【外伝14】JJ
最後は、瞬発力の勝負になった。
レース終盤の厳しい上りを乗り越え、残った集団の中で一番優れた瞬発力を持っていた、というだけの話だと、冬希は思っていた。
最後まで勝ちを諦めずに行こう、と決めたのは、4名抜け出した選手のうち2名が、メイン集団に吸収された時だった。そのタイミングが、想像していたよりずっと早かったのだ。
天野と、どこまでやるかというについては、何度も話をした。
優勝すれば、面倒なことになるかもしれないという思いは、頭の片隅にはあった。だが、どうせ勝てるはずがないからと、考えるのを止めてしまった。
ゴールを目の前にすれば、どういうスプリントを行うかという事で、頭はいっぱいになっていた。
メイン集団内で最先着するよりも、その一つ先を走っているクルーゼというハーネの選手を目標にしていたので、最後までスプリントの脚は緩めなかった。
届いた。
ハーネの選手のペダリングには、すでに力がなかったのだ。エミリオとの争いが、それほど過酷であったのだろう。
ゴール後に天野と話していると、続々と参加者たちがゴールしてきた。その中には、冬希と同じキングプロサイクリングのジャージを着た選手も混じっていた。
「まずいな。逃げよう」
「本気で言っているのか、青山?」
冬希が黙ってうなずくのを見て、天野は小さな声でわかったと言った。
二人が荷物を置いてあるピットに向かうと、坂東裕理がいた。
既に私服に着替えており、恐らく1周か2周かで棄権し、自転車を降りていたのだろうと冬希は思った。こういう裕理の潔さについて、冬希はどこかで見習いたいと思っていた。
「冬希、兄貴から電話だ」
落とすなよ、と言いながら裕理は、スマートフォンを渡してきた。
「青山です」
「誰が勝てと言った!」
坂東のあまりの剣幕に、冬希はスマートフォンを取り落としそうになった。
冬希は、天野の方をみて、なんでキレてるの、と口の動きだけで問うた。
天野は苦笑しながら、さあ、という身振りでこたえる。
めまぐるしく思考を働かせるが、少なくとも勝って坂東に怒られるような理由は思い浮かばない。
フランスに連れていかれるとわかった時、実際に連れてこられたのはドイツではあったが、なんとなく坂東たちの仲間に自分を引き入れたいという思惑があるのか、という空気は感じてはいた。
だが、欧州のレースで優勝という実績を残して不都合なことがあるのだろうかというところがわからない。
「坂東、これ以降の決断は青山に任せよう」
電話の向こうから、郷田の声が聞こえてきた。
「俺もそうすべきだと思う。勝ってしまうのではないか、とは郷田だけがいっていたことだ。そもそも青山はこちらの事情にそこまで詳しいわけじゃない。それだけに、いろいろなものに惑わされず、ものの本質を見定められるかもしれない」
これは恐らく露崎だ。
「そういうことであれば、お前にひとつだけ言っておくことがある」
坂東がいった。冬希は黙って聞いている。
「目標を決めれば、そこが行きつく先になる。目標を持たずに目の前のことに対して最善を尽くし続ければ、思いのほか遠くへ行けることもあるし、目の前の事だけで終わることもある」
「はぁ」
「お前がやったことは後者だ。勝負の時には鋭いが、大きな流れを見つめるような眼で見渡しているわけではない。それが今のお前だ」
そこで電話が切れた。
坂東の言葉は、冬希に決して小さくはない引っかかりを残した。
レースが終わった。
ゴールラインを通過して少し走ったところで、エミリオはバイクを止めた。
集団に飲み込まれてのゴールとなった。自分の順位もわからないほどだ。
だが、そこは問題ではなかった。
終盤、クルーゼとのマッチアップで敗れた。崖をおちるように一気に呼吸が苦しくなり、ついていけなくなった。
振り返ってみて、どこが不味かった、というところは無かった気がする。
認めたくはない。だが、それは力負けしたことを意味していた。
目の前に、フランク・ブランデルがやってきた。このレースの勝負を自分に預けてもらったにもかかわらず、勝つことが出来なかった。エミリオは、とっさにフランクの顔が見れなかった。
「エミリオ、レースの事は一旦いい。あの勝った若者のことをJJに説明しよう」
