【外伝15】モーターホーム
レースを終えた冬希は、ジャージから私服に着替えたいと思っていた。
ひとつには、チームキングプロサイクリングのジャージは、目立ちすぎるということがあった。袖や裾の蛍光オレンジは、他のチームや一部の市民レーサーたちの派手なオリジナルジャージと比しても、周囲の目をひくデザインとなっていた。そしてもうひとつとしては、ジャージを貸してくれたエミリオに、こちらにいるうちに返却をしておきたいという思いがあった。これが日本であれば、クリーニングに出して綺麗な状態で渡すのであろうが、日本に帰国してクリーニング後に郵送するとなると、その間に予備のジャージを使えない分、エミリオが余計に困ると思ったのだ。
裕理は、冬希がキングのジャージをエミリオから借りた経緯を聞いてなお、いいからすぐにバックレよう、と身も蓋もないワード選択で、その場を立ち去ることを主張した。その意見もわからないでもないと冬希は思うのだが、結局坂東からのTELの応対をさせられたことにより機を逸し、いま現状としてキングの選手やスタッフに囲まれて、逃げることもままならない状況にあるのだから酷い話である。
キングのチームカラーのポロシャツを着て、入構パスを首から下げた爽やかな30代ぐらいの男性が冬希の前に進んできた。
エミリオは冬希の肩に手を回してきた。
「JJ。冬希は素晴らしいレースをした」
JJと呼ばれた人物は、にこやかな表情を浮かべている。
「やあ、フユキ。非常にいい仕事をしてくれたね」
冬希は、一瞬の間をおいて、二人が何を考えているかを理解した。色々な情報をまとめて伝えようとしている。多少わざとらしい言い回しも、それを冬希たちに理解させるためのものなのだろう。
「ありがとうございます。JJ」
たった今、エミリオが遠回しに教えてくれた目の前の男の名前を、冬希は口にした。二人は周囲の目を気にしているのだと冬希は理解し、それに一旦乗ることにした。周りにいる人々からすると、勝利した選手を、アシストとスタッフが祝福しているようにしか見えないだろう。エミリオとJJ以外の選手、スタッフの表情が多少固いのが気にはなるが。
「君は表彰台に行かなければならないが、表彰式が始まる前に、チームバスで準備を使用ではないか」
冬希は、裕理を見た。表情は読めないが、何も意思表示をしないところをみる限り、何が何でも反対しようという意思もないのだろう。
「そちらの友人たちも一緒にどうぞ」
JJは、裕理と天野に向かって言った。
「ありがとうございます。ご一緒させていただきます」
天野が言った。裕理は、JJの英語が理解できているかどうかもあやしかった。
冬希たちが連れていかれたチームバスは、どちらかというとモーターホームといった作りとなっており、レース開始前に冬希が着替えを行った更衣室の先には、TVやソファーといった、ゆっくりとくつろげる空間が広がっていた。冬希たちは、奥に座るように促された。その場には、冬希ら3人の他に、JJ、エミリオだけがいた。キングの他の選手たちの姿は見えない。
「選手たちは今、クールダウンをやっているよ」
冬希は、心の奥を見透かされているようで、落ち着かない気分になった。
「私のは名前は、青山冬希といいます。こちらは坂東裕理、天野優一です」
「よろしく。私はJJだ」
JJは手を差し出し、冬希は握り返した。ところどころ手の皮の硬い部分がある。鍛えている人間の手だ。温和にして諂わず、優しい雰囲気を感じた。勝手にジャージを着用してレースに出たことを責められるかと思っていた冬希は、意外に思うと同時に、安心をおぼえた。
まず最初に言っておかなければならないことがある。
「我々はこれから、フランクフルト空港に向かい、今日中に日本に帰らなければなりません」
「飛行機の時間は?」
「正確なところは調べてみなければわかりませんが、夜の遅い時間です」
「なるほど、我々もフランクフルトのホテルで一泊する予定だ。車で一緒に送っていこう。2時間程度で着くだろう」
JJの言葉を天野に耳打ちされた裕理は、喜色を滲ませた。ひとレース走った後、ここから自走と、電車での輪行を組み合わせてフランクフルトまで帰るのは、なかなか辛いものがあったのは確かだ。
「素晴らしい勝利だったよ、フユキ。我がチームのジャージを着用して勝ってくれたことを誇りに思う」
「それについては、大変申し訳ありませんでした」
「責めるつもりはないんだ。事情はエミリオから聞いて知っている。まさか勝つとは思ってなかったという事も。ただ、貸した我がチームのジャージで勝ってしまう事で、君たちが懸念しているほど不利益があるかというと、そういうわけでもないんだ。このレースはジャージの着用に厳密なルールがあるわけではなく、同じチームの選手は同じジャージを着用する決まりにはなっているが、チーム外の人間が同じジャージを着用してはいけないという明確な規則があるわけではないからね。事実、ワールドチームのレプリカジャージを着用して出場している市民レーサーは少なくない」
