4:アニエスお嬢様、穏やかな時間の記録。
ころころ寝返りを打ったり、腕を元気良く伸ばしたり曲げたり、足をばたばたさせたり、成長するにつれ動きが活発になってきた。
私が与えた玩具も大活躍だ。でもうさぎのぬいぐるみの耳を掴んでぶん回すのはいかがなものかと思う。
タオルにしてみるか?
アニエスの一生の中で一番穏やかな時間は生まれて三年の間だけだ。あとは何かしら周囲の状況や本人の心に不穏が付き纏う。
ここは本来私がいてもいなくてもいい時間かもしれないが、私という異分子が周囲に溶け込むには必要な時間だ、と解呪挑戦の開始時は小難しく考えていた。
「ふふふ私グッジョブ」
まさか赤ちゃんアニエスにメロメロになるとは思わなかった。
もうすっかり乳児を卒業したアニエスは今日も元気いっぱいにユーレイアに抱きついている。
私ではない。ユーレイアに抱きついている。
成長するにつれて何故か私を避けるようになった。
今現在も奥様の部屋の一角に作られた遊び場でユーレイアと遊んでいる。
奥様付きの他の侍女と原因について考える。
「男装のせいじゃない?」
「いやいやまさか。お嬢様が産まれてこのかた、服装を変えてませんので、お嬢様にとって見慣れた格好です」
「それもそうよね。」
「やっぱり胸囲か。クッション詰めれば寄ってくるか試してみましょう」
胸に詰め物をしてみても、アニエスは一瞥もくれない。
「うぅ、ちょっとショックです」
遊び場に入ってメソメソと泣き真似をするも駄目だった。
本気で凹んで遊び場にゴロンと寝転がり
「いいなぁー、ユーレイアさんばっかりお嬢様と遊んで」
いじける。
すると、ユーレイアがアニエスを私の腹の上に乗せた。
ぽんぽん
お腹を叩かれる。いい音がしたので、面白かったのかアニエスが私の腹を勢いよく叩きだした。
「いて、」
意外と力強い。
「でも嬉しい」
「エリクさんは変態ですねー、お嬢様」
ぽんぽこぽんぽこ
ユーレイアの言葉に反応もせず叩き続ける。
「ふふ、いて、私の勝ち、いて、ですな、ユーレイアさん」
「全然羨ましくないわ」
「いて、お嬢様、もう少し優しく、いて」
「お嬢様。駄目ですよ、優しくぽんぽん」
「うー」
アニエスの腕を掴み、ユーレイアが私のお腹をゆっくりぽんぽんする。すると、ユーレイアが手を離しても優しく叩く。
「ふぁぁぁ、お嬢様ぁ。注意されたらすぐに直せる素直なところが好きですぅ」
「エリクさん、情緒がおかしいです」
デレデレしている私にユーレイアが引く。
一歳の誕生日を迎える頃には私にも抱っこをねだるようになった。
「うへへ」
アニエスを抱っこして屋敷内を散歩する私に使用人から憐憫の眼差しが向けられる。
「エリク。少しいいか?手合わせを」
本日休みの旦那様に見つかった。
事あるごとに手合わせを依頼してくる旦那様に何度目か分からない台詞を返す。
「嫌です。手合わせなら騎士団でどうぞ」
「エリクのような手段を使う者がいないんだ。頼む」
私ははっきり言って運動音痴だ。走るのも遅いし、球技は全滅、体は硬いし泳げない。
そんな私が動かなくても相手を制圧できるのは女神の権能のおかげだ。
ただ魔力の塊を撃ち出しているだけだ。
まぁそれでもソルシエールの騎士に勝つまではいかないくらいの技量しかない。
アラバの騎士は魔法魔術戦闘が下手だ。というか、魔法魔術を使う柔軟性がない。
武器や防具の性能がいいから、魔力がなくても戦えるのが一因だと思う。
後はキツネ型魔獣が生息しないから遠距離攻撃に対しての鍛錬不足なのかもしれない。
弓兵に撃たせてみればと言ったことがあるが、
「旦那様をなんだと思ってるの!」
と他の使用人から叱られた。
「お嬢様と散歩中なので嫌です。」
「そこをなんとか」
粘る旦那様の様子にユーレイアがアニエスを私から取り上げた。
「あ」
「お嬢様の散歩は続けるので、どうぞ旦那様の手合わせに付き合ってください」
「……ユーレイアさん、覚えとけよ」
「言葉違いが乱れてますよ」
「はぁ。分かりました。一回だけですからね?」
「あぁ、頼む。エリク、ユーレイア、ありがとう」
庭に出る。めちゃ広の庭の開けたスペースで距離をあけ向かいあう。
「いくぞ」
「はーい」
前方に魔力の盾を三枚張る。そして、一斉射撃。
いつもはこれで終わるのだが、今回は違った。
ちゃんとガードして、ダメージを減らしたのが分かる。
「やればできるじゃないですか、旦那様」
「何度も同じ戦法は通じない!はあ!」
勢いよく突っ込んできた旦那様の頭上から
「そうかな」
雨のように弾を降らす。
「ぐわ」
当たっても問題ない場所を狙って当てる。
旦那様が地面に突っ伏したところで手合わせは終了した。
「ちゃんと並列発動しないと駄目じゃ無いですか。防御の壁か盾、もしくは身体強化を使わないと」
「く」
「私にも勝てないならソルシエールの騎士団には勝てないので、国全体にうっすらとかかる不穏な空気は改めたほうが身のためです。ものの数時間で全滅しますから」
アニエスの記憶の中にも残る強硬派閥の無謀な主張。隣国への侵攻。結局形にはならないのだが、私がいることで展開が変わるのは避けたい。
