35:お嬢様とニール様
奥様に『プロポーズした』と手紙で報告したアニエスは、自身の価値を高めるべく勉学により一層励むようになった。
あの日、ニールに一目惚れし相手に気づかれることなく即日プロポーズを成功させた。
あの後ニールに貧血の薬を作り渡している。
件のアニエスはというと、
「ニール様。こちらをどーぞ」
麦茶を淹れると、ニールに勧める。
「ありがとうございます」
ニールと同じ講座を受けて、お茶に誘い、食堂でも同じテーブルにつく。
明らかにニールを狙っていることが分かる。まぁそれも狙いか。
「週末に母からニール様と遊びにきなさいと手紙が届いているのですけど、お誘いしてもいいですか?」
「ぇ。ぁ、あの。僕で良ければ」
頬を赤らめはにかむニール。
初めて会った日より少しだけ顔色が良くなった。
「……なぁ。俺何見せられてるの」
「ロイド様は呼ばれてないんですから黙って見てればいいんじゃないですかね」
お茶会室に呼ばれてもないのに入ってきて麦茶を飲んでいるロイド。
「麦茶の匂いがしたから、我慢できなかったんだよ」
「ライプニッツ先輩はアニエス嬢と仲良し、ですよね」
「ニール様、誤解です。ロイドはアレです。腐れ縁です」
あ、バレたらユーレイアに怒られる言葉遣いだ。黙っとこう。
「そうだよ。ノヴムだっけ、スピノザ家にちっさい頃居候してたことがあるだけだよ」
「そうなんですね。仲良しで羨ましいなぁって思います」
ニールが笑うと
「うちで飼ってるポチみたいで可愛いな」
ロイドがそう呟いた。
「?」
犬か猫かと思ったら、
「保護したネネマルが一匹うちで暮らしてるんだよ」
ネネマルだった。
ニールが小動物系なのは認めるが、ネネマルの名前がポチって。ネーミングセンスは無いらしい。
でもネネマルみたいに可愛いなんて凄い台詞も言えるようになったんだなとロイドの成長に少しだけ感動する。
「何か困ったことがあれば言えよ。じゃあな」
麦茶を飲み終えたロイドが席を立つ。
先輩風を吹かせて去っていった。
週末。
久しぶりの騎士伯邸とニールが一緒というシチュエーションにアニエスのテンションが上がりまくっている。
「おかえり、アニエス。それといらっしゃいませ、ニール・ノヴム殿。」
「は、初めまして。今日はお誘いいただきありがとうございます。ニールとお呼び下さい」
「ふふ、では失礼して。ニール君でどうかしら」
「よろしくお願いします」
奥様も普段よりテンションがおかしい。
「ニール様、お庭を案内します」
「ぇ。ぁ、はい」
少しの躊躇いに気づいた。
「お嬢様。お茶会室でゆっくりお話しをされてからご案内をしたほうがよろしいかと。ニール様も初めての場所で戸惑われています」
アニエスに耳打ちすると、我に返り
「ニール様、まずはお茶会室を案内します。こちらです」
ニールをお茶会室に通す。
安心した様子のニールに、何かあるなと色々予想を巡らせる。
病弱だとは思うが、他にもあるのか?
私の懸念とは関係なく楽しそうなお茶会が始まった。
ニールは基本的に軽度の対人恐怖症なのか、どこか怯えている。アニエスは出会いの混乱と助けた恩を笠に距離を詰めただけで、他とは交流らしい交流がない。
周囲はニールを遠巻きに見ているだけ。
学院でのアニエスの様子を尋ねる奥様は何を企んでいるのか楽しそうだし、アニエスは恥ずかしいですわと言いつつも嬉しそうだ。
……よし、考えるのやめるか。
お茶会室以外の部屋の案内をすると席を立つアニエスとニール。その後をついていこうとしたら
「エリク。いいかしら」
奥様に手招かれた。
「はい」
アニエスの後をユーレイアが追った。
「どういうこと」
「ニール様のおっしゃった通りです。」
報告書にも同じ内容を書いたのに、どういうこととはこれいかに。
「ニール様との縁を繋ぐ為に自重を投げ捨てた結果でございます。」
完全に学年首席を狙っている。
「顰蹙」
「モナド公爵令息とルソー侯爵令嬢、その他高位貴族の視線は痛いですね。ですが、そこは立ち向かうと覚悟されていましたので。」
「ならいいわ。まさか、こんなところが似なくてもいいのに」
「奥様の求婚伝説が脳裏をよぎりました」
旦那様の奥様愛が強いから求婚は旦那様からと思いがちだが、奥様からの求婚だった。
『わたくしには商才があります。絶対後悔させないので、わたくしの手を取って下さい!』
と、スピノザ家流のプロポーズをした奥様に旦那様がきゅんとときめいて縁談が成立したとか。
「いいのではありませんか。ノヴム公爵家は中立で有名な家ですし」
王家ともその他の派閥とも距離を取り、どちらにも縁談で縁を繋ぐ。スピノザ家とも大昔に縁組をしている。
「公爵はいいのよ。でも息子達の評判がねぇ。」
奥様が頭を抱えた。息子の代で何かあった時の余波が怖いようだ。
「あーたしかに、兄が主治医を解雇したと言っていましたから」
それだけではなく、侍従もついていない。
「公爵が遠方視察でいない間に決定した可能性があるわね」
「リチャさんに調合の経緯を説明した時にこの件は伝えています。」
「流石ね。こうなったら主治医を取り込むわよ」
と言うと奥様はお茶会室を出て行った。
