3:アニエスお嬢様、爆誕。
アニエスが産まれるまでは屋敷の使用人の仕事を手伝って過ごした。
その合間に侍従に必要な資料を読んだり、紅茶を淹れる技術を学ぶ。
そして、奥様に陣痛がきた。
女性医官と侍女が慌ただしく奥様の部屋に駆け込んでいった。
私は自室で産後の体調を整える薬の調合を始める。
女神の権能で隠していた調合道具と薬草を取り出す。
「ふんふん、調合ー、調合ー」
サイス領で習得した調合技術をみせてやるぜと薬研をがらがらする。
調合技術は街一番の薬店の店主に教えてもらった。
毎日通って頼み続けて仕舞いには店主が泣いて折れた。師匠と呼んだら頭を抱えてた。とても可愛らしい師匠だった。
「よし。これを温めて」
煮立つ直前で火から下ろし、濾して瓶に詰める。
「そして、これを一気に冷やす」
水属性が無いと成功しなかった薬も、とある魔道具を使えば成功率が跳ね上がり作製できる薬師が増えたと教えてもらった。
が、あの時点から二十年前には存在しない魔道具のため泣く泣く持ってくるのをやめた。温暖な気候のサイス領で冷たい飲み物を飲みたい時に超便利だった。
熱吸収の力技で一気に冷やす。
「ふぅ。完了」
薬の入った瓶を持って奥様の部屋の前で待機する。
「エリク?何を持っているのかしら」
奥様の侍女が尋ねる。
「産後の体調を整える薬を用意しました」
「気が早いのね、もう少しかかるわよ?」
「産まれたらすぐ飲んでもらうつもりなので」
「そ、そう」
心配そうだったので、
「ソルシエールで修行した調合技術で作った一級品です。ご安心ください」
説明を続けるとそそくさと離れていった。
何故だ。
私が部屋の前で待機してしばらくして、スピノザ家当主、旦那様がやってきた。
いつもしっかり撫で付けている髪が少し乱れている。
「エリク、どんな具合だ?!」
「さぁ、私は薬の用意をしていたので、詳細は分かりかねます」
「イリーナ」
奥様を心配する旦那様に、
「旦那様。これは産後の体調を整える薬です。お子様が産まれたら部屋にいち早く入れる旦那様に託してもよろしいでしょうか」
薬の瓶を渡す。冷静に考えれば私は部屋に入れない。
「……毒でない証拠はあるのか」
その懸念は当然だ。それにも今気づいた。
「こんな堂々とした毒殺があるんですか?私は聖女様の顔に泥を塗るようなことは一切しません。心配なら解毒剤を用意したらいいじゃありませんか」
旦那様は腰に装備した薬入れに触れて
「分かった。信じよう」
頷く。
甘いなあーと思いつつ口にはしない。
大陸の解毒剤とソルシエールで流通している解毒剤では出来に大きな差がある。
それは薬草の魔素残有量と調合者の属性加護と魔力の有無にある。
何処を基準にするかで印象は変わるが、大陸の人間からしたら魔法大国ソルシエールは恐ろしさすら感じる国かもしれない。アラバで一級品の解毒剤が何処でも手に入るのだから。
「旦那様!産まれました!」
部屋の扉が開いて医官が旦那様を呼びにきた。
部屋の中から赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。
「ああ!イリーナ!」
奥様の名前を呼び急ぎ入室した旦那様のみを通すと、また扉が閉まる。
「さてと、お嬢様に会えるのは三日後くらいか?」
ここからが本番だと気合を入れ直す。
私は情報収集しないと動きたくないくらい慎重派だが、計画性はそう高くない。
大雑把な計画を立てて進めるのが性に合っている。
絶対NGと基本方針だけは固めた。
自室に戻り紅茶を淹れる。
「四番目の意地見せてやるぜ」
「エリク。本当に女の子だったわ。」
奥様の心からの声に
「奥様。残念そうに言うのはやめて下さい。そんなに私に辞めて欲しかったんですか」
文句を言う。
「だって貴女、侍女達を誑かしているでしょ?」
そんなつもりは一切ない。
「そんなことしてません。髪型や化粧を褒めただけです」
女性の変化を褒めろと、「おめぇはイタリア人か」と突っ込まずにはいられない父親からの教育の賜物だ。
そのおかげか弟はめちゃくちゃモテる。私はモテなかったが。
「わたくしの侍女の間でも人気よ。あと、男性の使用人からも人気があるのは少し意外だったけど」
「人気があるのは別に悪いことじゃありませんよね?」
人気があると何か問題があるのだろうか?話の流れがわからないと首を傾げると
「とある侍女と侍従が貴女を取り合っていたと聞いたのだけれど?!」
奥様が知らなかったの?!と驚いた。
そんなことになっていたなんて初耳だ。
「そうでしたか?もの好きもいたものですね。奥様。話を逸らさないで下さい。お嬢様に会えるというから来たんです」
本題に入りたい私と何故か嫌そうな奥様。
「……はぁ。そうだったわね。こっちよ」
部屋の奥に設置されたベビーベッドで、すやすやと眠るアニエスを覗き込む。
「可愛らしい」
髪の毛も薄いし、くしゃっとした赤ら顔で可愛い要素は何処にもないのに、可愛いと感じる。
テレビの赤ちゃん映像に何も感じない人間にも可愛いと思わせるとは生物の神秘に感動した。
「アニエスよ。約束通り、貴女を侍従としてつけるわ。赤ん坊の世話係になるのだけど、いいのかしら」
「勿論です。読み聞かせに知育玩具、食事に関しても勉強済みです」
奥様の妊娠に際して侍女たちが集めた書籍に一通り目を通している。玩具は女神の権能で色々持ってきた。積み木に絵本にぬいぐるみ、がらがら、ボール、パズル。
サイス領では領主の子が一歳を迎えたこともあり、知育玩具が流行っていた。ついつい買い過ぎた。
「……貴女、本当に何者なのかしら」
「聖女様の知り合いの、侍従希望者です」
「どうして、薬の知識と技術を活かした職につこうと思わなかったの?」
「私はお嬢様の侍従にしか興味がありませんので」
「そこも謎だわ。」
「嘘は言っていませんよ?」
誤魔化しはするが、偽りはない。そこは紳士的にいく。
「それは分かっているの。だから不思議と謎だけが残るのよ。」
「その謎にさえ目を瞑れば聖女との繋がりを周囲にアピールできるのですからいいじゃないですか」
「そこも理解しているわ。わたくしの個人的な興味よ」
「冷静で頭の回る奥様にしては正直過ぎませんか?」
スピノザ家で働くようになって気づいたのは、家の頭脳は奥様のほうだった。
だから意外な言葉に驚く。
「子供のことを考えると無視出来ないの」
恐らく本心だろう台詞に
「……親という生き物の気持ちを理解していませんでした。失礼致しました。私は」
謝罪する。
「ちょ、ちょっと待って!」
「ん?何故止めるんですか、正直に答えようとしたのに」
状況が理解出来ない。聞きたかったのではないのか?
