Myth ~Ragnarok~〈Loki〉
ニブルヘイムは寒い。
僕は寒いのが苦手だ。だから、いつも厚着してきてたし、帰ったらいつも温かいご飯を頼んでた。
でも、今はお腹もすかないし、この服を脱ごうとも思わない。
彼女の血がついた服。脱ぐ気には……なれなかった。
「どうして……笑ってたの?」
右腕に巻いたリボン。僕があの子にあげたリボン。
おかしいじゃないか、どうしてそれがここにあるのさ。どうして――
「っ!」
目を瞑って浮かぶのは、彼女の最後の顔。
血に濡れて、でも、それでもなお綺麗に笑っていたセルリアの顔。
「何で笑ってたのさ! 守れもしなかったのに! 君に何も返せてなかったのに! 何もできなかったのに! 何でっ!」
ガツッと地面に拳を突きつければ、脆い僕の皮膚の方が破れた。
「何で……傍にいてくれなかったんだっ」
ああもう、本当に僕はわがままだ。
無理に決まってるじゃないか。彼女はよくやってくれたじゃないか。分かってるんだ。セルリアは自分のできるせいいっぱいを僕に向けてくれた。
分かってる。知ってる。それでも――
『ロキ様』
「っ! ただ……」
『仕事してくださいって言ってるじゃないですか!』
「僕はただ……」
『はい、約束、します』
「傍にいてくれれば、それだけで良かったんだ……っ」
従者の仕事なんてしなくて良い。わざわざ他の神のことなんかに気を回さなくても良い。僕の苦悩とか、悩みとか、闇とか、そんなものをいつも考えてなくて良い。
ただ笑って、傍にいてくれれば、それだけで心は満たされてた。
ずるずると地面に倒れこんで、上からも下からも冷気を受ける。
僕の心も今こんな感じだ。痛いぐらいに、冷たい。
信じていた兄弟に裏切られたから? セルリアを失ったから? 結局僕がラグナロクを起こす邪神だったから?
どれも正解だ。
「オーディン……」
君に裏切られることがないと思っていたわけじゃない。そんなの、分かってるさ。
『お前と俺は今日から兄弟だ!』
『兄弟?』
『ああ、一緒に頑張ろうな!』
たとえ、血の契りを交わしたとしても、実の兄弟であったとしても、裏切る時は裏切る。だって、お互いに一番だと考えていたものは違うだろう?
「それでも……傷つくのは僕だと思ってたんだ」
彼に裏切られて傷つくのは自分だと。それ以外の何者でもないのだと、そう考えてた。
なのに彼は、セルリアを傷つけた。
「セルリアが、何をしたって言うんだっ」
どうして彼女が殺されなければならない? 罪もなかった。何の謀略もめぐらせていなかったと言うのに。
許しはしない。いや、違う。許す許さないの問題ではない。
オーディンがセルリアを奪った瞬間、あの場所はもう僕にとって意味のないものになった。いる意味も、生きる意味もない場所だ。
なら、あってもしょうがないだろう?
彼女がいない場所なんて、無意味だろう?
『ロキ様、大丈夫ですか?』
「うん、大丈夫だよ」
『無理はなさらないでくださいね』
「分かってる。でも、今日はちょっとだけ無理するかも」
意味ないんだよ。
あの子がいなきゃ、僕にとって世界は世界じゃない。
『最後、までっ……一緒、に…………ごめ、なさっ』
「気にしなくて良い。あと少しだから」
勢い良く身を起こし、周りを見回した。
今か今かと待ちわびるフェンリル。無表情ながらに殺気をめぐらすヨルムンガンド。死者の兵を整えたヘル。
「時間だ」
一気にレーヴァテインを振り下ろし、フェンリルを拘束していた紐を切る。
次の瞬間、彼は天に向かって凄まじい遠吠えを繰り出した。そしてそれに答えるかのように、太陽と月が消える。
闇に浮かぶのは死者や巨人族が持つ松明のかがり火。
僕は右手に目をおろした。
レーヴァテインの炎に浮かぶ青いリボン。
「待っててね、セルリア。すぐ……行くから」
一度目を閉じ、また開く。
映るのは闇の世界。
この先にはきっと、僕の見知った者が待ち構えているのだろう。自分の願いや望み、信念の元に僕と対峙するのだろう。
けれど――
(全部、薙ぎ払わさせてもらうよ)
この世界は、もう必要ない。
「さあ、運命の終焉劇を始めようか」




