もう一歩!(5)
今日も北欧神界は良い天気である。こんな日は思いっきり外に出て遊びたい。もしくは遠くへ出かけたい、と常から放浪癖のあるロキは思っているようだった。
様々な書類を目の前にして。
「セルリア~、出かけたい……」
「ダメです」
「ええ~」
「もう、今日の仕事はこれだけなんですから。ロキ様が本気になれば午前中に終わりますよ! そうすれば午後からは出かけて下さってもかまいませんから」
「ホント!? んじゃ、ちゃっちゃと終わらせて一緒に出かけようよ。あ、セルリアお弁当作っといてね」
見事な飴と鞭作戦にかかったロキは、素晴らしいスピードで書類を片付けて行く。本来は午後を少し過ぎるぐらいまでかかる量だが、この分だと本当に午前中に終わりそうだな、とセルリアは苦笑した。
(お弁当は豪華にしなくちゃ)
頑張るロキを見ながら、セルリアはそのあたりを算段し始めた。と。
「あ、れ……?」
「セルリア?」
突如、ふらっと揺れた体を壁にもたせ掛ける。ロキも変に思ったのか近づいてきた。
「どうしたの、急に」
「い、いえ。何か、急に、苦しくなって……」
「どこが? 目眩とかする?」
「全然、ただ、ここが、何だかギュウってなって……セロシア?」
内側から締まるような痛みを胸に感じて、セルリアはそっと手を添えた。
その時感じたのは、双子の妹の声。何かあったのだろうか、と不安になった時、来訪者を告げるベルが屋敷に木霊した。
※ ※ ※ ※ ※
「ヘイムダルじゃないか」
出迎えたロキとセルリアは、珍しい客人に目をまん丸にした。彼の従者が訪れることは多々あっても、彼自身が来ることは仕事以外にめったにない。どういう風の吹き回しか。
「今日は何だい? また仕事でも持ってきたの?」
「お前に用はない」
「ひっどい言い草だね。って、僕じゃないとすると……」
ロキは一歩後ろに控えているセルリアに目をやった。彼女は困惑気味に前に進み出ると、ヘイムダルの顔色を伺う。
「あ、の、セロシアに何かありました?」
「…………いや、というか…………」
セルリアはヘイムダルの表情からも言葉を汲み取っているようだった。孤児院で子供の相手をしてきたからかもしれないが、彼女はそういう行為が得意なのだ。
対してヘイムダルはいつもと違った。普段は分かり辛い表情が、今日は誰が見ても分かるほど困っている様子なのである。
(あ~、こりゃなんかあったな……)
自分が昨日考えたより、かなり悪い方向に行っていると思われる。
ロキはしょうがないな、と言う風に頭をかくと、沈黙したままの二人に向かって口を開いた。
「ヘイムダル。とりあえず何があったか順を追って話しなよ。セルリアも、それを聞いてから何を言うべきか判断すればいい」
その言葉に頷き、セルリアはまた一歩下がる。そしてヘイムダルはいつもの淡々とした声で、しかもかなり簡潔に今朝の状況を報告してきた。それこそ戦況を報告するような口調で。
その話を聞くごとに、ロキの顔にはまざまざと『アチャ~』と浮かび上がり。セルリアに関してはどんどんと表情をなくしていった。
「と、言うわけだ」
「……あ~、で? 君はセルリアに何を聞きにきたの?」
「セロシアの機嫌を直すには、どうしたら良いかと……」
「だってさ、セルリア。何を言う?」
主に問われて、セルリアはギッとヘイムダルを睨みつけ、こう言った。
「ふざけないでください!!」
ホールに響き渡る剣幕に、ロキはビクッと肩を跳ね上げ、ヘイムダルもほんの少し足を後方へずらした。
それを気にも留めず、彼女はつかつかと彼の前に進み出ると、その手をグイッと取る。
「私の手と、セロシアの手、どっちが熱かったですか?」
「……若干、セロシアの方が熱かったようだが」
そうヘイムダルが答えると、セルリアはやっぱり、と言った風に肩を落とした。
「熱があるんです。私達、神人は病気にもすぐかかるから。だるそうだったのだって風邪だからだし、気持ち悪そうだったのもそう! 目が潤んでたのもそう! でも最後のは少しだけ違いますっ。悲しかったんです、あの娘!」
セルリアはものすごく悲しそうに眉を落として、ヘイムダルを見上げた。
「ヘイムダル様が悪い方ではないのは知ってます。セロシアだって分かってる。でも、一生懸命やっていることに何の反応も返されなかったらどうですか? 自分の存在を否定されるようなことを言われたらどう思います? 誰だって、悲しいです……」
セルリアは胸を両手で押さえた。きっと痛いのだろう。双子だから、セロシアの痛みが伝わってきているのだろう、とロキは思った。
「私達には、もう帰る場所がありません……ここしか、ないんです。それなのに、そこにいる方に否定されたりしたら……。セロシアは人一倍強くて我慢もできるけど、その分とっても繊細で傷つきやすいんです。だから……」
セルリアは再び顔を上げると、さっきと同じ強い目でヘイムダルを睨んだ。
「迎えに行ってください! 人に聞かず、ちゃんと自分の言葉と行動を出してください! それで、それでも嫌なら面と向かってセロシアに言ってあげてください! これ以上そんな風にセロシアを傷つけるなら、私、ヘイムダル様だろうと許しませんっ。絶対許しません! 納得できないままなら、私も一緒に従者を辞めますから!!」
それだけ叫ぶと、セルリアは泣きそうになって駆けて行ってしまった。男性恐怖症もあるのに、ヘイムダルの手を掴んだのだ。妹の気持ちも相まって辛かっただろう。
その背が消えるのを待って、ロキはヘイムダルに視線を流した。
「君のことだから、風邪のことも気づいてたね。その上で、寒い門番の仕事じゃなくて室内仕事をさせようとしたわけだ」
「………………」
「あのねぇ、僕らは付き合い長いから、そういうのも分かるけど。セロシアはまだ二ヶ月だよ。コミュニケーションがからっきしダメな君の言葉から、裏の意味を汲み取るなんて芸当、できるわけがないじゃないか」
ホントにもう、と、呆れた溜息しか出てこない。根は優しいくせに、そういう肝心の行動がからっきしダメなのだ、この男は。
「時には、相手に伝わりやすい言葉にするのも必要なのさ。だからね、ヘイムダル」
ロキはヘイムダルの前に立つと、にっこり笑ってその胸元を掴みあげた。次の瞬間、その目をすうっと冷たく開く。
「とっととセロシア探して連れ戻して来い。んで、きっちり話し合って溝を埋めろ。俺んとこにまで波風起こしてんじゃねぇよ。セルリアまで出てったらどうなるかぐらい分かってんだろうな」
かなりドスの効いた低い声で告げれば、ヘイムダルはハァッと息をついた。
「もうたまにしか聞かなくなったな。その口調」
ポツリとヘイムダルがこぼすので、ロキはまたにっこり笑って手を離す。
「君がツッコミを入れなくなって寡黙になったように、僕も少しは変わったのさ」
こちらの笑顔に眉をしかめると、ヘイムダルはセルリアの去った方を見つめ身を翻した。
「ああ、でも言った内容は本当だからね。覚悟しときなよ」
かなり物騒な言葉を背にぶつけて、ロキは楽しそうに笑った。
セルリアは怒らせると怖いんです(笑)




