閑話 井の中の勇者たちと、空回りの追撃戦
聖王国グランディアの王城。
かつて華やかな祝宴が開かれていた大広間は、
むせ返るような血の匂いと、
重苦しい沈黙に包まれていた。
「……信じられない。
王都の警備網を抜け、国王陛下や
名だたる貴族たちを一方的に虐殺しただと?」
金髪の勇者カイトが、
床に残る血の染みを見下ろして忌々しげに吐き捨てた。
魔族領への進軍中だった彼らは、
王都の異常事態を知らせる早馬を受け、
急遽軍を反転させて戻ってきたのだ。
玉座の前に置かれた長椅子には、
生き残った第二王女と第三妃が、
毛布にくるまり、身を寄せ合って震えていた。
「誰の仕業だ? 魔王軍の精鋭か?」
賢者の青年が問う。
「……あ、あの二人です」
第二王女が、青ざめた唇を震わせて答えた。
「召喚の間で……不要だと追放された、
アツシと、ミク……」
「はぁ?」
カイトが間の抜けた声を上げた。
「あいつらだと?
あのスキル無しのゴミ共が?
冗談だろう。あいつらにそんな力があるはずがない」
「本当です……!」
第三妃が半狂乱になって叫ぶ。
「あの男が指を鳴らしただけで、
陛下の首が……音もなく落ちたのです!
そしてあの小娘は、笑いながら……
素手で貴族たちの首を次々と……!
あれは人間ではありません! 悪魔です!」
その証言を聞いても、
五人の勇者たちの表情には、
恐怖や焦りは微塵も浮かばなかった。
浮かんだのは、浅はかな「優越感」と「嘲笑」だ。
「……なるほどな。わかったぜ」
カイトがやれやれと肩をすくめた。
「暗殺用の『魔道具』だな。
遺跡か何かで、強力な奇襲用のアイテムでも
拾ったんだろう」
「違いありませんわ」
聖女が同調して鼻で笑う。
「王城の警備が油断している隙を突いて、
卑怯な道具で不意打ちしただけ。
基礎ステータスが凡人のあいつらに、
正面切って戦う力なんてあるはずがありません」
彼らは、神からチート能力を与えられた
「選ばれし存在」だ。
自分たちこそがこの世界における絶対強者であり、
あの二人が自分たちを上回る理不尽な力を
持っているなど、想像すらできない。
ネズミの島で頂点に立った猫が、
海の向こうにいる虎の存在を知らず、
「俺が最強だ」と信じ込んでいるのと同じだ。
「王女様、ご安心を」
カイトは芝居がかった動作で、
腰の聖剣に手を当てた。
「魔族どもとの戦いは、一時休戦としましょう。
向こうも国境まで軍を引かせれば、
文句は言わないはずだ」
「なっ……魔王討伐という使命を
放棄するおつもりですか!?」
「放棄ではありません。『優先順位』の問題です」
カイトはドヤ顔で言い放った。
「まずは、身の程知らずのネズミ共を駆除し、
当主を失い混乱する貴族たちに、
我ら勇者の『絶対的な力』を示す必要があります。
そうすれば、この国の結束はより強固になる」
カイトの目論見は明白だった。
魔族との泥沼の戦いよりも、
「暗殺犯を討ち取った英雄」として、
この国の実権と称賛を完全に掌握するつもりなのだ。
「や、やめてください……!」
第二王女が床に崩れ落ち、懇願した。
「あれに追手を差し向ければ、
今度こそこの国は滅びます!
