第40話:毒見役と天然オーブン、蟲笛が呼んだ予期せぬ客
人跡未踏の秘境。そこは、スレイプニルですら足を踏み入れるのを躊躇うほどの濃密な魔力が渦巻く地、「龍の喉笛」の入り口だった。
「黒王、クイーン。ここで待ってろ。これ以上は、お前たちでも危険だ」
俺は愛馬の首筋を撫で、近くの村で知り合った案内役の少女・ファラに手綱を預けた。スレイプニルたちは不満げに嘶いたが、俺の眼圧に押されたのか、大人しく鼻を鳴らす。
「アツシさん、行きましょう! 龍ですよ、龍! 見たいし乗りたいです!」
ミクは深紅のコートの裾を翻し、スキップで森の奥へと消えていく。俺は溜息をつき、漆黒のコートの襟を立てて後に続いた。
一歩踏み込むごとに、植物の形が歪んでいく。
地面からは見たこともない色彩のキノコが群生し、時折、意思を持っているかのように胞子を撒き散らしていた。
「あ、アツシさん見てください! あのキノコ、すっごくプニプニしてて、なんだか高級な白子みたいですよ!」
ミクが指差したのは、木漏れ日を浴びて乳白色に光る、脳みそのような形状の巨大キノコだ。
「……見た目からしてアウトだろ。幻覚剤の塊にしか見えんぞ」
「でも、匂いは最高級の出汁の香りがします。はい、アツシさん。テイスティングの時間ですよ!」
ミクは迷いなくキノコをもぎ取ると、俺の口に放り込んできた。噛んだ瞬間、濃厚な旨味と――脳を焼くような強烈な痺れが走る。
『不健康状態を検知:強力な神経毒・幻覚作用』
『システム実行:健康体による初期状態への修復』
「……不味くはないが、一瞬で三途の川が見えた。食感は確かに白子に近いな。毒さえ抜けば……いや、収納で毒だけ収納できるのか?。『収納』で選別をして、もう一遍俺が毒見してから安全ならミクも食べられるか……、一応ヒール使えるしな」
「さすがアツシさん、頼もしいです!」
俺の不老不死(正確には初期状態への即時修復)を、完璧に「便利な検食システム」として利用している。ミクの合理性は、時として俺への配慮を完全に置き去りにするが、彼女が嬉しそうに「白子キノコのホイル焼き」を計画しているので、黙っておくことにした。
道なき道を進む俺たちの前に、次に現れたのは蛍光色に輝く極彩色の巨大な蛇だった。
牙からは紫色の毒液が滴り、滴り落ちた雫が地面の草をジュッという音と共に溶かしている。
「アツシさん、こいつは当たりですよ! 見てください、この筋肉の躍動感。地鶏のような最高級の肉質に違いないです! 図鑑なんてなくてもわかります、私のお腹がそう言ってます!」
「お前の胃袋は解析スキルを超えてるな。……わかった、殺せ。毒は俺が引き受ける」
ミクが地面を蹴る。スライムリングの膜が、大蛇が吐き出した毒霧をヌルリと逸らした。一瞬で懐に入ったミクの右拳が、大蛇の頭部を「質量パンチ」で粉砕する。
俺は死体を『収納』し、システム上で解体を行う。
肉の一切れを口に放り込み、修復機能が働くまでのラグで毒の浸透具合を確認する。
「……毒は皮下組織に集中しているな。中心部の赤身は無傷だ。味は……驚いた。本当に鶏肉の弾力と、上質な和牛の脂の甘みが同居している。こいつは『サシヘビ』と名付けるか!」
「やったー! 今日のメインディッシュですね!」
だが、食料の確保は順調でも、肝心の「龍」の気配は一向に見つからない。
さらに進むと、巨大な蜂が飛び交うエリアに出た。
「アツシさん、あの巣! あの大きさなら、ハチミツも相当な量ですよ!」
「嫌な予感しかしないが……」
俺が止める間もなく、ミクは巨大な巣の根元をぶん殴って破壊し、溢れ出した黄金色の蜜を豪快に『収納』した。当然、激怒した巨大蜂の群れが雲のように押し寄せてくる。