JJというのはチームディレクターのことで、ファーストネームがユルキ・ユハニというが、英語圏の人間には発音が難しいため、JJと呼ばれている。
「そうだな」
「お前が俺に話してくれた部分に関しては、俺から説明してもいい」
フランクの優しさに、なんと返せばいいのか、エミリオにはわらなかった。
ピットウォールにJJの姿があった。
息を切らしている。怒っている、というより慌てているようにエミリオには見えた。
「フランク、説明してもらえるだろうか。勝ったのはうちの選手なのか」
「簡潔に言うと、エミリオが気まぐれでジャージを貸した男が優勝した、ということだ」
簡潔すぎる、とエミリオは思ったが、JJは少し考えた後、フランクのいった意味を理解したように見えた。
「エミリオの知っている選手だから、ジャージを貸したというわけではないのか」
「はい、今日初めて会いました」
「実力を知って、貸したというわけでもないのだな」
「ジャージがなくて困っているということだったので、予備を貸しました」
「わかった、お前が声をかけて、うちのチームのジャージを渡したという事だな。エミリオ」
JJの言い方が、どこか引っかかった。
「何を考えている、JJ?」
「エミリオが、アタックしたクルーゼのチェックに入った。脚を使わせ、最後はうちのジャージを着たスプリンターが勝った」
さも事実かのようにいっているが、そんなわけがない。
フランクも驚いた表情をしている。
「何をいっているのだ」
「会長がたいそうお喜びなのだ、フランク」
「レースを見ていたのか」
「ああ、スポンサーと一緒に、ライブ中継を見ていたらしい」
「それで」
「ああ、よくやったと」
「引っ込みがつかなくなったのか、JJ」
JJは、ばつの悪そうな表情を見せた。
「俺は、クルーゼと正面から戦い。負けました」
エミリオは、たまらず口をはさんだ。
「実力の優劣については、仕方がない。戦ってはじめてわかることだ。勝つ準備をしてベストと思われるメンバーを選び、送り込んでも、負けることはある。だがそんな中で、結果としてうちのチームのジャージを着用した選手が勝った。しかも、気まぐれで渡したという。これは天啓という以外に考えられないと私は思うのだ」
エミリオは理解した。
JJはこの状況を最大限に利用したい、と言っているのだ。
「彼は、いくつだ、エミリオ?」
「おそらく16歳です」
「思ったよりずいぶん若いが、16歳以上であれば問題ないな」
「おい、JJ。なにを考えている」
「ことが後先になるが、チームの一員だという事になれば、すべての辻褄はあう」
「チームに入れるメンバーは、厳選しているではないか。あの選手はおそらくアジア人だぞ」
「日本人です」
エミリオは、恐る恐る口をはさんだ。
「日本人!結構じゃないか、フランク。ワールドチームで走る日本人もいる」
「いくらなんでも若すぎる。いま最年少でもエミリオなのだぞ」
エミリオは、JJの目の奥に鋭さのようなものが増したように感じた。
「考え方が、まるで逆だな。フランク、いいか、16歳でニュルブルクリンクを勝てるような選手が、どこで見つかる。どこを探せばいい」
「JJ」
「先ほども言ったが、そんな選手が、偶然にもうちのチームのジャージを着て、レースに出てくれたのだ。我々にとって、そんな偶然がありうるか?」
「しかし、勝ったのがまぐれだということもありうるぞ」
「私はあのスプリントをまぐれだとは思わないがね。まだ興奮しているよ。もしチームで走らせて実力が足りないとわかったなら、それまでの話だ。そういう選手が今までにいなかったわけではない。むしろそういうことの繰り返しだっただろう?」
「それはそうだが」
「フランク、私の仕事は、たくさんの砂をすくいあげ、その中から砂金をみつけるようなものなのだ。いまやらなければならないことは、この場で検討を重ねることではなく、いち早くあの選手にコンタクトを取り、話をつけることなのだよ」
エミリオは、JJのマネージャーとしての側面を初めて見た気がした。そして、フランクがなにかをこたえる前に、冬希が走り去った方向へバイクを向けて走り出した。




