第48話 血の香りのクッキーと、理不尽な商談
静寂。
かつてグラナドスの利権を牛耳り、傲慢な探索者たちが闊歩していたギルドのロビーは、今や数分前までの喧騒が嘘のような沈黙に包まれていた。
床を埋め尽くす死体。空間ごと抉り取られたカウンターの残骸。その凄惨な景色の中心で、ミクは出来立ての「探索者登録証」を満足げに眺め、ガタガタと震えながら座り込んでいる受付嬢に、花が咲くような笑顔を向けた。
「あのー。そういえばこれ、なんかめんどくさくなります? 掃除とか大変そうですけど」
あっけらかんと、まるでお茶をこぼした程度の不始末を確認するような口調だった。
受付嬢は喉を鳴らし、助けを求めるように生き残った職員たちに視線を送ったが、彼らは床に額を擦り付けたまま石像のように動かない。助けなど、来るはずもなかった。
「……ミク。お前、この状況でその姉ちゃんが答えられるわけないだろ」
俺はやれやれと肩をすくめ、血の海を踏まないようにミクの横に立った。
「えー、なんか私が悪人みたいじゃないですかー。私は普通に質問してるだけですよ?」
プンスカと頬を膨らませるミクを余所に、俺は受付嬢と、床に伏せている職員たちに冷徹な声を投げた。
「いいか。誰かが来てどうしてこうなったか聞かれたら、正直に言え。登録に来た人間に探索者が絡んで、返り討ちに遭った。それをギルマスが強引に捕まえようとして、こうなった、とな。……それでも俺たちを捕まえたいという命知らずがいるなら、ダンジョンに行ったと伝えて構わん」
俺の言葉に、受付嬢は小さく「ひ、ぅ……」と声を漏らして頷いた。もはや否定する気力すら残っていないのだろう。
そんな彼女に、ミクが身を乗り出して興味津々に問いかける。
「そういえば。ダンジョンって、死体が勝手に消えるって本当ですか?」
「そ、そう聞いてます……。魔素に還元されるとかで、翌日には綺麗に……」
「おー、アツシさん! 聞きました? ダンジョンならいくらでも殺し放題ですよぉ」
ミクが嗤った。その声の響きには、純粋な喜びと、これからの旅への期待だけが詰まっている。隣にいる俺ですら、たまにその突き抜けた倫理観には「うわぁ……」と思わされるが、まあ、これが俺たちのスタイルだ。
「ところで。ダンジョンって馬とかは連れて行けないんですか?」
「い、入り口から二層までは石造りの狭い通路なので、基本的には無理です……。ただ、その先は草原が広がっているので、高ランクのパーティーの中には『仮死のポーション』で眠らせて、収納で運ぶ人たちもいます。……ただ、ポーションが非常に高価なので、ごく一部ですが……」
「へぇー、高ランクって相当強いんですねぇ」
ミクの言葉に、受付嬢が涙を浮かべながら、俺が先ほど「時間切れだ」と首を跳ねた女探索者の胴体を指差した。
……ああ、こいつがその「高ランク」だったわけか。なんか、スマン。
ミクは「はい、これお礼です。美味しいですよ?」と、自分のカバンからクッキーを一枚取り出し、受付嬢の手のひらに握らせた。
どうやらミクの中では、この受付嬢はすでに「新たな知人枠」に登録されたらしい。次に街で会ったときには「久しぶりですねぇ!」と屈託なく絡んでいくのだろう。受付嬢にとっては悪夢の再来でしかないだろうが、俺はわざわざそんな面倒な関係に口を出すような野暮な真似はしなかった。
ギルドを後にした俺たちは、馬――いや、スレイプニルたちのための『仮死のポーション』を仕入れるべく、都の外れにある薬品店を訪れた。
だが、店主は一瞥して俺たちを「冷やかし」と決めつけた。
「仮死ポーションだと? あれがどれだけ高価で、扱いが難しいか知ってるのか? ろくにダンジョンにも潜ったことなさそうな若造に売るもんはねえ。帰れ」
偏屈な店主の言葉に、俺が反論するよりも早く、ミクの纏う空気が鋭利に冷え切った。
