両親への感謝
イザベルのモノローグです。
パティスリーの入り口へとトコトコと歩いていくアンドレの背中を、助手席の窓越しにイザベルは見送っていた。
運転席に一人残った彼女は、さっきまでかけていたスタイリッシュなサングラスをゆっくりと外し、助手席のダッシュボードの上にそっと置く。サングラスの奥から現れたのは、アンドレとお揃いの、少し灰色がかった優しく美しいヘーゼルの瞳だった。彼女はハンドルに両手を軽く添え、小さく息をつきながら、さっき弟から聞いた父親の言葉や家族との思い出を心の中で静かに反芻し始めた。
――父さんがクロードに、「イザベルはいつもアンドレの面倒を見ていて、将来アンドレと結婚するんじゃないかと心配していた」なんて酔っ払って話しとったなんてねぇ……。母さんも、クロードに「ありがとう」って感謝してくれてたんやなぁ。
その言葉をきっかけに、イザベルの脳裏に広がるのは、遥か昔の子供時代のエピソードだった。
彼女が8歳の時、待望の弟であるアンドレが生まれた。当時の両親は共働きで仕事が非常に忙しく、必然的に年の離れた長女であるイザベルが、小さな母親代わりとしてアンドレの面倒を見ることが多かった。
幼稚園の送り迎えや、小学校への登下校。イザベルはいつも小さなアンドレの手をしっかりと引き、横を歩かせて見送っていた。
近所の人たちからは「まぁ、イザベルちゃんはお姉ちゃんなのに本当によく弟の世話をするわね、えらいねぇ」と声をかけられ、学校の先生からも「お母さん代わりとして、いつも弟くんを優しく支えてあげて素晴らしいですね」と何度も褒められた。
その言葉をかけられるたび、イザベルの胸の中は温かい誇らしさと喜びでいっぱいになったものだった。
(――「イザベルちゃん、すごいね!」「しっかり者で頼もしいね!」って大人たちに言われるのが、子ども心にめちゃくちゃ嬉しかったなぁ……。自分がしっかりせなあかんって、自然と思えるようになったんやから)
ふっと口元に笑みを浮かべたイザベルの表情は、やがて少しだけ真剣なものへと変わっていく。ここから先、彼女の思考と心の中の声は、自然と故郷であるベルギー・ワロン地方のあたたかな訛りへと染まっていった。
(――でもな、父さん、母さん。ウチはな、自分の青春を台無しにされたなんて、一度たりとも思ったことはないで。学校ではちゃんと仲のええ友達もおったし、放課後は一緒に遊んだりおしゃべりしたりして、青春の思い出だってちゃーんと楽しかったんやから。それに、アンドレが生まれた時は、ほんまにめっちゃ嬉しかったんやで。忙しかった二人に代わってアンドレの面倒を見たのも、親孝行のつもりやったし、何よりウチが可愛い弟を守りたかったからやねんから)
窓の外を見ると、アンドレがお目当てのお菓子を真剣な顔で選んでいる姿がガラス越しに小さく見える。
その頼もしい横顔を見つめながら、イザベルの瞳が優しさと誇らしさで潤んだ。
(――今な、アンドレは大好きな女の子のために、めちゃくちゃ男らしくなろうと頑張っとるところやねん。そんなあの子の背中を見守るんは、お姉ちゃんとして、そしてあの子をずっと育ててきた保護者としても、最高に嬉しいことやわぁ……)
イザベルはハンドルから手を離し、自分の胸にそっと手を当てた。ふわりと柔らかく微笑んだその横顔には、かつての「しっかり者のお姉ちゃん」から、すべての愛を受け継いだ大人の女性の美しさが満ちていた。
(――父さん、母さん、聞いてるか? ウチはな、今ほんまに幸せやで。娘として、妻として、そして母親としても……これ以上ないくらい、最高に幸せやねんから)
心の中にいる両親へそっと語りかけながら、イザベルは愛おしそうに微笑み続けるのであった。
イザベルのモノローグを読んで皆さんはどう思いましたか?