「陛下はそのような暴挙に及ぶ方ではない。」
確かにそうかもしれないが、問題は周囲の人間だ。
「王様がどうあれ、周囲の統率は計らないと。何かあって戦地にいくのは民で、あー魔力持ち前提なら貴族か。お嬢様の悲しむ顔は見たくないので頑張って下さい、旦那様」
刺せる釘は刺しておこう。
「分かった」
あんな怖い国と戦争したがるなんて愚かだなと心の底から思う。魔法魔術で負けているということは、こちらの攻撃は効かないということ。
サイス領以外の領へは行ったことはないが、国の有事にあの領が出てこないなんて考えられないので、完全に負けが確定している。
他にもあの領以上の領がないとは限らない。
地理的にソルシエールが近くにあるからそんなことを考えるのだろうけど。
「はぁ。平和が一番ってなんでわかんないだろう。女神もびっくりだよ。」
ぼやきつつ、屋敷に戻る。
と、散歩を続けると言っていたユーレイアが私のことを待っていた。
「お疲れ様。」
「ユーレイアさん、先程は失礼しました」
覚えてろなんて言った自分が恥ずかしい。
「お嬢様がソワソワしているから、仕方なくです」
「う」
アニエスが私に手を伸ばす。
「お嬢様♡」
抱っこを代わりまた屋敷内散歩に戻る。
アラバでは一歳記念の祝い事はない。
三歳になって、加護と魔力の計測を行い貴族と認められたら祝いのパーティを行う。
「えりく。だっこ」
三歳の誕生日を数日後に控えたアニエスは、まだ、穏やかな時間の中にいる。
私はまだ大丈夫と自分に言い聞かせ、アニエスを抱っこする。
「甘えん坊さんですね。抱っこばかりしてると私がユーレイアに怒られるんですが」
「えりくはだっこ、いや?」
「嫌ではありません。ですが、私は我儘なので、お嬢様とおててを繋いでお庭デートがしたいなぁと思っています」
「でーと、する」
アニエスは私の首にしがみつくと呟く。
「ありがとうございます、お嬢様」
ふわふわの髪が私の頬にあたる。
「ではお庭に行きましょうか」
部屋を出て庭に向かう。
「うん。えりくはゆーれいあ、すき?」
「同僚ですし、好きですよ。お嬢様の次の次の次くらいには」
正確には次なのだが、奥様と旦那様を間に挟んでおく。
「ふーん」
「お嬢様も好きでしょ?」
「うん。すき。」
「私と一緒ですね。」
庭に出るとアニエスを降ろす。
手を繋いで庭を歩く。
「ふふ。お嬢様、綺麗な花が咲いてますよ」
花を指差す。
「えりくは、おはな、すき?」
とアニエスがこてんと首を傾げる。
可愛い。
「まぁまぁ?です。」
花自体はそこまで好きではないし、それに嫌いでもない。
「えりく、さんぽすき?」
「ええ。お嬢様とする散歩が一番好きです。」
アニエスといるなら別に部屋に篭っててもいい。
「ふーん。」
何かを考えるように視線を逸らすアニエス。
私は足を止めてアニエスの隣に膝をつく。愛らしい顔を見つめ微笑む。
「お嬢様の側にいられることが一番の喜びです。お嬢様も私のこと、好きでしょ?」
「!!ち、ちがうもん。」
「本当ですか?エリク好きって言ってくださいよ」
「……えりく。」
「ん?」
「すき」
「ふ、」
「えりく?」
「ふへへへへへへへ、ぐふぇへへへ」
「わらいかた、こわい」
「ごほん。失礼しました。嬉しくて、つい。」
私は咳払いをすると、興奮する気持ちを抑え
「お嬢様。私はいついかなる時もお嬢様の味方です。」
アニエスの両手を握る。
「?うん」
良く分かっていない顔で頷くアニエス。分からなくても構わない。
最初は教育だなんだと考えていたが、今はただただアニエスが愛おしい。
私が絶対悲しませないと幼いアニエスに誓う。
「ではデートの続きと参りましょう」
「うん」
手を繋ぎ庭を歩く。
庭の一部に薬草園を作る許可を得て、ククルポとイバを植えた。他は討伐部隊が討伐のついでに採取してくれる。
手元になくて困る最優先の薬草だからだ。
魔素濃度に関しては私が薬草園内部の魔素濃度を高水準で保っているから問題ない。
「ここには私が育てている薬草があるんです」
「おはなは?」
「うーん、薬草の花は見た事ないですね。」
「そうなんだぁ」
「お花が咲いているほうに戻りましょうか」
来た道を戻ると庭デートを楽しむ旦那様と奥様と鉢合わせた。
「とうさま、かあさま」
「おお、アニエス。お散歩かい?」
「えりくとでーとなの」
アニエスの言葉に旦那様が私を睨む。元々強面なのに、更に怖い顔になっている。
「エリク、私の娘を誑かして何をする気だ」
今すぐにでも剣を抜きそうだ。
「いやいや。落ち着いてくださいよ、旦那様。何もしませんって庭で散歩しながら花を愛でていただけです」
「アーロン。大人げないですよ。もう」
奥様が窘める。こんなに子煩悩な人だっただろうか。
本来は愛妻家で子煩悩な父親だったのか。
最後に見た姿とかけ離れ過ぎている。冷たく何も映さない瞳が何の感情もなくアニエスを一瞥した、ああはさせない。
あの時アニエスがどれだけ傷ついたのかを私は知っている。




