37:お嬢様と公爵家の人々
アニエスが入寮して約一ヶ月。
「ニール様がいるならもう少し寮生活をしようかしら」
と基準のブレないアニエスに苦笑する。
「アニエス嬢、実は屋敷に戻るように父から連絡があり、寮を出ることになりました」
ニールがそう言うとすぐに、
「わたしも家に帰ります」
発言を撤回する。
「あの、それで、父がアニエス嬢に会ってみたいと。えっと倒れた僕を助けたお礼がしたいそうなのですが、いかがでしょうか。」
「伺います!」
即答したアニエスにニールが笑う。
「ふふ、お屋敷にお手紙送ります。」
「お待ちしております」
可愛い二人の様子を眺めながらお茶を淹れる。
ニールにはまだ伝えられていないが、公爵の暗殺事件があった。首謀者は長男と叔父にあたるデカルト伯爵だ。
公爵の長男は結構ヤベェ奴だった。
使者を装い王城へ連れて行った。その際何故かその役を陛下から指名された。意味不明だ。
間近で見た陛下は年齢不詳だった。口調が軽々しいのもあるが、容姿からも年齢を導き出せなかった。
「アニエス嬢。あの、ここを教えてほしいのですが、」
ニールが術式構築の教科書を開く。つまづいている問題に目を通すとアニエスが解説を始める。
「はい。ここは、この魔術文字を入れて、ここと繋いで」
「えっと。この数式はここと繋ぐ、で当たっていますか?」
「はい。正解です。繋がりを想像すると構築しやすいと思います。これは火の玉を作って打ち出す術式ですから」
「延焼、形成、射出」
「延焼からの形成は直では成り立たないので、この動きを表す魔術文字と球体を表す魔術文字で流れを作り、形成に繋ぐ。」
「射出するための力、距離や速度がこの数式」
「一度ご自身で魔法を使ってみるとすんなりと解けたりしますよ」
「ありがとうございます」
ニールがノートに書き込む姿を笑顔で見つめるアニエス。ニールと出会ってから物凄くご機嫌だ。
「エリクそういえば調合の指名はどうだった?」
アニエスの授業中に出かけたが、入寮中は依頼を断ると話をしていたからやはり気になっているようだ。
「まぁまぁですかねぇ。奥様が断れない相手だったのですが、何故私だったのか不思議で仕方ありません。金持ちの道楽ですかね。」
「ふーん」
「年齢不詳の変な方でした」
陛下だよとは口が裂けても言えない。
そして残りわずかな寮生活を堪能して、屋敷に帰った。
それから正式にノヴム公爵からスピノザ家へ招待状が届いた。
旦那様と奥様、アニエスの三人に加えて私まで招待を受けた。
侍従という立場ではなく薬師として招待された。
なので、普段着以外の服を着なくてはいけなくなった。
これでいこうと準備した服は地味すぎるとリチャードからダメ出しをくらった。
リチャードに服を選んでもらった結果、
「いや、これ派手」
「公爵に招待されているのですから、これくらいは着飾らないと。」
「ぅ。ひらひらしてる」
袖と襟がひらひら。一応男装なのだが、ひらひらキラキラしている。
「エリク格好いいよ。似合ってる」
同じくひらひらキラキラのアニエスから茶化されずに褒められたから余計に気恥ずかしい。
公爵邸は王城よりは地味だけど、それでもかなり豪華な屋敷だった。
スピノザ家って意外と地味なんだと思うほど豪華だった。
全然落ち着かねぇ。
「エリク、そわそわしないの」
仕舞いにはアニエスに注意され
「ふふ、屋敷で働き始めた時と同じね。」
奥様には揶揄われる始末。
「お待ちしておりました」
広すぎる広間の入り口でニールが出迎える。
「ニール様、お身体は大丈夫ですか?」
アニエスはすぐに駆け寄り、ニールの顔色をチェックした。ここ数日、学院を欠席していたニールだったが、思いの外顔色は悪くない。
事件の顛末を聞かされたのだろうと推察する。
「もう大丈夫です」
「良かった」
「ぁ、あの。アニエス嬢、手を」
ニールがアニエスに手を差し出すと満面の笑顔でその手に手を重ねる。
広間では公爵と妻達、そして息子達が待っていた。
「良く来てくださいました」
