23:お嬢様と家族旅行
海が見たいとアニエスの願いを叶えるべく遠出することになった。
八歳の誕生日にアニエスが
「お父様、海が見たいです」
とお願いした。
旦那様は渋りつつも承諾し、大規模なお出かけになった。
旦那様、奥様も一緒の旅行にアニエスは大興奮している。
馬車に揺られ半日。初めの興奮も落ち着いてきたアニエスはため息をついた。
「ユーレイアも一緒だったら良かったのに」
結婚からそろそろ三年、妊娠が判明し今回は留守番のユーレイアに思いを馳せる。大分お腹も目立つようになってきて動き辛そうにしているから留守番で正解なのだが、やはり寂しいようだ。
今回アニエスの側務めとして同行しているのは私とチャーミーの二人。リンは子供が、トーマスは新婚のため見送った。
「今度はユーレイアの子供も一緒に行きましょう。」
「うん。トーマスの子供も誘う!」
「お見合いからトントン拍子でまとまって、これが貴族の結婚か?と驚くスピードでした。そして来年にはパパだなんてまだ頭が追いつきません」
「そうだね。わたしもびっくりした」
「帰ったらお土産話をたくさんしてあげましょう。それから、お土産も忘れずに買いましょう!」
「はーい」
といっても海はまだまだ遠く、移動だけでも一日はかかる。
今日は街道沿いの街で一泊する。
宿屋は貴族御用達の豪華な宿屋、の隣りの少し地味な宿屋だ。
隣りと比べるから地味に見えるだけで、こちらも高級宿屋だ。奥様曰く、商人達が特別な顧客をもてなす際に使う宿屋らしい。
「お忍びみたいでワクワクするね、エリク」
「はい。お嬢様」
いつものドレスより地味なワンピースなのも影響しているのか随分と気楽そうだ。
部屋は旦那様奥様、アニエスの泊まる三人部屋、側務めの控室、護衛部屋。
護衛部屋ってなんだ?とアニエスも思ったらしく、部屋に案内されたあと、
「エリク、探検しよ」
探検に駆り出された。
「護衛部屋って言葉の通りなのね」
一階入り口そばの部屋が護衛騎士達の詰所のような部屋になっていた。
他の宿泊客の護衛もいるようで、私達に気づいた騎士が
「お嬢様、お部屋にお戻りください」
すぐに駆け寄ってきた。
室内には護衛?と疑うような容姿の者もいる。
「わかったわ」
アニエスは満足したのか、大人しく部屋に戻った。
「アニエス、あまり知らない場所でうろうろするものではありませんよ。いくらエリクが一緒だからって」
奥様に叱られ
「はぁい。」
落ち込むアニエス。
「エリクが怒ったら誰も止められないからな」
「アーロン!そういうことではありません」
「イリーナ、アニエスも分かっているからエリクを連れていったんだろう。一人抜け出すような危険なことはしていないんだ、大目に見てやってくれないか?」
「はぁ。全く」
「お母様、ごめんなさい。」
「わたくしもごめんなさい、強く言い過ぎたわ」
普段の奥様より気が立っているようだ。
「奥様、少し早いですが、夕食に致しますか?早めに休まれたほうがよろしいかと」
「そうね、そうしましょう」
「では用意致します」
私はこの場を他の侍女に任せ、宿の食堂に夕食を取りに向かう。部屋で食べるのも、食堂で食べるのも自由だ。決まったメニューの中から指定して配膳してもらう。結構メニューがある。
人数分の食事を用意して、カートを押し部屋に戻る。
「お母様、大丈夫?」
「奥様。」
不穏な気配に、近くにいたチャーミーに状況を確認する。
「奥様が急に吐き気をもよおされて、今医官が診察しています」
「そう。実際に嘔吐は」
「ありません」
「そっか。ありがとう」
食事の乗ったカートを部屋の端に置く。
「奥様。旦那様。おめでたでございます」
医官の言葉に、ぱちくりと目を丸くした二人に
「お母様?お父様?おめでたってなぁに?」
アニエスが尋ねる。