「……あの。私がどう使おうと、貴方に関係ないじゃないですか」
ミクの低い、だがよく通る声が店内に響く。
「私たちは相応のお金を払って買う。貴方はそれを受け取って売る。なんでそこに、お前程度の勝手な考えを混ぜて調子に乗ってるんです? ……殺しますよ?」
至近距離で放たれた明確な殺意に、店主の顔から血の気が引く。
その時、店の扉が開き、重厚な装備に身を包んだ五人組の探索者が入ってきた。いかにも手慣れた、高ランクらしい風格を漂わせている。
「店主、ポーションを……。おい、何かあったのか?」
リーダーらしき男が不穏な空気に眉をひそめると、店主はここぞとばかりに大げさに言い募った。
「聞いてくれよ、この客がな……!」
俺はため息をつき、店主の能書きを遮って、探索者たちをぶっきらぼうに見据えた。
「要は、そこのバカがポーション屋のくせに売り物を売らずに能書き垂れるから、連れがちょっとキレただけだ。お前らには関係ない。死にたくないなら、用を済ませてとっとと消えろ」
突然の俺の不遜な物言いに、探索者たちが絶句した。
一番若そうな女剣士が怒りに顔を赤くして一歩前に出ようとしたが、リーダーの男がそれを手で制した。
ほう、と俺は内心で感心した。さっきのギルドの女より、よほど状況判断ができている。俺とミクが纏っている「異常さ」を、本能で察知したのだろう。
「ねえねえ、親父さん。結局売るんですか、売らないんですか?」
ミクが、先ほどまで殺すと言っていた相手とは思えないにこやかな笑顔で店主を詰める。
「あ、これって『生きていたいんですか、死にたいんですか』って聞くのと同じですからね? ちゃんと考えた方がいいですよー」
「……だ、ダンジョンに、入る用ですかい?」
店主はもう抵抗を諦め、震える声で尋ねた。
「そうですよ。スレイプニル二頭を連れて行きたいんです」
「ス、スレイプニルですかい……!?」
「? なんですか。ポーションが効かないとか?」
店主の説明によれば、普通の馬なら飲ませるだけで済むが、魔獣や騎獣の類は精神が頑強な分、信頼関係がないと薬に抵抗して暴れ出すのだという。まして伝説の魔獣であるスレイプニルともなれば、どうなるか予測もつかないと。
「大丈夫です、うちの子たちは賢いですから。それで、何本必要なんですか?」
「普通の馬の二回りは大きいなら、二倍の量を用意しやす……。ただ、深く潜るなら、途中で何度か飲ませないとダメですよ。三回は仮死にしないと石の通路は越えられないはずだ」
「えー、そりゃ面倒ですねぇ……。馬で行けるルート、無いですかね?」
「あー、そりゃ、ギルドで指名依頼出すか……」
店主の視線が、端で黙って見ていた高ランクの五人組に向いた。
俺はそいつらを見据え、端的に聞いた。
「お前ら、ひょっとして馬で行けるルートを知ってるのか?」
またしても女剣士が噛み付こうとして仲間に止められている。
リーダーの男は、重い口を開いた。
「……それは俺たちの飯の種だ。そう簡単に教えるわけにはいかない」
「ただでと言うつもりはない。お前らが行ける最深部まででいい。案内を頼む」
俺は『収納』から、龍の鱗と火吹き鳥の羽根を取り出し、無造作にカウンターへ置いた。
最初こそ怪訝な顔をしていたリーダーだったが、鑑定スキル持ちらしい魔法使いの女が、素材を見た瞬間に「……っ! これ、本物!? 嘘でしょ、こんな完璧な状態の……!」と興奮気味に耳打ちした。
「……いいだろう。その素材なら、ギルドを通す手間を省いても受ける価値がある。……契約成立だ」
翌朝、宿での待ち合わせ。
俺たちはポーションを抱え、新大陸の心臓部――ダンジョンの深淵へと向かう準備を整えた。
ミクは帰り際、さっきの探索者たちに向かって「明日、楽しみにしてますねぇ!」と、獲物を見つけた子供のような笑顔を振りまいていた。
案内役の五人組の背中が、わずかに震えたのを俺は見逃さなかった。