「ライバルチームからの批判を受けたりはしないでしょうか」
「無いだろうね。今日のレースは、WCIポイントがかかっているわけではない。ちょっと格式の高い市民レースという感じのものだ。クレームをつけても周囲から馬鹿にされるだけだから、何も言ってこないだろう」
「安心しました」
「ただ、うちも積極的に波風を立てたいわけじゃない。君はエミリオがスカウトし、スポットでうちのチームで走った。そこはいいかな」
「貴方たちがそれで問題ないのであれば、異論はありません。大きな意味では、事実ですし」
JJは満足げに頷いた。それは彼が抱えていた課題の一つだったのだろう。
「そこでだ。君らがどういった人々なのか、私に教えてもらってもいいかな」
そこから年齢やレース経験、実績や所属しているチームについて質問を受けた。JJの英語は丁寧で、質問というよりほとんど世間話のようなやりとりであったため、冬希も話しやすかった。上手く聞き取れなかった場合や、冬希が言葉足らずになった時には、天野が補足をしてくれたため、冬希は非常に助けられていた。
「ありがとう。だいたいわかったよ。問題なさそうだね」
エミリオが立ち上がると、外にいたスタッフに何かを伝え、戻ってきた。手にはペットボトルの水が5本。
「我がチームの勝利が、いま確定したことになる。チームとして告知される」
冬希がキングの選手として走ったことを認めるまで、待っていた。それだけではなく、素性も問題ないかを確認して公表したかったということか。
ペットボトルの水が配られ、冬希も天野も手を付けた。裕理は出された焼き菓子を無心で食べ続けている。
「日本のジュニアのチャンピオンだったとはな。君の実力ならば、理解できる話だ」
「私は、ナショナルチャンピオンというわけではありません」
「だったら、国内選手権に出て優勝すればいい。出場する予定があるんじゃないか?」
冬希は、戸惑いながらも頷いた。確かに冬希は、インターハイの前に全日本選手権にエントリーする予定にはなってはいた。ただ、JJの真意を測りかねていたのだ。
「うちのチームで走ってみる気はないか、フユキ」
冬希は、JJの言葉を何度か頭の中で繰り返した。自分の英語のヒアリング能力に自信を無くしたのだ。それほどJJの言葉は意外だった。想像すらしていなかったといっていい。勝手にジャージを着用して出場したことを責められるのではないか、という思いはあったが、勧誘されるという事は、まったく考えになかった。
「私は、スプリンターとしての君を買っているのだ」
「チームキングプロサイクリングは、総合系のチームではないのですか」
続けたJJの言葉に、口をはさんだのは天野だった。
動揺している冬希の様子を見て、考える時間を稼いでくれようとしているのだと思った。天野の配慮に気づいたことで、冬希は少し気持ちを落ち着かせることが出来た。そして、自分が実際に勧誘されているという理解で正しいのだという事を、天野の言葉から理解も出来た。
「我々のチームは、総合系だけで勝負すると標榜しているわけではない。ただ、今までは、勝負できるスプリンターがいなかった、というだけの話だ」
「今日勝てたのは、そちらにいる天野のアシストがあったからです。展開が上手く嵌ったというのも大きいと思います」
「君は、私がスプリンターに必要だと思うものをすべて持っているように見えた。集団の中には、スプリントが出来ると自負している選手たちも、少なからずいただろう。だがフィニッシュラインを通過するまでに、クルーゼの前に出ることが出来たのは、君だけだった」
JJの話し方が、熱を帯びてきたように見えた。
「勝つ能力があっても、勝てない選手も多い。それは当たり前なのだ。大勢の選手が走る中、優勝者は一人しか出ないのだから。無論、その勝負強さだけが、君に声をかけている理由ではない。君のスプリントを見て私は感心した。強い自制心があり、爆発的な瞬発力があり、私が理想とするようなクリーンな動きだった」
「ありがとうございます」
言葉とは裏腹に、冬希の心は、高く評価された喜びよりも動揺の方が強かった。
最後にJJは付け加えた。
「我がチームは、今の格付けではプロチームだが、トップカテゴリのWCIワールドチームへの昇格を目指している。うちに入ることは、君にとってもエキサイティングな経験となるだろう」
冬希は、JJから視線を外し、エミリオを見た。小さく頷いた。
続いて、天野を見た。視線を落とし、考え込んでいるように見えた。
最後に、裕理を見た。焼き菓子を口いっぱいに頬張っていた。