「えっと、アニエスに弟か妹が出来るかもしれないってことよ。まだちゃんと育つかわからないけど」
「わたし、女神様においのりする。弟か妹に会わせてくださいって」
「お願いね」
「任せて、お母様」
奥様がアニエスを抱きしめた。
「チャミちゃん、私は匂いのきつくない食事があるか確認してくるから、お嬢様の夕食は任せていい?」
「はい」
私は素早く部屋を出て食堂に戻る。
と、料理の配膳をした給仕がすぐ戻ってきた私に声をかける。
「どうか致しましたか?お口に合わなかったのでしょうか」
「いえ、少し体調が良くないようで、さらりと食べられる料理はありませんか?スープや麺があれば」
「それは大変ですね、こちらが本日のスープと麺料理です。いかがいたしますか?」
私は味見をして、よりあっさりしたスープと、細い麺を使った料理を選ぶ。
「この細麺は味つけ前の麺もありますか?あれば少しいただきたいのですが」
「ございますが、味つけ前の麺でよろしいのでしょうか」
「構いません。」
配膳係が手早く用意してくれた料理を持ち
「無理言ってすみません」
部屋に戻る。
予想通り奥様の食が進んでいない。
「奥様。こちらを試して下さい。」
料理を取り替え、新しく配膳した料理の説明をする。
「あっさりスープと細麺料理です。味つけが薄いものを選んでいます。」
「エリク、これは?麺だけかしら?」
「はい。こちらは味つけ前の麺で、麺料理の味つけが受け付けない場合はスープに入れてお召し上がりください」
フォーやにゅうめんのイメージだ。
「ありがとう」
新たに用意した料理は食べられるようで、無事完食した。
「こういう料理で売り出そうかしら」
すっかり顔色も良くなっている奥様のらしい台詞にアニエスも安心したようで笑顔をみせた。
「お母様、お家帰ろう?海はまた今度でいいよ」
「ゆっくり行けば問題ないわ。馬車移動だけだもの」
「でも」
「明日体調が悪くなるようだったら帰るから、ね?」
「わかった。無理したら怒るからね!」
奥様が心配でぷりぷりしているアニエスを見ていると、何故かユーレイアの姿がチラつく。
それで言ったら奥様は、私と同類……いや考えるな。
頭を横に振り変な考えを打ち消す。
翌朝。
昨夜の体調不良が嘘のように元気な奥様と枕が違って寝不足の旦那様とアニエスの支度を手伝う。
そして馬車移動で半日。
ようやく海辺の街に着いた。
「うーん!着いたわー」
伸びをして凝り固まった背をほぐす。
馬車の中で眠っていたアニエスは、ぼんやりした表情で馬車を降りる。
宿屋に荷物を置くと、
「海に行きましょう」
奥様に連れられて宿屋の裏庭から直接行ける海へ向かう。木々のアーチを抜けると急に現れた、海にアニエスは茫然としている。
少し歩くと砂浜に変わる。
「やっぱり海はいいですねぇ」
「そうねぇ」
奥様と二人、海を眺めながらため息をつく。
「波の状態も穏やかで心癒されます」
「エリクでもそんなこと思うのね。海は偉大ね」
「失礼ですよ」
くいくいと袖を引っ張られ、アニエスに視線を戻すと、海の広さに圧倒されつつも興味が抑えられなくなった顔で私を見ている。
「え、エリク、海って本当にしょっぱいの?」
「では舐めてみましょうか」
砂浜を歩き、波打ち際までいく。打ち寄せる波にアニエスは吃驚しながらも海水に触れた。
湿った指をぺろりと舐める。
「!!」
舐めた指と海を交互に見て、確認するようにもう一度海水を舐める。
「しょっぱいわ!」
知識と体験が繋がる瞬間を微笑ましくみつめる。
可愛い。
「ねぇねぇ、エリク、泳ぎたい!」
キラキラ笑顔で言ったアニエスに
「……お嬢様、よろしいですか?海は泳ぐものではありません。見るものです」
私は諭すように答えた。
「え?だって、ロイドは水泳の練習してるって手紙に書いてあったもん!」
なんだと!ロイドめ、丸め込む計画が!
