5:最初の不穏の種
不穏の始まりは
「イリーナ!?」
アニエスの三歳の誕生日だ。
神殿で魔力と加護の測定をした後、屋敷に戻るなり奥様が倒れた。
「かあさま?」
来た。
「奥様を部屋に運びます!医官を呼んで!」
すぐに指示を飛ばし魔力で奥様を包み部屋に運ぶ。
「えりく」
「お嬢様、大丈夫です。ご安心ください」
不安そうなアニエスを抱っこして、一緒に部屋へ急ぐ。
「奥様、ベッドに寝かせますよー。よいしょっと」
ベッドに奥様を寝かせる。
「かあさま」
アニエスをベッドの横に下ろして
「失礼します。」
奥様の背に腕を回し少し体を起こし、口元に薬瓶を近づける。
ゆっくりゆっくり薬を飲ませる。飲ませ終えた私は
「よし。後は医官に任せるとして、ユーレイア。お嬢様をお願いします。私は執務補佐官に報告があります。頼みます。」
アニエスをユーレイアに託す。
「分かりました」
「お嬢様。私のことを信じて待っていてください。絶対大丈夫ですからね」
アニエスを一度抱きしめて、部屋を出る。
執務室では奥様の右腕である執務補佐官、リチャードが難しい顔をして資料を読んでいた。
「リチャさん。お話しがあります」
「エリク。防音の魔力壁を」
「はい」
リチャードに事の経緯を説明する。
「奥様が」
眉間に皺が寄った。
「はい。南方の領で流行っている解脱病かと思ったので体力回復剤を飲ませています」
アニエスの記憶から確定してはいるが、断言はしない。
「ありがとうございます。エリクの調合技術で作った薬なら効くでしょう。南部での治療にも用いられ効果があると報告がありました」
アラバの南方で体力を奪い最悪の場合死に至る病が流行っている。
この地の風土病のようで数十年毎に流行期を繰り返している。
体力の少ない老人の患者が多いが、若い年代も関係なくかかる。
本来なら奥様はこの病で亡くなる。
それを防ぐのが私の仕事だ。
「奥様は私に任せてください。必ず助けます」
リチャードが頷く。
「エリクに任せます。執務は旦那様と相談しながら進めます。屋敷の皆には薬を配っておきますので、こちらはお任せください」
奥様亡き後のスピノザ家の家計を支えた男だ。
こちらが道を間違えなかったら強い味方になる。
「ありがとうございます」
私は執務室を後にして、自室に戻る。
女神の権能で隠した調合道具を一旦全部だし、箱に詰めて奥様の部屋に運ぶ。
「ユーレイア、お待たせしました。」
「エリク、これは一体。」
私が持ち込んだ道具を見てユーレイアが困惑する。
「奥様が目覚めるまで私が部屋に詰めます。お嬢様をお願いします」
「分かりました。」
「お嬢様は子供で体力も底なしなので、大丈夫だと思いますが、具合が悪そうでしたらすぐに連絡して下さい。はい、これはユーレイアの分。」
体力回復剤を渡す。リチャードが配ると言ってくれたが、私からも渡しておこう。
「分かりました。」
ユーレイアにアニエスを託し、私は奥様の部屋で体力回復剤を調合する。
この日の為に調合技術を学んだ。
アニエスの記憶とは別に、ここで過ごした三年の月日が、ここで失敗してはいけないと私に言う。
奥様はゲームや漫画でいうところのチートキャラだ。
この後の大体の不穏は奥様がいることで解決または発生しない。
「絶対助ける」
庭の一部に薬草園を作りこの日に備えていた。魔素濃度は私が維持しているから問題ない。
「不安そうにしていたなぁ。はぁ、ユーレイアがいれば大丈夫だと思うけど。」
部屋を出る時のアニエスの不安そうな顔を思い出す。
しばらくして駆けつけた医官が奥様を診察して、病気を断定する。
「解脱病です」
「やはり」
「旦那様やお嬢様に初期症状は見られませんでした」
「ありがとうございます。私が奥様の看病にあたります。医官様は屋敷の皆様の経過観察と病気の予防に努めていただきたいです」
「分かりました。貴女ほどの薬師はアラバ中を探してもおりませんから」
「お任せ下さい」
騎士伯家の担当医官を選定する際に口を出して良かった。記憶にある医官では私の進言に耳を傾けない可能性があった。
「治療法が確立している病だ、大丈夫。やれる」
私は自分に言い聞かせる。
体力回復剤を目が覚めるまで与え続けるだけだ。
大丈夫、絶対大丈夫。
それから私は奥様が目覚めるまで世話を続けた。
「えりく?」
奥様が目を開けたのは、倒れて二日後のことだった。
「目覚めましたか。おはようございます、奥様」
「わたくし、どうしたのかしら」
ぼんやりとした表情でまだ頭も働いてないようなのに状況把握に努めようとする姿勢に感服する。
「解脱病に罹っています。それで倒れました。」
「今は」
「二日は寝ていました。目が覚めたので、もう大丈夫です。食事の用意をします。」
保温の魔道具の上に乗せたスープを運ぶ。
「あ、ありがとう、エリク」
「いえ。私はお嬢様の為になることしかしてません」
「ふふふ、それでもいいの。助けてくださってありがとう」
奥様が亡くなった時点でスピノザ家の行く末は没落確定だ。
