Myth ~Ragnarok~〈Fenrir〉
その日、珍しい客が来た。
「ヨル!?」
「まあ、ヨル兄様!」
氷の世界、ニブルヘイムに現れたのは、もう長い年月会っていなかった兄弟。大蛇ヨルムンガンドが、人間の姿をしてやってきた。
ありえねぇ、蛇だから寒いの苦手で絶対ここには来なかったはずなのに。
「おまっ、どうしたんだよ!」
「……父上に呼ばれた」
「親父に? それって……あ、親父!」
ヘイムダルの後ろから歩いてくるのは見慣れた姿。親父という言葉が似合わない俺達の父。それが霧の向こうから現れ、俺とヘルは息を呑んだ。
「お、お父様……?」
ニブルヘイムの氷よりも冷たい目。ムスペルヘイムの炎よりも恐ろしい殺気。
いつも笑顔の親父が、無表情だった。
「お、親父、どうし……っ!」
「まあ、お父様! お怪我をなさってるの!?」
親父の服にべったりとついた真っ赤な血。ヘルが慌てて寄るが、俺はそれ以上に困惑した。
何でだ? どうしてその血がついてる? 何であいつの臭いなんだ?
「ど、いう……ことだ?」
「リル兄様?」
「どうしてセルリアの血がついてる!?」
力の限り叫べば、強風が吹き荒れ親父をうがった。それでも、表情をピクリとも変えずこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「セルリアさんの……血? お、お父様?」
「フェンリル、ヘル、ヨルムンガンド」
ゆっくりと、親父は俺達の名前を呼んだ。いつも笑って呼ばれた名前。どんなに俺達が化け物で嫌われ者でも、可愛がってくれてた親父。
そんな親父と同じように、何のてらいもなく接してくれたあの少女。
そのどちらもが、今はない。
「僕は、ラグナロクを起こす」
その一言で、全員察することができた。
「誰だ……?」
悲しい? 怒り? 違う。そんなもの、もう通り越してる。
「誰がセルリアを殺したっ!?」
誰が奪った? 俺達から、親父から、誰があの優しい少女を奪った。
「……オーディンだ」
「っ! あのクソ爺! 食い殺してやる!!」
俺達のような化け物ならまだ分かる。だがセルリアが何をした!? 力だってほとんどない。何の危険性もなかったあいつが、何で殺されなきゃなんねぇんだよ!
「そんなっ……セルリアさんっ」
隣でヘルが泣き崩れた。ヨルも、いつもの無表情ながら唇を噛み締めている。
大事だったんだ。
友達のようで、姉のようで、妹のようで、母のような彼女が。俺達の、俺達や親父の、何よりかけがえのなかったもので。
「紐を切ってくれ、親父」
「今はまだダメだ」
「親父!」
何をためらう必要があるのか。今更、何を躊躇する必要があるのか。
「確実に、あの世界を壊す。そのためには、まだもう少し時間が要るんだ」
「っ……分かったよ」
淡々と言ってのけた親父に、戦慄した。
もう、全て手は回してあるらしい。後は時を待つだけ。あの神々の世界を、完膚なきまでに潰す。親父は、本気でそれを考えて、実行してる。
「君はどうする? ヘル」
「え……?」
「君は、セロシアとも仲が良かっただろう?」
ああ、そうだ。あそこにはあの少女の妹がいる。あいつは大丈夫なんだろうか。半身を失って、ちゃんと立てているんだろうか。
セルリアとは違った、あの温かい光を持つ彼女は。
ヘルは涙を拭うと、真っ直ぐ親父を見上げた。
「私、家族を奪われることが一番嫌いですの」
それが、答えだ。
「分かった。死者の軍勢は君に任せる」
「はい」
たとえそれで、あの少女と敵対することになっても、俺達に悔いはない。
セロシアが選んだ道は俺達とは違うかもしれないけれど、その道を選んだ誇りを汚さないように、全力で相手をしよう。
同じ少女を愛した、同士として。
「待ってろよ、オーディン……ッ」
お前は一番やっちゃいけないことをやったんだ。
その身をもって、思い知らせてやる。




