第四話 無双
大地が、震えていた。
風が止まり、鳥たちが空から姿を消した。
草原を走っていた馬車の馬たちが、突然、悲鳴のようないななきを上げる。
「な、なんだ……?」
御者の男が、手綱を握りしめた。
僕――ヴァラシーム・エレトは、馬車の窓から身を乗り出した。
そして、見てしまった。
地平線の向こう。
そこにいたのは、山と見間違えるほど巨大な岩の巨人だった。
全身は黒ずんだ岩石で覆われ、身体の隙間から赤黒い光が漏れている。
胸の中心には、巨大な魔力の核。
その一歩が地面を砕き、その腕が振られるだけで、森の木々(きぎ)がなぎ倒される。
さらに、その周囲には、何十体ものゴーレムが従っていた。
「まさか……ゴーレムの王か!?」
御者の顔が青ざめた。
ゴーレムの王。
数多の国を恐怖に陥れた、伝説級の存在。
通常のゴーレムでさえ、Bランクに分類される。
その強さは、第二次世界大戦の戦車二台分にも相当すると例えられるほどだった。
そんなゴーレムたちを従える王。
その強さなど、想像するだけでも恐ろしい。
「全員、逃げろ! 今すぐ逃げるんだ!」
御者が叫んだ。
乗客たちは荷物を放り出し、我先にと馬車から飛び降りていく。
しかし、僕は動かなかった。
いや、正確には――動けなかった。
怖い。
今まで戦ってきた魔物とは、明らかに違う。
あの巨体から放たれる圧力だけで、僕の本能が警告を発していた。
逃げろ。
今のお前では勝てない。
それでも、僕は拳を握った。
「……ここを通すわけには、いかない」
王都ランビリンスには、たくさんの人がいる。
商人も、冒険者も、騎士も、子供も。
もし、あの巨人が王都に到達すれば、何人の命が失われるのだろう。
考えたくもなかった。
「だったら……僕が止める!」
僕は馬車から飛び降りた。
「おい、坊主! 戻れ!」
背後から叫び声が聞こえた。
でも、もう遅い。
僕は両手を前に突き出し、魔力を解放した。
「物質操作――起動!」
地面が盛り上がった。
土砂が渦を巻き、岩石が集まり、巨大な腕と脚を形作っていく。
やがて現れたのは、全長十数メートルの岩石騎士。
僕の自作の魔法――土騎士だ。
「行けぇぇぇっ!」
土騎士が、地面を蹴った。
その巨体からは想像できない速度で接近し、ゴーレムの王の膝へ拳を叩き込む。
ドゴォォォンッ!!
轟音が草原に響き渡った。
地面が陥没し、砂煙が舞い上がる。
通常のゴーレムなら、これで体勢を崩せるはずだった。
だが――。
ゴーレムの王は、微動だにしなかった。
「……は?」
僕の口から、間抜けな声が漏れた。
効いていない。
いや、違う。
攻撃は当たっている。
それなのに、相手は一歩も動いていないのだ。
ゴーレムの王は、ゆっくりと僕の土騎士を見下ろした。
そして、腕を持ち上げた。
「待っ――!」
遅かった。
巨大な腕が横に振られた。
たった、それだけ。
たった一撃で。
僕が全力で作り上げた土騎士が、粉々(こなごな)に砕け散った。
岩石が空中を舞い、魔力の糸が次々(つぎつぎ)と切れていく。
僕の頭の中が真っ白になった。
「うそ……だろ……」
僕は八歳だ。
だけど、これまで努力してきた。
剣を振り、魔力を鍛え、能力を研究してきた。
魔力は二十八万。
剣は四十八本。
それでも、目の前の怪物には届かない。
ゴーレムの王が、僕を見た。
その目に感情はない。
ただ、目の前にいる小さな存在を、邪魔なものとして認識しているだけだった。
王の拳が、ゆっくりと振り上がる。
逃げろ。
頭の中で声が響く。
透明化を使え。
剣を飛ばせ。
地面を変形させろ。
何でもいい。
生き残れ。
けれど、僕の身体は動かなかった。
圧倒的な恐怖が、全身を縛りつけていた。
そして――。
拳が振り下ろされる。
一人の男が、僕の前に出た。
金髪。
青い瞳。
若く見える顔立ちに、落ち着いた雰囲気。
男は、ゴーレムの王を見上げた。
「……ずいぶん大きくなったものだ」
まるで、昔から知っている相手に話しかけるような口調だった。
次の瞬間。
男は一歩、前に出た。
そして――。
すぐに、後ろへ戻った。
「…………え?」
僕は目を疑った。
今、何が起きた?
