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Myth  作者: 詞葉
Myth 外伝
75/83

Myth ~Ragnarok~〈Heimdall〉

 ビフレスト前の門ではなく、すぐにヒミンビョルグへと降りた。

 門番は時期が来るまで必要ない。

 あいつが出て行ってから数日は、きっと何も起こらないから。本気でアースガルドを潰すつもりなら、ラグナロクを起こすつもりなら、準備を完璧にするまでは来ないだろうから。


『お帰りなさいませ』


 迎えたアルシュロットに馬を渡し、視線だけで問う。


『セロシアでしたら部屋に』

「分かった」

『食事は?』

「……軽めの物を一応用意してやってくれ」

『はい』


 きっと、食べはしないだろうが。


 いつもと同じヒミンビョルグの中。だが、それがいつもより陰鬱で、いつもより暗く寂しい冷たさをかもし出しているように思う。

 一つの扉の前に立ち、しばし間をおいた後叩いてみた。

 返事は、ない。


 たとえば、今がこういう状況でなければ、放っておいたかもしれない。

 あいつに出会う前なら、確実に放っておいただろう。けれど、今は――


「セロシア、入るぞ」


 断りながらもドアをひき開ける。普段のうるささからは想像もできないぐらい落ち着いた部屋の中。ベッドの上に、小さく蹲っている塊が目に入った。

 音は聞こえているだろうに、顔は上げられない。


 ゆっくりと近づき、ベッドに腰を下ろす。それでも、まったく反応しない。


「セロシア……」

「っ!」


 髪に手を触れて、ようやく肩が動いた。

 ゆるゆると上げられた顔は、真っ赤になった目、幾筋も涙のあとが残る頬で彩られていた。そのまま俺の姿を認めると、額を胸においてくる。


「っ、いない、んですっ。どこにもっ、何度も呼びかけたのに……っ、何にもっ、あの子のことっ、分かんない……!」


 震える手で俺のマントを握り締めて、嗚咽に混じって小さく訴えた。

 たくさん泣いたのだろう。それでも、まだセロシアの涙が枯れることはない。いっそ、何も感じなくなるまで泣かせてやった方が良いのかもしれない。

 だが、それではこいつは――


「セロシア……」


顔も上げさせず、肩を抱いたままゆっくりと口を開いた。

セロシアを壊すわけにはいかない。


「ラグナロクが起こる」

「っ、そんなっ……」

「ロキはもう……戻ってこられない」


 『戻ってこない』ではない。『戻ってこられない』だ。

 セルリアがいなくなってしまった今、昔のロキが俺達の前に姿を現すことはない。

最後の最後にあいつを繋ぎ止めていた『絶対』が、なくなってしまったのだから。


「十日以内には、始まるだろう」


 唇を噛み締めたまま、辛そうな、悔しそうな顔をするセロシア。


「お前はどうする?」

「え……?」


 見上げてきた瞳は、正真正銘驚いていた。


「戦えない者は、事前に避難できる手はずが整えてある。お前は他神界にも神の知り合いがいるだろう。そちらに行くのも良い」

「でもっ、あたしは……っ」


 未だに受け止められないセルリアのこと。きっとその姿を見るまで彼女は認めないつもりなのだろう。だから、『ここに残りたい』という気持ちがあるはずだ。


「俺が両目を使っても、セルリアの姿は発見できなかった」

「でもっ、でもぉ!」

「セロシア、受け入れろ」

「嫌っ、そんなのっ!」

「何のためにロキが言葉を告げにきたと思ってる!」

「っ……ふっ、……ふあっ」


 ボロボロと零れ落ちる涙が増す。

 気づいていたはずだ。分かっていたはずだ。あの時、ロキが来た時に、セルリアの死は分かっていたはずだ。


「お前を壊さないために、あいつは来たんだ。お前がセルリアの妹だから」

「ひっく……っ、ふぅ……っ」

「最後に、セルリアの主として……お前の前に姿を現したんだ」


 あいつなら、セロシアの目を盗み、俺にだけ会って出て行くことも可能だっただろう。そうであったならば、セロシアはセルリアの死を知らずにすんだだろう。

 だが、そのままラグナロクが起これば、セロシアは姿の見えないセルリアを気にかけ、探し続けるはずだ。もうどこにもいない姉を、ずっと。


 そうやってこいつが壊れてしまうのを防ぐために、ロキはわざとセルリアの死を突きつけに来た。

 セロシアが壊れてしまわぬよう。己の愛した少女。その少女が愛した、誰よりも大切にしていた妹を壊さぬために。


 そしてもう一つ、アースガルドの神々に波紋を起こすために。


「ヘイム、ダル様っ」


 震えて、言葉の定まらぬ口調のまま、セロシアは抱きついてきた。


「あたしっ、決めます! 自分で……決めっ、だから! も、少しっ、も、少しだけ、待ってください! ちゃんと、すぐっ、立つから!」

「ああ……それまで、傍にいる」

「ふっ……うああぁぁぁっ」


 我慢していたものを吐き出して、認めずにいたものを全て受け止めて、セロシアは泣き出した。こいつは強い。だから、きっと立ち上がれる。

 その時セロシアが選んだ道を、俺は守ってやればいい。

 少なくとも、俺がそうやって動くことを、ロキは望んでいる気がするから。

 門番のヘイムダルとしてではなく、ただのヘイムダルとして対峙することを望んでいると思ったから。


(ロキ……俺も、お前と同じように動こう)


 お前は、邪神としてではなく、愛した者を奪われた一人の男として、ラグナロクを起こすのだろう? なら、俺もまた――


「神としてではなく、ただお前の好敵手として、剣を取ろう」


 そうでなければ、セルリアが犠牲になった意味がないだろう?


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