一番の望み(6)
「一番の望み」はこれで完結です。
セロシアとヘイムダルが大木の下で和んでいる頃、指パッチン一つで移動したセルリア達は、宴の会場どころか神界すらも出てミッドガルド、現界へと来ていた。
「わっ、ここって……」
目の前に広がった光景に、セルリアは驚きの声をこぼした。最近は忙しくてこられなかった場所。自分達が生まれた場所。美しい海の広がる――
「ギリシャ……」
そのエーゲ海を望む岬にロキは連れて来てくれたのだ。今は夜中で暗い景色しか広がっていないが、白亜の町並みはその闇に浮かんで見える。
「北欧神界の神がギリシャっていうのも変なんだけどね」
「でも、そのお姿ですと、ここではよけい神様に見えちゃいますね」
セルリアはほぼ普通のドレス姿と言ってもいい、こんな観光地でこの姿も変だが一応人間の格好だ。それに対してロキはいつもの格好。人間界でのコスプレ状態なのだ。
「ああそっか。んじゃこれでどうだい?」
再びパチンと指を鳴らす。途端に彼の姿はラフなシャツとジーンズ姿になった。もっとちゃんとした物でも良いと思うが、彼は何でも似合ってしまうから困る。
「はい、お似合いですよ」
「ありがとう。と、もう何度も言われてるだろうけれど、誕生日おめでとうセルリア」
「ありがとうございます。でもロキ様から見ればまだまだ子どもですね」
「まあ、それはねぇ。僕は気も遠くなるほど前から生きてるし」
冬だと言うのに二人の周りは暖かい。きっとロキが何かしてくれているのだろう。
「フェンリル様もプレゼントをくれたんです。たくさん抱きついてきちゃいました」
「へえ……フェンリルがねぇ……」
くすっと笑みをこぼすロキ。この時フェンリルは大きなくしゃみをしてチュールを驚かしたらしいが、遠くにいる二人は気づくよしもなかった。
「ねえ、セルリア。何か望みはないかい? 今日は特別だから聞いてあげるよ」
「え? そうですね。仕事をするロキ様が欲しいのですが……」
「あははは、ダメだよセルリア。ないものねだりは」
「ないもの……なんですね……」
何となく分かってはいたし、無理だろうとは思っているけれど、笑顔で爽やかにあっさりと否定されると悲しいものがある。
これから先、自分はまた彼を追いかける日々が続くのだろうか。
「もうちょっと、近くに行ければとは思うんですけどね……」
ロキは強い。いや、弱い部分もあって、そういったところは近いのだと思う。けれどやっぱり彼は神で、自分とは力も考え方も違う。
いつもどこか遠くにいて、近づくことすら困難なのだ。こちらが戸惑うことも彼は一瞬で解決してしまう。
もう少し、せめてあと少し近くで力になりたいと思うのに。
「ん~、これ以上近くによるとフッラとかにめった刺しにされそうなんだけど?」
「ふぇ!?」
思った以上に側で聞こえた声に顔を上げると、もう鼻と鼻がくっつきそうなほど側に彼の秀麗な顔があった。
「う、わわわわわわわわわっ!」
「はいはい、動かない」
真っ赤になって慌てて離れようとする彼女を、ロキはあっさり引き止めた。そのまま腕を後ろに回すと、彼はセルリアの髪を結んでいるリボンを解いた。ぱらりと黒髪が揺れる。
「はい、今日からこっちをつけてね」
そう言って手渡されたのは、美しい青色であまれた組紐らしき物。先っぽにはチューリップの花びらを模したピンクの飾りがついている。
「うわぁ……」
「前と同じ生花じゃ味気ないからね」
どうやら大急ぎで誰かの所に行って作ってもらったのだろう。昨日帰ると息を切らして出迎えてくれた彼がいたし。その余裕のない様子にセルリアは笑みをこぼしたほどだ。
「あれ? これ金色?」
青い紐の中にところどころ金に光る部分を見つけた。月明かりにもはっきりと光るそれ。
「ああ、それ僕の髪を織り込んであるからね」
「ええ!?」
「別に髪の数本抜いたぐらいで何もないよ。僕ぐらいになると髪に魔力もあるし、それだけで邪気や魔よけの効果があるんだ。君は変なものに好かれやすいからね」
獣とか赤マントの片割れとか冥王とか色々ね。と言うロキ。彼が言った内の二人は崇高な神なのだが。
セルリアは苦笑するとその紐で髪を縛りなおした。
「どうでしょうか?」
「……うん、似合ってるよ」
ふわりと綺麗に微笑まれて、セルリアは再び顔を真っ赤にした。
時々彼の顔は毒にもなるんじゃないかと思う。セロシアなんかに言わせると『毒じゃなくて毒々しいのよ。セルリアの前以外じゃほっとんど嘘くさくて毒々しいわよ』らしいが。
(私の前でも十分毒だよこれは……)
死なないのは分かっているが、心臓が破裂しないか心配になってくる。
「ねえセルリア」
「はい?」