旦那様は軍人としての能力はあれど、家の運営能力はない。それはリチャードが補える部分だが、本当に重要なのは旦那様とアニエスの精神的支柱ということ。
旦那様は奥様を亡くした後からみるみる内に人が変わったように悪くなっていく。
そして最後にはクーデターを起こし亡くなる。
周囲に利用された末のクーデターだったが、それでも実際行動に移したのは旦那様自身。
これで最初にして最大の不穏の種を取り除けた。
これはこの先のアニエスにとってとても大きい。
「奥様。はい、あーん」
食事を食べさせていると、バターンと大きな音を立てて扉が開いた。
「イリーナ!」
旦那様だった。目覚めた奥様をみて感涙している。
「凄いタイミングで現れるな、この人」
「アーロンは大体こういう時の勘は外さないの」
「こういう時?」
「あーん、なんて秘密の関係みたいでしょ?」
「ああ、そうっすね。興味ないですけど」
私は旦那様に皿とスプーンを渡す。
「食後は体力回復剤を飲んで休んでください。それでは私は報告があるので、失礼します」
私の代わりに奥様の世話を旦那様に押しつけ部屋を出る。
執務室でリチャードに声をかけ、状況を説明した。とても分かりづらいが喜んでいた。
廊下ですれ違う使用人たちに奥様が目覚めたことを告げながら部屋に戻る。
風呂に入って、温まるとものすごい睡魔に襲われる。
「やば、あがろう」
早めに切り上げ浴室から出る。食事をする気分ではなくなったので、寝間着に着替えてすぐにベッドに倒れ込む。
「ねむ」
すぐに意識を手放した。
「ん、うぅん?」
体が熱い気がして目が覚めた。
「起きましたか?」
何故か部屋にユーレイアがいる。
「ユーレイア?なんで……?!」
体を起こそうとして、私にくっついて眠るアニエスに気づいた。子供は体温が高い、熱く感じたのはそのせいか。
「お嬢様」
体を起こすのをやめる。
「奥様が目覚めたと聞いたのに、エリクが会いにこないので、お嬢様と心配で見に来ました。」
「あー、なるほど。色々限界だったので、すみません。心配かけました」
「エリク。奥様を助けてくださって、ありがとうございます」
「お嬢様が悲しむ姿は見たくありませんから」
「ええ、そうですね。」
ユーレイアと話していると、
「うー」
アニエスが起きた。
「お嬢様、おはようございます」
「えりく。」
「はい。お嬢様のエリクですよ。すぐに会いにいけなくてすみませんでした」
「えりく、……」
「どうしました?」
アニエスが私の頬に手を伸ばした。
触れやすいようにと顔を近づける。
小さな手が私の頬に触れる。すると、
「ゆーれいあ、えりくのほっぺあついの」
目を丸くしてアニエスがユーレイアを呼ぶ。
「え?!失礼します」
ユーレイアが慌てて私の額や首、手を触る。
「お嬢様、風邪かもしれません。感染るといけませんので離れましょう」
「いや!えりくといっしょがいい!」
「お嬢様。もしお嬢様と一緒に寝て、その後にお嬢様が発熱したら私は悲しくて泣いてしまいます。ですから、お部屋にお戻りください」
「やだぁ。えりくといっしょがいい!うえぇぇ」
アニエスが泣き出した。私のシャツを強く握りしめる。
「ユーレイア、取り敢えず医官様を呼んできてくれますか?風邪かはっきりさせてから再度説得しましょう」
疲労から熱だけでてる可能性もある。
「分かりました。しばらくお嬢様をお任せします」
泣き続けるアニエスの背中を優しく摩り宥める。
「お嬢様、もし風邪だった場合は離れると約束してくださいましたら一緒に寝ていいです。約束出来ない場合はお嬢様には悪いですが、無理にでも引き剥がします。どうしますか?」
「うええ」
「ユーレイアが戻ってくる間に決めてください」
「ううぅ」
「お嬢様、心配をかけてごめんなさい。会いに来てくれて嬉しかったです。ありがとうございます」
「ぅぅ、かぜだったら、おへやにかえる」
「お嬢様。ありがとうございます」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃなアニエスの顔を拭くものがなくて、シャツで拭う。
「はい、ちーん」
ぶしゃぶしゃと鼻水が勢いよく出た。
ぐしゃぐしゃのシャツを脱ぐと、
「えりく、おっぱいある」
アニエスがびっくり顔で私の胸を凝視する。
「ん?ありますよ?ユーレイアよりはありませんけど」
思ったよりあったってことかと思ったら
「とうさまといっしょじゃない?」
そうではなかったようだ。
「はい。旦那様とは一緒じゃありません。私は奥様と同じ女ですから」
旦那様と同じだと思われていた。
確かに旦那様は胸筋があって弾力のある胸だと思うし、男性の格好をしているから勘違いするのは当然なのだが、ちょっとショックだった。
「お嬢様、私が女だったら嫌いになりますか?」
私が尋ねるとアニエスは首を横に振る。
「えりく、すきよ」
「ありがとうございます、お嬢様」
結局看病疲れの発熱だった。
アニエスと仲良くくっついて眠った。




