231話 四傑候補⑦
峡谷の中へ足を踏み入れた瞬間。
肌に伝わってくる空気がスッと変わったような気がした。
峡谷内では道が緩やかに曲がっていて、すぐ近くまでしか見通せる範囲がなく少し閉塞感がある。
その上、両側の岩壁は高く谷の奥底まで日光が直接届かず少し薄暗い。
周囲に水が流れているのも相まって、外よりもひんやりとした空気が流れていた。
だが、そういうことが言いたいのではない。
魔境の森の中では、縄張り争いの喧噪もあってどこか殺伐としてひりついた雰囲気があった。
だが、この場所にはそんな気配が一切ない。
どこか研ぎ澄まされていて、それでいて神秘的な雰囲気。
――ピチャッ、ピチャッ、ピチャッ
なぜだか、外では聞こえていた火山の鳴動が、火山の中にいるのに全くと言っていいほど聞こえない。
僕たちの耳に聞こえてくる音は、歩いた時に足へついていた水滴が跳ねて落ちる音だけ。
恐ろしいほどの静寂、その中で唯一響く足音。
それが一層、神秘的な雰囲気を強めていた。
「本当に静かですね。
この先に四傑候補ともなるほど強力な魔物がいるというのが信じられないほどに」
「ああ、僕もこの静謐とした空気には驚いているよ。
この雰囲気は普通の魔物じゃあ、醸し出せるものじゃない。
特殊な個体が見れそうで、期待が膨らむよ」
僕たちの中で、この先にいる魔物がただものじゃないことは共通認識となっている。
と言うか、峡谷に入った瞬間に、この普通じゃない雰囲気を感じた時に、各々が察した。
普通の魔物であれば、他者を害そうと、自身が強くなろうと、そんな害意が威圧感となって外に漏れ出てくる。
まして、縄張り争いが激化しているこの魔境であればなおさら。
それなのに、ここにいる魔物はその他者へと向けた気配が感じられず、それでいて存在自体は強力なのだ。
その矛盾が、僕たちに恐ろしさと興味を抱かせていた。
――ピチャッ、ピチャッ、ピチャッ
この場の雰囲気に流されて、僕たちの間での会話も必要最低限に留められた。
それでも、僕たちはこの奥にいる存在を確かめるために、自分たちの足音を聞きながら、峡谷の奥へ奥へとゆっくり進んでいく。
「ん、あれは?」
緩やかなカーブを抜けて先が見えたところで、ミヤさんが何かに気が付いて足を止める。
その後ろを歩いていた僕たちも、それにつられて足を止める。
カーブを抜けた先、そこは広々とした空間へと繋がっていた。
空間の大部分を占めているのは、浅いながらも広々とした泉。
溜まった水はまるでそこに何もないかのように透き通っており、水底に沈む苔むした石の一つ一つをはっきりと映し出している。
水面の所々でジワジワと盛り上がっている場所があり、ここで水が湧きだしているのが伺えた。
そして、広間の崖上からは日光が差し込んできており、それがスポットライトとなって泉をキラキラと輝かせている。
これぞ秘境とも呼ぶべき、神秘的な自然がここにはあった。
だが、それが原因で僕たちは足を止めたわけではない。
「スケルトン……か?」
そんな景色のど真ん中。
神秘的な泉の中心、島の如く苔の生えた岩が一つ鎮座していた。
その上で座禅を組み、差し込んだ日光に照らされて瞑想をするスケルトンの姿があった。
ただ、ミヤさんが訝しんでいるだけある、そこに居るのは、ただのスケルトンではない。
所々に穴が空き、裾がジグザグに千切れくすんだ袴。
頭にのせた、ところどころ破れている和傘。
髑髏の右目に掛けられた黒い眼帯。
そして、すぐ側に置かれている立派な拵えをした、鞘に入ったままの一振りの刀。
その出で立ちで瞑想しているスケルトンの姿は、とても堂に入っていた。
明らかに、通常のスケルトンとは一線を画する雰囲気が漂っている。
「あの横に置いてあるのは、刀か?
風貌といい、あの刀といい、まるでナギ君の世界にいたという侍……いや、剣豪と言うべきだろうか」
「僕も本物の剣豪を見たことがある訳じゃないですけど、そう言われて違和感は全く無いですね。
それに、あの横にある刀。
刀身の状態は分かりませんが、拵えだけでも相当な業物だと思います」
「へぇ、僕はあまり刀に詳しくないから、その情報は有難いね」
入口から剣豪スケルトンをしばらく観察した後、僕たちは意を決して広間の中へと足を踏み入れた。
――グリンッ!!
「きゃっ!?」
広間を少し進んで泉の淵で立ち止まった瞬間の事。
まじまじとスケルトンを眺めていたユメは可愛らしい悲鳴を漏らすと、その勢いで僕の腕をギュッと掴む。
というのも、僕たちに反応してか先程まで下を向いていたはずのスケルトンが、頭を物凄い勢いで持ち上げ、こちらを向いた。
空洞だった左の眼窩は、気づけば仄かに青白い火の玉が眼球のごとく浮かび、おどろおどろしい雰囲気をまとっている。
スケルトンは座ったまま腕を伸ばすと、横にあった刀を掴んだ。
ゆったりとした動きで座禅を組んでいた岩の上から降りると、浅い泉の中に降り立つ。
刀を腰に差すと、スケルトンは鞘から静かに刃を抜き出した。
抜刀された刃は見立て通りかなりの業物で、鋭く研がれた刃は日光を浴びて、輝きを見せている。
剣豪スケルトンは、その刃を「掛かってこい」とばかりに正眼に構えたのだった。
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