「興味はあるけど、聞くつもりはないの」
「奥様。面倒臭いです」
本心がポロリと零れる。
「はっきり言うわね」
じとっと睨まれた。
「奥様、危険はありません。お嬢様のことは私が守ります。悪いようにはしません」
私の心の中を読もうとする奥様の視線から逃げずに言葉を重ねる。
「……よろしく頼みます」
奥様は、きつく目を瞑り、絞り出すように言った。
「お任せ下さい」
明日から私は奥様付きの侍従として、アニエスのお世話係となる。
赤ん坊の生態には詳しくないので、年嵩の侍女の指導を受けながらアニエスの世話を焼く。
毎日新発見の連続で、
「お嬢様、可愛い」
私はすっかりアニエスの虜になっていた。
その認識が使用人全体に浸透してきた頃、私の人気が落ち着いてきたらしい。
奥様が教えてくれた。何故高かったのかも謎だ。
私としてはどうでもいい情報だが、一応神妙な顔で聞いておく。
「はぁ、まぁいいわ。アニエスのこと、頼みましたよ」
奥様は仕事に出掛けていった。
屋敷内にある執務室で仕事をしている。
騎士伯家としての仕事は主に二つ。
騎士団の指揮官、これは旦那様の仕事だ。
騎士伯家の経理と運営、これを奥様が担当している。
スピノザ家は土地を持たない貴族、収入面では他の土地持ち伯爵と違い安定していない。
スピノザ家には専属の魔獣討伐の部隊があり魔獣討伐の素材などを仕入れ、商会で売買もしくは武器防具を作成し販売と色々事業を展開している。
私の作った薬も商会で販売し始めた。
あまり材料がないと口にしたら、魔獣討伐部隊に採取までさせ、山ほど薬草を積まれた。討伐部隊には魔力持ちも数名いるため薬草の質は充分だ。
断る理由もないので好きにさせている。私としても腕が鈍らないので助かる。
それにしても奥様の商売の嗅覚には感心する。
「エリクさん」
「あ、ユーレイアさん。」
アニエスの世話係は私の他にも侍女が数名いる。
ユーレイアはその中でも若い侍女で、何故かアニエスの寝かしつけがめちゃくちゃ上手い。
羨ましい。胸の大きさの差だろうか。
GもしくはHはあるかもしれない。
地味な見た目で巨乳という組み合わせは私の中の性癖をぐいぐい押している。
「また不埒な事を考えてますね?!」
ユーレイアが胸を隠した。凝視し過ぎた。
「あー、はい。すみません、羨ましくて」
「羨ましい?貴女、好き好んで男装をしているのではないの?胸は潰してるのかと思ったわ」
「あ、いえ、羨ましいのはユーレイアさんの彼氏さ、いてっ」
強めに叩かれた。
「変なことばかり言っていないで、仕事しますよ!」
ぷりぷりと怒るユーレイアも可愛らしくて素敵だ。
大きな胸に顔を埋めたい私の願望は黙っておこう。バレているかもだけど。
「はーい」
今日のアニエスは何故かご機嫌斜めだ。
オムツ、ミルク、眠いのかと色々試す。ベッドでは寝たがらず抱っこを所望していることはなんとか掴めた。
ユーレイアには抱っこさせるが、それ以外の侍女を拒む。私も例外ではなく、抱っこするとぐずる。他の侍女よりはマシだが、あまり変わらない。
「こういう日もあります。皆さんは他の仕事を、ユーレイアさんはお嬢様のお相手をして下さい。私はユーレイアさんのサポートに入ります」
乳児といえど、人一人の重さは結構負担だ。交代しながら世話を焼く。
お昼に奥様が戻ってくるとアニエスの機嫌も良くなった。
やっぱりお母さんがいいのだろうか。
「げふ」
お腹いっぱいになったアニエスはすやすやと眠る。
午前中のぐずりはなんだったのかと思うほどのすやすや具合にユーレイアと二人唖然とする。
まだまだ未知の生物だなと気持ちを新たにした。