挨拶を交わし、
「此度の協力に感謝する。」
事件解決への手助けの礼を受ける。
正妻は関与していなかったが、流石にこの場に姿はなかった。
「アニエス嬢、貴女が息子を助けたことから家のとある問題が解決した。何かお礼をしたいが、何かあるかな?」
公爵の問いにアニエスは微笑み、
「わたしは大したことをしておりません。公爵様からのお言葉だけで十分でございます」
礼を返す。
「そこをなんとか」
事件の話をしない公爵を見る限り情報を表に出したくはないのだろう。
「では、ニール様と縁を結ぶことをお許し下さい」
「?!」
「ニール様をスピノザ家に迎えたいです」
ここだ!と言わんばかりの笑顔で要望を捩じ込むアニエスに
「イリーナそっくりに育って」
旦那様が目頭を押さえる。
「ニールを?」
公爵がニールに目を向ける。ニールは真っ赤になったまま硬直している。
「勿論スピノザ家は大歓迎でございます」
奥様がおほほとギラギラとした気配が隠しきれていない笑顔で肯定する。
「他には」
「他はございません」
望みは一択ときっぱり断言する。
「分かった。認めよう。詳細は騎士伯と取り決める」
「ありがとうございます」
丁寧に礼をして、アニエスはニールの側に立つ。
「ふふふ」
混乱中のニールの手を握り、
「今後ともよろしくお願いします、ニール様♡」
笑う。
「ぼ、僕のほうこそ、よろしくお願いします」
「うふふ」
私は二人に近づく。
「ニール様、嫌ならちゃんと言うんですよ」
「エリク」
余計な事を言わないでとアニエスに睨まれる。
「強引過ぎな気がしたので、口を挟ませていただきます。ニール様、流されるままでは駄目ですよ。」
二人が結婚するとなればニールも主人になる。後から揉めるのはごめんだ。
「エリクさん」
「強引なアニエス様は嫌ですとか、エリクさんに優しくしてとか、食い意地が張りすぎですとか。」
「……嫌じゃありません。僕、あの。嬉しい、です。アニエス嬢は距離が近いのでドキドキして困りますけど、嫌じゃないです」
「ほうほう。良かったですね、アニエス様」
ニールの言葉にアニエスは近づいていいのか、離れたほうがいいのか決めかねているようだ。
「じゃあ今の距離はいいんですか?困るなら少し距離感大事にしてって言わないと」
「……嬉しいので、このままで、お願いします」
にやにやと二人を見つめる。アニエスは私に何か言いたいようだったが、黙っている。
「あの。アニエス様」
ニールと似た風貌の女性がアニエスに声をかけた。
「ニールの母、ユリーシアでございます」
控えめなドレスだ。もう一人の妻より目立たない格好を、意識しているのがわかる。
「アニエス様、息子を助けていただきありがとうございます」
ユリーシアに礼を言われたアニエスは、
「わたしは倒れたニール様を運んだだけですわ。こちらのエリクが薬を用意してくれましたの」
私の手柄だと言う。
「運んだ」
「はい。こう、横抱きにして、」
お姫様抱っこをしたと身振り手振りを交えて説明する。いや、気になってるのはそこではないと思うが、何も言わず見守る。
「あ!い、医務室に運びました。不埒なことはしていませんわ」
この時はまだなと心の中で突っ込む。
まさかアニエスに運ばれたとは思っていなかったようでニールが顔を真っ赤にする。
和気藹々と話をしていると、公爵家三男エイルが声をかけてきた。
「ニール、急だが婚約が決まっておめでとう。」
「ありがとうございます兄上。僕も驚いています」
王城に連れていった時は気づかなかったが、油断のない気配をしている。あの時は失意の事態だったからか。
流石はアラバ最強と呼び声高い男だ。
アニエスも緊張で頬がこわばっている。
「あ、貴女は」
「兄上、エリクさんをご存知なのですか?アニエス嬢の侍従で、すごい薬師さんなんです」
ニールの普段通りの声にアニエスが驚く。
うん、家族の反応なんてそんなもんだよ。慣れって怖いな。
「貴重な薬を分けてくれたと聞きました。ありがとうございます」
