12:お嬢様とレッツお勉強
お勉強係トーマスの授業はアニエスが四歳の誕生日を迎えたあたりから始まった。
科目は芸術と歴史。読み書き計算は私やユーレイアでも教えられるが、芸術と歴史はそうはいかない。
この世界の芸術系の知識がない私はアニエスと机を並べて授業を受ける。
トーマスが画集を捲る。
が、全く良さがわからない。一歩目でつまづいた。
「お嬢様、この絵、どこが評価されているんですか?」
こっそり聞く。
「えりく、とーますにきいてよ。」
「はーい。」
アニエスもそこまでは分からないようだ。
「トーマス先生、この絵、評価のポイントはどこですか」
「筆使いの繊細さ、構図の緻密さもさることながら、描かれた時代背景、題材が一枚の絵で表現されている点です。それが観る者の心を震わせると支持されています」
最近の有名画家の絵らしい。
「全然良さがわからないんですけど、感覚で観たら駄目なんですか?」
「駄目ではありません。ですが、貴族社会においてそれだけでも駄目です。絵画に込められた画家の意図や背景などの知識は必須、それから個人の好き嫌いを語るのが紳士淑女の基本です」
「しゅくじょの、きほん……!」
トーマス上手いなぁ、アニエスの好きな言葉を入れて必要性を説くとは。
「では模写をしてみましょう」
黙々とアニエスが模写をしている横で、私も真面目に模写をする。
「先輩。視線があちこちに泳ぎ過ぎです。」
「難しい」
「うーん、ではこうしましょうか。」
トーマスが私の描いていた紙に縦と横の線を複数書く。
「?」
更に画集にも線を引き始める。
「え!?」
「トーマス、流石にそこまでしなくても」
その行動にアニエスと二人呆気に取られる。
「?あぁ、驚かせてしまってすみません。この画集は模写練習用の画集で書き込みを前提とした画集ですので、お気になさらずに」
「びっくりした」
トーマス曰く格子状に線を引くと四角のマスが出来、そのマス毎に模写をすると上手く描けるそう。
「おぉ」
実際に小さいマスだけをみて描くのは絵全体を見て描くより見る箇所が絞られて描きやすかった。
「えりく、かけてるよ」
「お嬢様、描けましたぁ」
「えらいえらいねぇー」
アニエスに褒めてもらう。頭を撫で撫でされた。
「ありがとうございます」
芸術以外にもアラバの歴史と他国の歴史を簡単に習う。神話からの人誕生でファンタジーだなぁと思いつつ、女神がいるんだからありなのか?とも思う。
私は物語みたいで楽しく聞いていたけれど、アニエスには歴史が少し難しく感じるようで、芸術科目の時とは表情が全然違う。
「はい!トーマス先生」
やっぱり導入は身近な話題からでしょと思い、手を挙げる。
「先輩。何でしょうか」
「お嬢様のお祖父様やお祖母様はどんな方だったんですか」
私の質問にトーマスの眉がピクリと動く。心情としては何て質問するんだよといったところか。
「……お嬢様は旦那様や奥様から話を聞いたことはありますか?」
慎重に情報を集めるトーマス。
「おばあさまはからだがよわくて、はやくになくなったって」
「はい。先代夫人のリリナ様は病弱でございました。そのお人柄は慈悲深く、孤児院や治療院の支援を精力的に行いました。夫人亡き後名を冠した孤児院が作られるなど福祉に力を入れた方でございました」
「……」
それを霞ませるほどの阿呆は先代当主だ。
「お嬢様。お祖父様の話は聞いていますか?」
「うん。わるいことして、つかまったって。だから、おとうさまはたくさんがんばらないとだめなんだって。わたしもがんばるの」
アニエスは少ししょぼんとした声で答えた。
「そうですね。先代当主のアバン様は数多くの悪い噂がつきない方でした。捕まったのは王族の関係者に手を出したからです。」
そこまでちゃんと教えるのか、凄いな。大分表現はまろやかだけど。
「てをだした?ってなーに?」
「そうですね、王族に仕えている人を無理矢理自分の物にした、のです。お嬢様でいえば、私たち側務めですね。そういう人をお嬢様に何も言わずに連れ去ったと考えて下さい」
アニエスは自分に置き換えて考えたのか、
「それはだめです。わたしもおこっちゃう」
怒り顔だ。