「ライプニッツ家は領地が海に面しているため必要な技術なのです。」
「……むー、分かった!エリク、泳げないんでしょ!」
アニエスにズバリと図星を刺された。
「ぐは」
「あー!やっぱりー!泳ぎたいってお母様に言ってくる」
アニエスは海を優雅に眺めて過ごす奥様と旦那様のほうへ駆け出した。
そして、遊泳許可をもぎ取ったらしくご満悦な顔で戻ってきた。
「えへへ、泳いでいいって」
「かしこまりました」
「でもね、お母様も海はながめるものって言ってたの。なんで?」
「体験してみれば分かります」
「?」
「では準備をしますので、奥様達のところに行きましょう」
「はーい」
一旦奥様達のほうに戻り、遊泳の支度をする。
この世界に水着は無い。
男性は短パンに上半身裸で泳ぐらしいが、幼いとはいえ女性の裸を晒す訳にはいかない。
魔法カーテンで仕切り着替えをする。下着の上からクルーネックの長袖シャツを着せて、半ズボンを穿かせる。
靴は柔らかい素材で出来た物に履き替えた。髪の毛を結び帽子を被る。紐で飛ばないように調整する。
「では行きましょうか」
「はい!」
再び波打ち際まで来ると、
「お嬢様、海には危険な生き物もいます。ので、私が魔法で囲った場所での遊泳に限らせていただきます。」
「分かった」
海に目掛けて魔法を放ち、安全を確保する。
「ではどうぞ」
砂地に隠れていそうな毒持ち生物も防ぐため、砂の中まで意識する。結構これが難しい。かなりの消費魔力だ。
恐る恐るアニエスが海の中に入る。
一緒に入り、泳ぎの練習を監督すると、
「エリク、泳げないのに教えられるの?」
尤もな疑問を投げかけられた。
「教わった記憶に基づいて教えています。私が出来るかは別問題です」
「ふーん」
手を掴みバタ足の練習をしていると、
「エリク、服重たい」
アニエスが頬を膨らませて言う。
「海水を吸うので重くなります。」
「服脱いで泳げばいいんじゃない?」
「それではレディにあるまじき行動になりますが、脱がれますか?」
「ううん、いい。着て頑張る」
私よりも数倍運動神経の良いアニエスは少しの練習で、平泳ぎをマスターした。
犬掻きも出来る。なんてこった。今度は潜水に挑戦したいらしく、
「エリク、帽子持ってて」
帽子を受け取り見守る。
「ぷはぁ、エリク、目ぇ痛い」
海面に顔を出したアニエスが目を瞑ったまま言う。
「はいはい。これをお使いください」
胸ポケットからハンカチを出して、アニエスの顔を拭く。そして、魔法で作ったゴーグルを渡した。
「これは?」
「頭につけて、目を守る道具です」
アニエスは初めての道具を四苦八苦しながら装着する。
「もう一回もぐる」
「いってらっしゃいませ」
ゴーグルをつけたことで目が痛くなくなり、何度も潜水、または顔をつけての平泳ぎで思う存分楽しんだ。
「アニエス!そろそろ戻るわよ」
奥様の声に、海からあがる。
元気いっぱいで泳いでいたアニエスだったが、海から上がると途端に疲れがのしかかり、砂浜にへたり込んだ。
「疲れたぁ」
海から上がったら意外と疲れてたは遊泳あるあるだ。
そして、
「砂、じゃりじゃりする。」
払っても払っても払い切れない砂。靴の中にもたくさん入り込む砂。これもあるあるだ。
海水を含んだ服を絞りながら歩くアニエスは
「ぷぇし」
風に吹かれくしゃみをする。
すぐに冷えるのも、
「エリク、かみの毛、ぎしぎししてる」
髪の毛がごわごわになるのも、
「それにべたべたする」
海水が乾いてベタベタするのも海あるあるだ。
「はい。これが海で泳ぐということです」
「お母様とエリクが、海はながめるものっていう理由?」
「はい」
「わたしは明日も泳ぎたい」
「かしこまりました」
海は眺める派にはならなかった。




