は既に涙まで流し、周りの侍たちも次々と地に膝をつき、頭を垂れていく。
「どうか、どうか我らをお導きくださいませ……! 当主様を失い、幼き姫は刺客に狙われ、我らではお守りする事叶いませぬ。お方様の御力にすがるしか道がございませぬ……!」
「え、ええ……? まあ、いいですけど」
ミクは戸惑いながらも、とりあえず頷いた。困っている人を放っておくのも寝覚めが悪い。それに――
「あ、そうだ。皆さん、この辺りに詳しいですよね? 一つ教えて欲しいんですけど……」
彼女は指を立てて、にっこりと笑った。
「小鳥遊淳志って人、見かけませんでしたかー?」
一同は顔を見合わせ、誰も答えられずに首を振るばかりだった。
「……そうですか。じゃあ、探すの手伝ってもらえますか?」
「は、はい! 何なりと!」
こうして、ミクはたった一刻ほどの間に、二千石の地方豪族の当主――領主の孫娘の後見人という立場を手に入れることになった。本人にその自覚は、ほとんどない。
あるのはただ、一つの目的だけだ。
「アツシさん、どこにいるんでしょうねえ」
誰にともなく呟いて、ミクは春の空を見上げた。
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