私はアニエス達を追う。
「庭にはいない。なら」
以前のお昼寝室はユークとユニウス、マリーの遊び場になっている。
「いましたね。」
子供達にもみくちゃにされるニールを、アニエスが驚愕の表情で凝視している。
うん、衝撃だな。
「きゃっきゃっ」
「まりーもだっこー」
「きらきらだねぇー」
「あ、あの。アニエス嬢の弟君と妹君かな?」
「ゆーくはあにーさまのおとーとじゃないよ」
「まりーはねー、まりー」
「あにーねーねーのおとーとです!」
ユニウスが元気いっぱい手を挙げる。
ユーレイアが状況を手短に説明する。
靴を脱いで部屋に入った途端、ボール遊びをしていた三人がボールを放り投げ突撃してきた。避けるに避けられず、突撃が直撃して、体勢を崩し倒れたニールに群がる三人。そして今に至る。
うん、想像通りだ。
「ユニウス、おねーちゃんが帰ってきましたよ」
アニエスの声に
「うん。きらきらおにーちゃんとあそぶー」
反応するもすぐにニールのほうを向く。
「ユークは、わたしが帰ってきて嬉しいよね?」
「……うん。うれしーけど、おにいちゃんとあそぶ」
一応ユークはアニエスを見てるけど、ニールから手を離さない。
「マリーは……くっ」
全然こっちを見ないマリーは論外だった。
ニールに完敗したアニエスが床に崩れ落ちる。
「アニエス嬢、あの。僕」
「いいんです。ニール様は三人と遊んであげて下さい」
「おにーちゃん、ぼーるしよ」
「まりーだっこ」
「わ、分かったから、引っ張らないで、」
ニールはアニエスを気にしながらも子供達とボールで遊ぶ。
「お嬢様。落ち込んでいる場合ではありませんよ。ほら、凄い光景ですよ。絵に描かないんですか?」
女神の権能からこっそり出したスケッチブックとペンをアニエスに渡す。
「わたしが含まれなくて悲しいけど、確かに眼福な光景だわ」
気を取り直してアニエスが絵を描き始める。
三人が遊び疲れてお昼寝するまでニールは付き合い、アニエスは絵を描き続けた。
子供達を侍女に任せてニールがアニエスの横に座る。
「アニエス嬢、あの。ごめんなさい。」
「?何故謝るのですか?」
「……貴女の弟達を独占してしまって」
「それには、わたしも吃驚しましたけど。見て下さい、そのおかげでとても良い絵が描けました」
アニエスが描いた絵をニールに見せる。
「これ、僕。僕、笑ってましたか?」
頬を押さえるニールに
「とても素敵な笑顔でした。わたしにも見せて下さるととても嬉しいです」
アニエスが笑いかける。
「変じゃ、なかった、ですか?兄には笑うなと、不恰好だと、言われるので、アニエス嬢の気分を害してしまったのではないかと」
「そんなことはありません。わたしはニール様の笑顔が大好きです。ニール様のお兄様がどうおっしゃろうとわたしはわたし。わたしの言葉を信じていただけると幸いです」
ニールは頬を赤らめ、頷いた。
「ありがとうございます」
少し眠たそうなニールの様子に気づいたアニエスが昼寝に誘う。
「ニール様もお昼寝なさって下さい。弟達と遊んで疲れたでしょ?」
「ですが、その」
「ふふ。わたし、いつでも責任を取る心構えは出来ていますの。」
心地良い風を吹かせて眠気を誘う。ここで風魔法を使うとは策士め。
「だめ、です。アニエス嬢が叱られ、るのは」
何やら勘違いをしているニールは頑張って耐えていたが、ついに陥落した。
アニエスの肩に頭を乗せ、すやすやと寝息を立てる。
「お嬢様の悪どい顔は奥様そっくりですね」
ぼやくと
「先程の口説いている顔はエリクにそっくりでしたよ」
ユーレイアに指摘された。
「そうですか?」
眠ったニールの体を魔力で包みゆっくり横にして膝枕に持ち込みご満悦なアニエス。
「寝顔、描いちゃお」
真剣な顔でニールの寝顔を描き始めた。
「どうするんですか。お嬢様、ニール様、寝ちゃいましたけど」
「うーん、今日はお泊まりだよー。ちゃんと外泊許可は二人分とったもの。」
さらりと
「は?」
知らない事実を打ち明けられた。
「申請したって言ったでしょ?」
「はぁ?!お二人分とは聞いてませんよ?」
「エリク、五月蝿い。ニール様が起きちゃうじゃない。もう少し寝かせて寮に戻れなくならないと駄目でしょ。」
なんだと?!
「おい。お嬢様。」
あまりにも強引な手段にアニエスの頭をがつりと鷲掴む。
「いた、わたし。ニール様との縁のためならどんな手も使うわ」
じろりと私を睨むアニエスと目を合わせる。
「……手段を選ばないのは私も同じですから、何も言いませんが、上手くやるのと無茶な手段でなんでもやるでは違います。貴族には外聞は大事なことです」
「……」
心当たりがあり心苦しいのか何も言い返さない。
「旦那様がニール様を招いたということにしてお泊まりいただきましょう。」
アニエスの頭を掴んだ手の力を抜く。
「……ありがと、エリク。黙っててごめんなさい」
「いいんですよ。私に黙って色々画策するのは成長の証です。ですが、強行手段はいけません。あれこれ言われて苦しくなるのはお嬢様とは限らないのです。ニール様を守るためにも丁寧にじっくりと行きましょう」
「分かった。ニール様を守るわ」
アニエスの頭を優しく撫でる。




