Myth ~Ragnarok~〈Tor〉
「ヘイムダル!」
いつもより急ぎ足で歩くあいつに、俺は何とか追いついた。
その顔を覗き込んでギョッとする。
強烈な殺気が、ヘイムダルからにじみ出ていた。表情も、もう無表情じゃねぇ。
「ヘイムダル……」
「殺させはしない。セロシアは……」
「ああ、よく抑えたよ」
『注意しろ』とは、セロシアが裏切らないように、ではない。ヘイムダルが親父を裏切り、セロシアをセルリアの二の舞にさせないように『注意しろ』だ。
セロシアではなく、ヘイムダルへの忠告だ。
「親父が……すまない……」
強く、聡明で、誰よりもアースガルドを愛してた親父。尊敬だってしてた。馬鹿だと、ふざけてると思う時はあっても、それでも俺は親父を父として、男として尊敬してた。
なのに初めてだ。その血が混じっていることに嫌悪を抱くなんてっ。
「お前が、謝ることではない」
「けど……っ、セロシア……大丈夫、なのか?」
「…………」
答えないということは、大丈夫じゃねぇってことだ。
誰もが微笑ましく見ていたあの姉妹。セロシアにとっちゃぁ、姉を失ったなんてものじゃない。きっと、自分の一部を失くしたに等しいんだ。
何もしていないのに。何も悪くないのに奪われてしまった半身。奪ったのは俺の親父。
謝罪の言葉すら、陳腐なものに思える。
「ロキは、来るんだよな……」
疑問じゃなくて、確認だ。
「ああ。もう、あいつにとってこの世界に意味はない」
「ダチの俺らがいても、か……」
「『絶対』が……なくなってしまったからな」
降り続ける雨を、ヴァラスキャルブが受け止める。それを見ながら、俺は目を瞑った。
今にも、『何ボケてんのさ』とか言いながら、あいつが頭を叩いてきそうな気がして――
「ロキ……っ、すまねぇ…………」
もう二度と、あいつが俺の前に笑顔で立つことはない。
親友だと言っておきながら、俺は結局、あいつの一番大事なものを守ってやれなかった。
「俺は戻る」
ヘイムダルが馬に跨り、手綱を握った。
「バルドルや、戦えない女神達は先に避難させるらしい……セロシアはどうすんだ?」
「……あいつに、決めさせるつもりだ」
「だけど!」
「セロシアは、俺の従者だ」
ほんの少し顰められたヘイムダルの顔。それを見て、気づいちまった。
ああ、こいつにも大事なものができてたんだな。
安全なところにいて欲しい。でも、目の届かないところに行かせるのは、不安で、寂しくて、辛いんだろう。
「何があっても……俺が守る」
「そうか……」
口に出して言えるようになった。
なら、セロシアはヘイムダルに任せれば良い。俺は、俺で守りたい者があるから。
「気ぃつけろよ」
別れ際だというのに、平凡な言葉しか浮かんできやがらねぇ。
あ~あ、マジでロキの言ったとおりもっと勉強すべきだったな。
「お前もな」
駆けていくヘイムダルを見送り。俺は空を見上げた。
顔の上に、嫌になるぐらい冷たい雨が落ちてきやがる。
「お前の心は、もう、これ以上に冷え切っちまったんだよな……」
きっと痛いほどに、心が凍ってしまっているんだ。炎を司ってるあいつが、溶かせないほどに。
「謝ったって、何にもならねぇのは分かってる」
俺達の声や言葉では、お前に届かないだろうから。
「だから……全力で、迎えてやるよ」
お前が自分で決めたこと。俺達のしたことに対して、お前が出した答え。何の罪滅ぼしもできないというのなら、せめてその怒りや憎しみを、全力で受け止めよう。
「待ってるぜ、ロキ」
生涯一の大喧嘩、始めようや。