「それから他の罪も明らかになり投獄されました」
四歳の子供に理解出来る範囲の概要にまとめるとは、無茶振りした私が言うのもなんだが、トーマスやるな。
まぁ、正確には王族の愛妾を手篭めにして好き放題した。そして、魔力を持たない人間に向けて魔力を放ち殺したことが主罪。
他の噂は噂のまま、自供もなく犯行を証明できる証拠もなく立件できなかった。
「この当時、王都は騒乱の真っ只中でした。流行り病に聖女の予言、魔獣の襲来。その中でのリリナ様の慈善活動が評価され、その善行とスピノザ家代々の忠誠度を代償にアバン様の投獄と賠償でスピノザ家は存続を許されました。幼い旦那様が家督を継ぎ今もその賠償を払い続けています」
「うわぁ、大変だ。ちょっとは旦那様に優しくしてやろう」
流石に軽口が過ぎたようで
「先輩。」
咎められる。
「おとうさま」
「お嬢様のお祖父母の時代にあったことではありますが、今現在も影響を与えています。歴史学は世界規模でその影響を紐解く学問です。歴史を学ぶことは未来を考えることでもあります。」
「うん。かあさまがおじいさまのはなしをしてくれなかったから、ふしぎだったの。とーます、ありがとう」
「いいえ、お嬢様。ボクはお嬢様の勉学担当侍従です。礼には及びません」
「ここはお嬢様のありがとうを全身で受け取りなよ。トーマス」
「先輩はちょっと黙ってて」
「えりく、とーますはとーますのかんがえがあるの。めっ、よ?」
アニエスに注意された。その成長に胸がときめく。可愛い。
「はい、お嬢様。トーマス、ごめんね?」
「先輩がお嬢様第一主義なのは知っていますから、気にしていません。」
お嬢様第一主義っていい響きだ。
にやにや笑っているとアニエスから
「えりくはね、わたしばなれができないのよ」
大人な台詞が飛び出した。一体どこでそんな言葉を覚えてくるのか。
「だって、きのうちゃみとこいばなしてたらね、まじめなかおしておじょうさまがいちばんすきですっていうのよ。もうぜんぜんわかってないんだから」
「お嬢様、恋バナとかするんですね。因みにどなたがお好きなのですか?」
トーマスが尋ねると照れたように笑う。
「えへへ。かのんくん」
庭師のおっちゃんの息子(9)で笑顔の可愛い子だ。四歳の誕生日にプレゼントを貰った時に好きになったらしい。
「リチャードさんがかっこいいってこの前は言ってませんでしたか?」
トーマスがあれ?と首を傾げる。
最近、静かにすることを条件に執務室の隅にアニエス専用の机を設置して貰った。
これなら奥様と同じ空間にいられると部屋での勉強を終えた後ほぼ毎日通っている。
その中で出た言葉だ。
「とーます、りちゃはえりくのことがすきなのよ」
恋の迷探偵アニエスはそんな推理を繰り出した。
「そうなのですか?!」
素直に信じたらしいトーマスは驚きのあまり私を凝視する。
「違うよ。よく喋るだけだから」
薬の調合だったり、アニエスの教育進度だったりと奥様に報告に行けばリチャードも必ずいるから、会話も多くなる。
よく喋る同僚なだけだ。他意はない。
「えりくはもてもてなのに、どんかんなの。」
アニエスのやれやれといわんばかりの呆れ顔に、チャミちゃんをしばこうと決めた。
執務室通いを始めてアニエスの勉強への意欲が増した。
それはとても良いことだ。
が、まさか変な誤解をしているとは思わなかった。
「リチャさん、お嬢様が変なことを言うかもしれませんが流して下さい」
「?分かりました」
まず先に言っておかないとリチャードが心外だと怒ってしまうだろう。
お絵描きをしながら、文字の練習も行う。
リチャードと私を描いているのが絵だけで分かる。
禁止するようなことではないから特に何も言わない。
「えりく、りちゃってどうかくの?」
「こうです」
紙にリチャードと書いてアニエスにみせる。それを真似してアニエスが名前を書いていく。
やっぱり私とリチャードだった。
描いた絵を持ってアニエスが席を立つ。
「りちゃ、これあげる。」
リチャードに絵を渡す。
「お嬢様が描いた絵ですか。ありがとうございます。これは、私とエリクですね。部屋に飾りましょう」
意外と嬉しそうだ。