男は前に出た。
それから、後ろに戻った。
本当に、それだけだった。
剣を抜いた様子もない。
魔法を使った様子もない。
攻撃の音すら聞こえなかった。
なんで?
何をしたんだ?
そう思った瞬間――。
ゴーレムの王の身体に、一本の亀裂が走った。
ピシッ。
小さな音だった。
だが、その音は、妙にはっきりと僕の耳に届いた。
次の瞬間、胸の核に亀裂が広がった。
腕が砕ける。
脚が崩れる。
頭部が傾く。
ゴーレムの王は、何もできなかった。
抵抗すらできなかった。
ドォォォォォンッ!!
巨大な身体が、大地へ崩れ落ちた。
土煙が空を覆い、周囲のゴーレムたちも、次々(つぎつぎ)と動きを止めていく。
王の魔力が消えたことで、配下のゴーレムたちも活動を維持できなくなったのだ。
静寂。
つい先ほどまで、世界を滅ぼしかねない存在がいた場所。
そこには、巨大な岩の山だけが残されていた。
ゴーレムの王は、死んでいた。
瞬殺。
文字通り、一瞬だった。
「…………は?」
僕は、口を開けたまま固まった。
今の、何だ?
あれだけ強かったゴーレムの王を?
この男が?
何もしていないように見えたのに?
「……なんで?」
思わず、声が出た。
男は、服についた砂を軽く払った。
「さて。これで少しは静かになるだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
僕は慌てて駆け寄った。
「今、何をしたんですか!?」
「何を、とは?」
「ゴーレムの王ですよ! あの巨大なゴーレムの王! 一瞬で倒しましたよね!? 武器も使わずに!」
男は、少し考えた。
「……ああ。あれか」
「あれか、じゃないですよ!」
思わず叫んでしまった。
だが、男は怒るどころか、小さく笑った。
「お前、面白いな」
その笑顔を見た瞬間、僕は不思議な感覚を覚えた。
怖い。
圧倒的に強い。
なのに、もっと知りたい。
どうやったら、あんなことができるのだろう。
僕も、あんなふうになれるのだろうか。
そのとき、背後から老人が歩いてきた。
白髪まじりの髪。
深い皺の刻まれた顔。
しかし、その目は驚くほど鋭かった。
老人は僕をじっと見つめた。
「……ヴァラシーム・シアンか?」
僕は驚き、老人を見返した。
「……はい」
老人は、ゆっくりとうなずいた。
「そうか。お前が、あの男の血を引く子か」
「え?」
あの男?
僕が振り返ると、金髪の男は、相変わらず穏やかな顔で立っていた。
老人は、その男へ視線を向けた。
「まったく……相変わらず、とんでもないことをする」
「そうか?」
「そうか、ではない。今の一撃、見ていた者が何人いると思っている?」
「数えていないな」
「だろうな……」
老人は深いため息をついた。
そして、僕に向き直った。
「よく聞け、少年。今のお方は、ただの強者ではない」
老人の声が、わずかに震えた。
「かつて、数多の魔物を討ち、国を救い、歴史に名を刻んだ――伝説の勇者だ」
伝説の勇者。
その言葉を聞いた瞬間、僕の心臓が跳ねた。
伝説。
勇者。
そして、目の前でゴーレムの王を瞬殺した男。
僕は、金髪の男を見上げた。
「……あなたは、一体、何者なんですか?」
男は、青い瞳を細めた。
「私か?」
そして、少しだけ笑った。
「お前の祖父だよ」
――時間が止まった気がした。
「…………は?」
僕は、もう一度、間抜けな声を出した。
祖父。
おじいちゃん?
この、若く見える金髪の男が?
あのゴーレムの王を一瞬で倒した男が?
僕のお爺ちゃんに当たる訳だ。
「本当かよ!?」
僕の叫び声が、草原いっぱいに響き渡った。




