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ある日朝の訓練から戻ってくると、シゼルが唐突にこんなことを聞いてきた。
「ご主人様は日々平穏がモットーとおっしゃりながら、何故毎日訓練を欠かさないのですか?」
「何故って聞かれてもねえ・・・習慣だからかな? はじめは単に緩んだ体を鍛えたいからって理由だったけど、その内にスローライフをおくるうえで、厄介ごとから身を守るためにはある程度の力が必要かな~と思って何となく続けている感じかな」
改めて何故と問われると「何となく?」としか答えようがないおっさんである。
「ですが、1ヶ月前はご主人様が自ら厄介ごとに首を突っ込んでおられたようですが?」
「グサっ!」、おっさんの胸に見えない鋭い刃が突き刺さる。アリシアとセレスの件に関しては返す言葉もございません。あれは森の入り口でバッサリ切り捨てなかった、おっさんの甘さが原因です。
「ご主人様は甘さ甘さと仰いますが、その甘さは実は優しさだったりするのではないのですか?」
シゼルが優しさとか言い出したぞ。急にどうしたの? どこか具合でも悪いのだろうか?
「優しさ? いやいやないない。おっさんの主成分は日々平穏で、半分が優しさとかではないから」
どこぞの頭痛薬でもあるまいし。
「ところでご主人様は「甘さ」と「優しさ」の違いをご存じですか?」
「いや、知らないけど」
「そうですか。私も知りません」
えー今の会話の流れは知っているから振った感じだったじゃん。知らないんかい! 微妙に違いが気になるじゃないか。
シゼルの方をそんな念を込めて凝視していると、 シゼルはおっさんの方に振り向いて一言。
「私も気になるので調べておいて下さい。違いが判明したら私にも教えてくださいませ、ご主人様」
それってメイドさんのお仕事なのでは? まあ、自称メイドだから良いのか。
「話題を変えますがご主人様。手っ取り早く戦闘能力を向上させたいのでしたら、非常に良い方法がありますよ」
おっさん別に強くなりたいワケではないのですが、そんなに良い方法があるのなら是非教えてもらいたい。でも・・・そこはかとなく嫌な予感がするのは何故だろう。
「ちなにみだけど、どんな方法なの?」
シゼルがキッチンで作業しながら一言。
「私がご主人様をマンツーマンで鍛えるのです」
「はい却下」
もちろん秒で却下ですよ。おっさんはスローライフを目指しているので、まだ死にたくありません。あとおっさんドMではないので、わざわざ自分から痛い思いをする性癖は持ち合わせていません。
「一度も咀嚼して飲み込まずに、何故口に入れる前に却下なのですか?」
独特の表現を使用して、おっさんがシゼルの意見を秒で却下したことに対して若干の不満を述べる。
「いや、考えるまでないでしょう。鍛えるまでもなくシゼルの一撃でおっさんは宇宙の塵になるじゃん」
おっさんが秒で却下した理由を伝えると、シゼルはキッチンから首を回して顔だけこちらに向けてまたもや一言。
「死ですか、それなら問題ありません。私が一時的にご主人様に「不死」のスキルを付与しますので、これで憂いはなくなりました。問題は解決です」
何も解決してないから。「不死」だろうと結局は痛みは感じるだろうし、意識は飛ぶし本来なら死んでいたはずの攻撃を受けたという記憶と恐怖は、心と体にしっかり刻み込まれるじゃん。トラウマになるわ。
マンツーマンで鍛えられたら、「シゼル=トラウマ」という構図が出来上がるよ。まあ、今でもすでにトラウマレベルの存在ですけど。
「問題大有りだからね。一旦冷静になろう。そもそもなんで急におっさんをシゼル自ら鍛えるなんて言い出したワケ? 何か理由でもあるの? あ、それとスキルって他人に付与できるの?」
シゼルほどの存在が何の理由もなくおっさんをわざわざ鍛えるなんて・・・一体どんな理由があるのか。あー考えるだけで胃が痛い。まるで会社でのプレゼン前夜みたいだ。胃薬は・・・まだ作ってなかったか。そうだよな、異世界に来てからが胃痛とは無縁だったしな。
そんなことを思いながら、アイテムクリエイションで元の世界で愛用していた胃薬を再現作成する。はあ~また胃薬との長い付き合いが始まるのかな。久しぶりだな、またよろしくな胃薬。
「理由ですか、本当に聞きたいのですか? 真実を知る覚悟がありますか?」
何その言い回し。おっさんを鍛えることがそんなに重要な案件なの。物凄く聞きたくないけど、おっさん自身にかかわることだからな・・・どうせ知るのなら早い方が良いや。よし、いくぞ。
「聞きたくないけど、そんなに重要なことなら遅かれ早かれ知ることになるだろうから今聞くよ」
決意を込めた目でシゼルに告げる。
「そうですか・・・良い覚悟です」
シゼルは水で濡れた手をタオルで拭きながら、おっさんの前にやって来た。
「ゴクン」と緊張で喉が鳴る。背筋を正してその時を待つ。
「私が退屈だからです。それとスキルは他人には付与できません。私だから出来る芸当です」
そっか、やっぱり他人にスキル付与は出来ないのか残念・・・で、はあ? おっさんの聞き間違いかな? 今「退屈だから」とか言わなかった?