殊勝な台詞の前に、あ、やべぇ忘れてたって顔をしたのを私は見逃さなかった。あの場で見た事聞いた事は他言無用だ。
「エリクはエイル様と知り合いなの?」
「あー、この前の調合で呼ばれた際に丁度エイル様も呼ばれていまして。そこで顔を合わせました。全く金持ちの道楽って困りますよね?」
エイルをチラリと見ると視線を逸らしつつ、
「あー、まぁそうかな」
と曖昧に返事をした。
「賢い娘がいるから妻にどうだと言う話をされてましたよね。迷惑なら断ったほうがいいですよ。」
「ぁーそーだったかな。社交辞令じゃないかな?」
「ま。そうだといいですね」
話を締めた私の横で安堵の息を漏らすエイル。
墓穴を掘る前にそそくさと立ち去る。
こういう面が、公爵がエイルを後継者と指名しない理由だろう。
本気で陛下から賢い娘を紹介してもらったほうがいいのではないだろうか。悪い人ではないのは分かるが。
次にニールの元にやってきたのは、公爵の側室レナーテと四男のカルロだ。
カルロはアニエスの記憶に残る貴族の一人だ。何故ならばサンサーン家のやらかし姫と見合いをし、やらかし姫に振られた男だからだ。
研究者気質のカルロと研究者の家門とのお見合いだったが散々な内容だったらしい。アニエスも引き気味だった。
「カルロ兄上」
「……ぁ。ぉめでとぅ」
「アニエス嬢、カルロ兄上は魔生物の研究をしていて、とても物知りなんです。レナーテ様は植物学者で」
ニールの説明にピンときた。
「!!まさか、アラバ植物図鑑のレナーテ博士!?」
アニエスはわなわなと震えだした。
「ご存知でしたか。そうなんです」
無邪気なニールを拝みたい気持ちと憧れの気持ちの葛藤の末、
「レナーテ博士、植物図鑑愛読しています!握手して下さい!」
アニエスは憧れの植物学者が目の前にいる現実を優先させた。
「ぇ、えぇ。」
「はぁぅ」
アニエスの反応をニールが驚きながらも嬉しそうにしている。
エイルとカルロとは怯えず会話が出来ている。レナーテともだ。ニールを怯えさせている相手は誰だ?
長男か次男、それとも二人共?はたまた別の誰かか?
「ニール、これ。魔素循環器、綺麗に割れたから、あげる」
「ありがとうございます、綺麗な断面です。こうなっているのですね。」
「細かく割ることで内部構造がより分析できそうです。蘇りを担う部位とか」
人が考えごとをしている間にアニエスは、カルロがニールにあげた魔素循環器に夢中になっている。
「今度ユリアン嬢にも見せようかな」
「ユリアン様も喜ぶと思います。」
「へへへ」
ん?
「ユリアン様ってサンサーン家のユリアン様でしょうか」
アニエスが尋ねる。
「そう。ぼ、ぼくの婚約者」
?????!!!!
「学院を卒業したら結婚する予定」
「そうだったのですね。不勉強で申し訳ございません。ユリアン様とはお茶会で度々ご一緒させていただいております」
記憶と違う展開だ。前もあった、行動で未来が変わるのは当然で混乱することじゃない。落ち着け。
では、いつ変わったのだろう。今回の件とは無関係だ。お茶会の時以前から変わっていたとしたら、何が原因だろうか。
「エリク殿」
「は、はい」
カルロの声に我に返る。
やばいぼんやりし過ぎた。
「質のいい体力回復剤を作ってくれてありがとうございます。ユリアン嬢が感謝していました」
「は、はぁ。作ったのは私ですが、流通させているのはイリーナ様ですので、お礼はイリーナ様に」
「……スピノザ夫人にも同じ事を言われました」
「それは失礼しました。お気持ち大変嬉しく思います」
「ユリアン嬢は解脱病に罹ったことがあると言っていました。薬のおかげで助かったと。ぼくもお礼が言いたくて」
「…そうでしたか。助けられてよかったです」
じわっと胸に広がる感情の渦に飲み込まれそうで、一言告げるのが限界だった。これ以上喋ると泣いてしまう。
「エリク、わたしからもありがとう。わたしはお母様を助けてもらったもの」
アニエスが私の涙腺に止めを刺した。