「アツシさん、逃げてください! 私は絶対回避で大丈夫ですから!」
「おい、ふざけるな!」
結局、俺は蜂の群れに包囲され、数千箇所を刺されながら森を走る羽目になった。刺される端から肉体が修復されるため、痛みだけが永遠にループする地獄だ。
痛さで収納の狙いもなかなか付けられず、毒キノコの胞子やヘビの毒を霧状に射出してやっと逃げれた。
というか、転移すればよかったんだな……
人間パニックだと視野が狭くなるわ
ようやく振り切った時、ミクは何食わぬ顔でパンケーキにその蜜をかけて食べてやがった。
「アツシさん、お疲れ様です。この蜜、少しピリッとしてて元気が出ますよ!」
「……死ぬかと思ったぞ。いや、死ねないから余計にタチが悪い」
数日が過ぎた。
俺たちは、全身に炎を纏った、体長五メートルを超える四つ腕の巨熊と遭遇した。凄まじい熱気が周囲の湿度を一気に奪う。
ミクの目は、もはや魔物を捕食対象としてしか見ていない。
俺が遠隔から『臓器収納』で心臓を抜き取ると、巨熊は轟音を立てて倒れた。
「ミク、プランを言え」
「アツシさん! こいつ、死んでもしばらく体が燃えたままですよ。これって天然のオーブンじゃないですか!」
「穴を掘って、この子を埋めます。その前にアツシさん、内臓と血液だけ抜いて中を綺麗にしてください! そのあと、この魚醤と香辛料と酒を混ぜた特製ソースを『収納』経由で体内に注入です!」
「……調理器具扱いが板についてきたな」
俺は溜息をつきながら、システムを操作する。
毛皮の熱源を活かすため、外傷をつけずに内臓だけを正確に亜空間へ。空洞になった体内にミク特製の調味液を転送する。死してなお燃え続ける皮の余熱が、肉をじっくりと、かつダイレクトに蒸し上げていく。
数時間後。穴から引き揚げた熊の皮を裂くと、中から芳醇な香りの湯気が爆発した。俺が洗浄したホルモンも、即座にハーブソルトで炒めて「もつ焼き」にする。
「んん〜っ! 柔らかい! 皮の熱で中まで味が染みてます! 最高ですアツシさん!」
「……ああ、石焼き蒸しに近いな。この『炎熊』の脂、意外とさっぱりしていて食が進む」
贅沢な食事を続けながらも、俺の心は冷静だった。
行き当たりばったりに進みすぎている。この霧の深さといい、魔力の濃度といい、明らかに龍の領域に近づいてはいるが、入り口で足止めを食らっている感覚だ。
「全然見つかりませんね。迷子ですかね、アツシさん」
「……お前が能天気に進むからだろうが」
「えへへ、でもこういうのも楽しいじゃないですか! せっかく二人きりのハネムーンなんですから!」
ミクはワインを飲みながら笑っている。
確かに、この秘境でのサバイバルは、かつて王都でゴミ扱いされていた頃には想像もできないほど「自由」だ。
だが、目的地に辿り着かなければ、いつかリソースも尽きる。
その時、俺は漆黒のコートのポケットで眠っていた「ある物」を思い出した。
「……そういえば、アラクネの長からもらったこれがあったな。虫同士なら情報が繋がるか」
俺は小さな骨でできた『蟲笛』を取り出し、軽く息を吹き込んだ。
人には聞こえない、だが魔力を持つ者には響く高周波の音色が、深い霧の奥へと波紋のように広がっていく。
――ガサッ。
茂みが揺れ、霧の向こうから気配が近づいてくる。
現れたのは、六本足の多脚種でも、甲殻に覆われた虫魔族でもなかった。
「……何の用だ、人間。我が森で蟲笛を吹く者がいるとは」
透き通るような銀髪に、月明かりを反射する白い肌。
そして、何よりも特徴的な――長く尖った耳。
霧の中から現れたのは、弓を構えた一人の人影だった。
アツシとミクが顔を見合わせる。
人跡未踏の地に現れたのは、
――エルフ、だった……?