お願いです、もう放っておいて……!」
「お労しい。恐怖で正常な判断が
できなくなっておられるのですね」
カイトは哀れむように王女を見下ろし、
マントを翻した。
「安心してください。
俺の『聖剣』が、奴らに本当の絶望を教えてやる。
チートを持たぬ弱者が粋がった代償……
己の生まれを後悔させてやりますよ」
かくして、
勇者五人と、復讐に燃える貴族の私兵たちによる
大規模な「追撃軍」が結成された。
彼らは意気揚々と王都を出発し、
目撃情報を頼りに西へと軍を進めた。
「逃げ足だけは速いようだが、
無駄な足掻きだ」
「すぐに見つけ出して、八つ裂きにしてやろう」
数日後。
追撃軍は、山岳地帯を抜け、
魔族領の手前にある渓谷まで辿り着いた。
だが、そこで彼らは完全に立ち往生していた。
「……どういうことだ?」
カイトが苛立たしげに舌打ちをする。
「足跡が……完全に途絶えています」
斥候の兵士が、脂汗を流しながら報告した。
「途中の宿場町で、二頭の巨大な馬に乗って
出発したという目撃情報はありました。
ですが、この渓谷の入り口から先、
馬の蹄の跡も、人の歩いた痕跡も、
突然、何の前触れもなく消滅しているのです!」
無理もない。
アツシとミクはここから、
時速100キロで断崖絶壁を駆け上がる
八本足の魔物「スレイプニル」に乗っているのだ。
通常の馬車の轍や足跡を追っていた斥候に、
追えるはずがなかった。
「ふざけるな! 空でも飛んだとでも言うのか!」
「隠密の魔道具でも使っているに違いない!」
「くそっ、卑怯なネズミ共め!」
勇者たちは声を荒らげ、
森や岩場をシラミ潰しに捜索させた。
だが、一日経ち、三日が過ぎても、
二人の影はおろか、糸口一つ見つからない。
当然だ。
その頃、当のアツシとミクは、
彼らの捜索範囲から遥か数百キロ先の魔族領で、
蟲魔族たちと物々交換をして
オーダーメイドの服を作らせていたのだから。
さらに一週間が経過した。
「……食料が、底を尽きかけています」
「兵士たちの士気も限界です」
貴族の私兵たちは、
見えない敵を追う無意味な行軍に疲れ果て、
不満を爆発させ始めていた。
「チッ……!
どこまでコソコソと逃げ回る気だ!」
カイトが近くの岩を聖剣で斬り飛ばし、
八つ当たりをする。
自分たちの圧倒的な力を見せつけるための
華々しい追撃戦は、
敵の尻尾すら掴めないという
最高に泥臭くてみっともない「迷子」へと
成り下がっていた。
「……仕方ありません。
これ以上は軍の維持が不可能です」
賢者が冷静に告げる。
カイトは悔しそうに唇を噛み締め、
ギリッと剣を鞘に収めた。
「……撤退だ。
運のいいネズミ共め。
次に見つけたら、必ずこの手で……!」
負け惜しみの捨て台詞を吐き、
大軍勢は踵を返した。
魔族との休戦協定まで結び、
国力を割いて大々的に行われた「追撃戦」は、
敵の顔すら拝めないまま、
何一つの成果を上げることもなく、
尻すぼみに解散するという
前代未聞の不手際として幕を閉じた。
王都に戻った彼らを待っていたのは、
貴族たちからの冷ややかな視線と、
「無能な勇者」という陰口だった。
◇
「んん〜っ!!
アツシさん、これ最高です!」
その頃。
魔族領の海辺の街。
ミクは、テラス席で
山盛りの「魔海鮮丼」を頬張りながら
歓喜の声を上げていた。
「本当に、この『ウミトラザメ』の脂、
口の中でとろけますね!」
「ああ。蟷螂族の鉈で捌いて貰ったからな。
切り口が滑らかで、舌触りが格段にいい」
アツシも、
醤油代わりの魚醤を少し垂らした刺身を口に運び、
満足げにワイングラスを傾けていた。
「追手とか、来てないですよね?」
ミクがふと思い出したように聞く。
「さあな」
アツシは海風に吹かれながら、
興味なさそうに答えた。
「どこのバカが追ってきているのか知らないが、
俺たちの食事の邪魔をしないなら、
どうでもいいことだ」
「ですね!
おばちゃーん、おかわり!」
彼らの脳内には、
もはや勇者の「ゆ」の字も存在していなかった。
あるのは、次に出てくる
極上の海の幸のことだけだ。
絶対的な強者による、
残酷なまでの「無関心」。
勇者たちの空回りは、
今日も絶賛継続中である。