海風に金髪をなびかせて、ロキは彼女を見下ろした。本当に絵になる人物である。ここに画家がいたら一も二もなく彼にモデルを頼んでいるだろう。
まっすぐ見下ろしてくるから、こちらもまっすぐ見上げる。
「本当に望みはないの? 僕は大抵のことなら叶えられると思うけど」
若干、困ったように。そして、なぜか泣きそうな顔をしながら彼は問うて来た。 ロキが見せる、子供のような一面。すがりつくような、こわごわとした顔。普段の彼からは決して想像のできない顔だ。
「はい、私は今のままでも十分すぎると思ってますから」
大切なものがあって、幸せだと思える居場所があって、そして笑っていられる。昔の自分から考えればこれは過ぎたものだと思える。だから、多くは望まない。
「望みすぎて、罰を受ける気がするから?」
突然、心を読んだかのようにロキが返してきた。驚愕して振り仰げば、やっぱり困ったような顔。
「二年前、僕は君に言ったよね。『もっと自分のために生きて良いんだ』って」
「私、思いきり自分のために過ごしてます。だから、欲しいと思ったものが近くにあるんだし」
「違うよ。セルリアは今あるものだけで満足しようとしてるんだ。それは慎ましやかだし、僕は嫌いじゃないけれど……そのまま現状に満足してちゃ前に進めないよ」
「!」
くしゃくしゃと髪をなでられて、セルリアは俯いてしまった。
難しい。今まで、セルリアはその場にあるものだけで自分の不安や隙間を補ってきた。それだけで補えたのだ。だから不満なんて何もない。十分だった。でも――
(前には……進みたい。セロシアにおいていかれないように……ロキ様の近くで力になれるように。側に立てるように……)
戸惑ったまま、けれど、目に力を込めて見上げると彼は笑っていた。予想していたのかもしれない。
「まあ、最初から大きなことを望めって言っても君は無理だろうけれど、何でも良いよ。自分が何をしたいか、何が欲しいか、言ってごらん」
柔らかく笑って聞いてくるロキの横顔に光が差した。エーゲ海の向こうから、朝日が昇ってきている。
セルリアはもじもじしながら、でも小さく呟いた。
「写真……」
「え?」
「……ロキ様と写真が撮りたいです。その、つまらないかもしれませんけれど」
この先何百年、何千年経とうと、彼らの外見は変わらない。ずっと同じ姿だ。だから一瞬を収めた写真なんかつまらないかもしれない。けれどセルリアにとっては重要だった。
彼女は自室にいくつか写真立てを置いている。それは幼い頃の双子だったり、青海夫妻だったり、孤児院の子達だったり、仲の良かった親友だったり。セルリアにとって大切なもの達の写真。
こちらにきてからの双子も撮った。その中にないのが、ロキとの写真なのだ。
「写真ね……」
「願掛けみたいなものです。この先も、ロキ様と一緒にいられたら良いなって思うから」
彼と共に、その証を残しておきたい。
朝日がゆっくりと昇り、白亜の町と深い青がきらめきだす。
もう一度顔を上げると、セルリアの目にそっぽをむてい口元を押さえる主が映った。親子は似ている。フェンリルと同じように、彼のこれも照れた時のしぐさだ。
「ロ、ロキ様?」
「ああ……うん、ホントに君は時々爆弾娘になるよね」
「はい?」
「いや、こっちの話。分かった。写真だね」
そういうと、ロキはお得意の指パッチンでカメラを取り出した。一体どこに入っていてどこから出てくるのだろう。
彼はそれを朝の散歩で通りかかった人に渡す。
「は~い、それじゃ撮りますよ」
そう言われて、セルリアはいつもより一歩だけロキの側に寄った。彼も何も言わない。
カシャッという音と共に、その一瞬の二人が永遠に残る。
「ありがとうございます!」
満面の笑顔でセルリアはカメラを受け取った。
何百年後、何千年後、今の一瞬のように彼の隣で笑っていられれば良いと思おう。彼も笑っていてくれれば良いと思う。
そのまま振り返ると、ロキの笑っている顔と目が合う。彼はその笑顔のままこちらに手を差し出してきた。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい!」
手をとって、頷き返す。帰るのは彼らの家。今の、自分達の居場所。
そんな風に、どこか幸せそうな二人の様子は、しばらくのあいだギリシャの町で噂になったという。
人が大人になる年。それは自分達には当てはまらないと思う。
この先自分達は成長するだろう。けれど、子どものままの部分もある。
それでも……それでも、深く望むのはたった一つ。
この先、幾年を、どんな状況を過ごすことになろうとも、どうか側に。
どうか大切な人達の笑顔の隣に、いられますように。




