Myth ~Ragnarok~〈Odin〉
誰もいなくなったヴァラスキャルブの大広間。
これから戦争が起こるとは思えないぐらい、静かだ。
「わしは……」
なぜ、この道をとったのだろうか。
分かっていたはずだ。セルリアを殺せばこうなることは。
分かっていて、なぜこの道をとってしまったのだろうか。
「主神とも、あろうものが……」
「怖かったんだろう?」
「っ!?」
突然響いた声。目を見開いて前を見れば、扉に見知った男が寄りかかっていた。
くすんだ金の髪。血のような紅黒い瞳。
「ハデス……」
「一応門番に許可は貰って入ってきたぜ。主神様」
わざとらしく腰を折るハデス。珍しく、大人の姿をし、実体で来ている。
知らず知らず、手はグングニルを握った。
「おっと、物騒なもんを握るな。俺は闘いに来たわけでも喧嘩しに来たわけでもない」
「ならば何をしに来た」
「見物さ。当然だろう」
ニヤリとした笑みは、いつ見ても腹が立つ。
どれだけ殺気を送ろうが、この男は飄々として流す。ロキよりも性質が悪い。
「先程、お前はわしが『怖かったんだ』と言ったな」
「ああ」
「わしはラグナロクを恐れてなどいない。来るべき時が来れば動くことは昔から……」
「違うね」
話を途中で区切り、ハデスはニッと笑った。
全てを見透かしたような笑い。何もかも、一人で把握し楽しむ笑い。
「違うだと」
「そ、お前はラグナロクを恐れてたわけじゃない」
帽子を指先で回しながら、あいつはこちらを肩ごしに見やった。
「お前は『ラグナロクが起こるか起こらないか分からないこの状況』が怖かったんだ」
「っ!」
一つ、胸の中に石を放り込まれた気分だった。それも、特大の石を。
「ロキだけなら起こる可能性もあったラグナロク。でも、セルリアが来て、その可能性が少し減った。ただし、ゼロじゃない」
そうだ。
あの当時のロキはラグナロクを起こす可能性が高かった。全てに退屈し、興味を失っていたから。だが、セルリアが来たことでその可能性が減っていった。
年を追うごとに、少しずつ、少しずつ。
けれど、わしが望む『絶対』にはならなかった。
「起こる可能性は減った。でも、何かの拍子に起こるかもしれない。いや、起こらないかもしれない。そんな考えがお前の頭の中で渦巻くようになった」
その通りだ。そして――
「その状況を続け、不安と恐怖ばかりが募り、先は見えない」
ああ、そうだ。だから――
「お前は自分でその恐怖に終止符を打った。セルリアを殺し、ラグナロクを起こすという破滅の終止符を、ね」
「黙れ!」
投げたグングニルは、ハデスに突き刺さる前に跳ね返った。
「愚かとしか言いようがないな」
「五月蝿い!」
「ほぼ不老不死の神ならば、先の見えない道を歩いていくのは当然だろうに」
「黙れ!」
「お前は自分の弱さのためにセルリアを殺し、アースガルドを潰すんだよ!」
「黙れぇぇ!」
放った魔法も、攻撃も、嫌味なほどに軽やかな動作で阻まれる。
この男は昔から……っ。
「ハデス、セルリアの遺体はどこだ!?」
「それを盾にロキを霍乱するつもりか?」
「そうだ! どこにある!?」
たとえわしの弱さが起こしたのだとしても、アースガルドを潰させるわけにはいかぬ。ここは、わしが創った世界だ。わしらの世界なのだ。
「教えないよ」
「貴様!」
「何? ギリシャも敵に回すか? 良いぜ 受けてたつ」
「っ!」
ほの黒い紅い瞳が嫌な光を放った。これ以上は、まずい。
ハデスはわしが怯んだのを確認すると、優雅にマントを翻し、扉から出て行く。
最後に、肩ごしに一瞥して吐き捨てた。
「俺は、お前よりセルリアの方が好きなんだよ」
重い音をたてて閉まった石の扉。
戻ってきた静寂の中、わしは膝をつくしかなかった。
『ラグナロクを起こすのは僕じゃない……この神界を滅ぼす原因は、お前だ!』
ヘイムダルから伝えられたロキの言葉が蘇る。
戯言でも何でもない。事実だ。
「それでもわしは……ここを」
守らねばならない。それが主神としての役目。このアースガルドで生きる者達のために。
『うっわぁ、ねえねえ! ほんとに俺、今日からここで暮らして良いの?』
『ああ、お前は俺の兄弟になったんだからな! この世界で目いっぱい好きにしろ!』
『やった! ありがとな、オーディン! 俺、ここもオーディンも大好きだ!』
なぜ、今更こんなことを思い出すのか。
「ロキ……我が弟よ……っ」
それでもわしは、もう後戻りなどできんのだ。
お前と、同じように――