あれだけ思わせ振りな前ふりしといて「退屈だから」って、酷くない?
「えーとおっさんの聞き間違いでなければ、「退屈だから」って言った?」
もしかしたらおっさんの聞き間違いの可能性があるので、念のため確認する。
「聞き間違いではありませんよ。私が退屈だからです」
え~マジですか。あなたの退屈しのぎにおっさんの生命を危険にさらすのは止めてください。
おっさんの心の内などつゆ知らず、シゼルは続けざまに言い放つ。
「私の退屈しのぎをしつつ、か弱いご主人様を同時に鍛えられるのです。我ながら非常に名案だと思うのですが、いかがですか?」
この人(?)ヤバイよ。自分の意見が完全に間違っていないと信じきってるよ。気づいて! あなたのご主人様の生命を危険にさらしている時点で、その意見はアウトだから。
「シゼル、あのね・・・」
おっさんが致命的な間違いを指摘しようと、口を開こうとすると・・・
「そうと決まれば善は急げです。早速退屈しのぎに参りましょう」
おっさんの言葉を最後まで聞くことなく、手に持っていたタオルをテーブルに置くとシゼルはこれから着替えようとしているおっさんの首根っこを掴むと、問答無用で引きずり始める。
「シゼル! ちょっと待って。最早抵抗しても無意味ないのは理解しているけど、まだ心の準備が・・・それとおっさんはどこに連れていかれるの?」
おっさん自身、驚くほどに冷静かつ諦めが良い。人間諦めが肝心な瞬間が人生で何回かはあるものです。これがそのうちの1回であることは確実だな。
おっさんの問いかけにシゼルは一度歩みを止めて、こちらに振り返る。
「心の準備ですか? 問題ありません。訓練をすぐに始めればそんなことは直ぐに解決です。それとこれからどこに行くかでしたか」
おっさんの首根っこをガッチリと掴んでいる手とは別の手を空中にかざすと、突如目の前に扉が現れる。
何の変鉄もない赤色に少しピンク色が混じったような扉だ。アレ? この扉はまさか・・・
「ねえ、シゼル。おっさんの記憶が確かならこの扉はドラ○もんのどこ○もドアなんじゃ・・・」
シゼル程の超越的存在が国民的アニメからまさかのパクりですか!? おっさんの当然の疑問に対してシゼルは・・・
「違います。これはシゼルのどこだかドアです」
うん、パクったんだね。メイド関連の話をしたときも感じたけど、シゼルは異世界のサブカルチャーが好きなのかな? そうなら素直にそう言えばいいのに。
「うえ!」
おっさんの首根っこを掴んでいる手に力が込められる。照れ隠しにしては随分と乱暴だな。
「ギイイ・・・」という古びた扉が開くような擬音とともに、どこだかドアが開かれる。ドアの内部は闇のような漆黒一色だった。
シゼルが再びおっさんの引きずるを再開する。「あ~れ~」とおっさんはこういう状況に相応しいであろう台詞を言ってみる。
抵抗は無意味とわかっているけど、同じ部屋にいるみんなに助けを求めるような視線を送ってみる。
結果は・・・全敗でした。以下に詳細を書いておきます。
①熊師匠は仁王立ちをして、深く頷いています。
②虎鉄と小雪は、物悲しげな遠吠えをしていた。まるで今生の別れを告げるような・・・止めて~!
③ノーライフキング先生と蜘蛛お嬢は、白いハンカチを振っている。
④デュラちゃんとセレスは、楽しそうに手を振っている。少なくともセレスはこれからおっさんの身に何が起こるのか、理解していないだろうな・・・
⑤アリシアは・・・オロオロしてるね。いつも通り。
為す術もなくおっさんはどこだかドアの内部に連行されていく。
ドアが閉まる直前にシゼルがみんなに一言。
「1日で戻りますので、家事や雑務をお願いします」
シゼルの言葉を聞いたみんなが力強く頷く。見事なユニゾンですね。
そしてとうとうドアが閉まる。その後、おっさんの行方を知るものは誰もいなかった。
嘘です。1日でちゃんと戻ってくるからね~