普段は表情の変わらないリチャードが珍しく笑顔を見せている。
奥様もびっくりだ。
「奥様、少し席を外します。お嬢様の絵を部屋に飾って参ります」
真剣な顔で私みたいなことを言っている。
「わ、分かったわ」
奥様も戸惑いつつも許可を出す。
リチャードが部屋を出て行くと、奥様から
「エリクみたいなことも言うのね、意外だわ」
本音が零れた。
「かあさま、りちゃは、えりくとおててをつないだえだったからうれしかったとおもうの。りちゃはえりくがすきだもん」
「いやいや。お嬢様から貰ったから嬉しかったんだと思いますよ?」
「えりくはだまってて」
「はーい」
「かあさまはどうおもう?」
「そうね。アニエスに絵を描いてもらったことが嬉しかったのだと思うわ」
奥様の意見に恋の迷探偵アニエスは
「ちがうとおもう。りちゃは」
自論を押し通そうとした。
「アニエス、あまり憶測で物を言うのではありませんよ?」
「はぁい」
注意されてしょぼくれたアニエスは、席に戻るとぐるぐると絵を描く。落ち込んだ時に描く癖の一つだ。
「お嬢様。もし、リチャさんが私を好きだとして、どうなってほしいんですか?」
今回はいつもと違って頑なだ。何か原因があるのだろうかとアニエスの前にしゃがみ目線を合わせる。ゆっくりと尋ねた。
「ゆーれいあみたいにかぞくをふやせばいいとおもう」
この前ユーレイアがアニエスに結婚の予定があることを伝えていた。それが原因?
「お嬢様は私がリチャさんと家族になるのが嬉しいのですか?」
「えっとね。ゆーれいあ、うれしそうだったから、えりくもかぞくがふえたらうれしいかなって」
「私の幸せはお嬢様の側にいることですよ?」
「それはしってるの。でも、ほかにもいっぱいあるとおもうの。わたしね、かあさまとぎゅっとするとうれしい、しあわせ。でもえりくにぎゅーされるのもうれしいの。」
「お嬢様」
「あのね、えりくもわたしのほかにぎゅーするひとがいたらもっとしあわせになるとおもうの」
「お嬢様、私のことを思っておっしゃっているのはとても嬉しく思います。」
「うん」
「ですが、ご自分のお部屋の外での発言はお気をつけ下さい。言った言葉に責任を持たなくてはいけない。分かりますか?」
「…せきにん、りちゃがえりくをすきっていったことに?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返しアニエスは確認するように質問する。
「はい。そうです。もし違っていて、他に好きな方がいたらどうでしょう?その方とお嬢様の言葉が原因で上手くいかなかったら?お嬢様はどう責任を取りますか?」
私の言葉に泣きそうな顔で言う。
「……ごめんなさい、します」
「そうですね、まず謝罪を考えられたことは素晴らしいです。それでも縁が切れてしまうことはいくらでもあるのです。ここはお部屋とは違います。そして、お嬢様は幼くてもスピノザ家のご令嬢、その言葉には力があるのです。」
うるうると涙目で俯いているアニエスを見かねて
「エリク、このくらいに」
奥様が割って入ろうとするが、
「いいえ。奥様。ご自分の立場を考えるいい機会です。お嬢様、一緒にどうすればいいのか考えましょう」
遮る。
いつかはぶつかる壁だ。最初に考えるのを放棄すると後を引く問題になりかねない。
「うん。おしゃべり、すくなくする?」
「それは駄目です。お嬢様、お喋り好きでしょう?それは我慢しないでいいんです。好きなことを制限するのは違います。大切なのは自分の言葉に責任を持つこと。」
「まちがってたらあやまる」
「そうですね。素直に間違いを認められるのは素敵なことです。」
「せつめいする」
「どうしてその発言に至ったか説明することも大切です。」
「えりくをみるめがやさしいから」
「もし正しい情報でも、言ってほしくないことかもしれませんよ?」
「うん。りちゃにごめんなさいする」
「相手を思いやる気持ちが大切です」
「うん、えりくも、ごめんね」
アニエスは私の横にくると、私をぎゅっと抱きしめた。
「許します」
アニエスの謝罪を受けたリチャードは、アニエスに何かを耳打ちする。
恋の迷探偵は何故か同情するように私を見た。




