それぞれの家族の反応
1. モロー家の反応
寮の門限である19時の少し前、部屋に戻ったアンドレは制服のブレザーを脱ぎ、スマートフォンを手に取った。普段はメッセージのやり取りばかりで、自分から通話をかけることはほとんどない。少し緊張しながら姉の番号をタップし、耳に当てた。
コール音が二回鳴ったところで、勢いよく通話が繋がった。
『もしもし、アンドレ!? どうしたの、あなたから電話なんて珍しいじゃない! まさか寮で何かトラブルでもあったの!?』
受話器の向こうから、いつものように心配性と元気の良さが入り混じったイザベルの声が飛び込んできた。
「いや、トラブルじゃないよ。……あのさ、姉ちゃん。今度の土曜日、姉ちゃんの家で友達と一緒に勉強したいんだけど、大丈夫かな?」
『えっ? 友達って……』
「前に話したセシルだよ。ほら、俺に勉強を教えてくれてるって言ってた。姉ちゃんにも紹介したいし……それに今日、本屋で参考書と一緒に絵本を買ったんだ。エマ、動物が好きだっただろ? お土産に渡したいなと思って。土曜日、迷惑じゃなかったら行ってもいい?」
一瞬の静寂の後、受話器から鼓膜が破れそうな歓声が響き渡った。
『きゃあああっ! もちろんよ、大歓迎に決まってるじゃない!! え、あのセシルちゃんがうちに来てくれるの!? アンドレ、よくやったわ! 本当に!? 土曜日は朝から腕によりをかけておもてなしの準備をしなきゃ! ケーキも焼くわ、部屋もピカピカに掃除しておくからね!』
「ちょ、姉ちゃん落ち着いてよ……! ただ勉強しに行くだけだからさ。じゃあ土曜日の午後に行くから。切るよ!」
アンドレは圧倒されて苦笑いしながら通話を終えた。
一方、リヨン市内にあるモロー家。
リビングで電話を切ったイザベルは、頬を紅潮させてその場で小さく足踏みをしていた。キッチンからグラスを片手に戻ってきた夫のクロードが、不思議そうに声をかける。
「イザベル、アンドレ君からの電話だったみたいだけど、どうかしたのかい?」
「クロード、聞いて! アンドレがね、今度の土曜日にあのお友達の女の子……セシルちゃんをうちに連れてくるって言うのよ!」
「へえ、あのセシルさんを! それは楽しみだね。アンドレ君もすっかり打ち解けてるみたいでよかった」
ソファのカーペットの上で大きな動物図鑑を開いていた三歳のエマが、母親のただならぬ興奮に目をパチクリとさせて見上げた。
「ママ、どうしたの? なんでそんなにうれしそうなの?」
イザベルはエマの前にしゃがみ込み、その小さな肩を優しく抱きしめた。
「エマ、今度の土曜日にね、アンドレおじさんが遊びに来てくれるのよ!」
「あんどれ……おじちゃん?」
エマが小さく首を傾げる。アンドレがリセの寮に入ったのはエマがまだ物心つく前だったため、エマの記憶の中にはアンドレの存在がはっきりと残っていなかったのだ。
「そうよ。ママの弟で、背が高くてすっごく優しいおじさんよ。エマが大好きな動物の絵本をお土産に持ってきてくれるんだって!」
「どうぶつのえほん!? わあ、エマ、おじちゃんにあいたい!」
初めて会う優しい「アンドレおじさん」とプレゼントの絵本に、エマは瞳をきらきらと輝かせて両手をパチパチと叩いた。
そんな妻と娘の微笑ましい姿に目を細めつつも、クロードは苦笑いを浮かべながら、舞い上がるイザベルにそっと釘を刺した。
「イザベル、喜ぶのはいいけれど……くれぐれも『未来の義妹』だとか、変な詮索や先走ったことはその子に言わないであげてね? ふたりは純粋に勉強しに来るんだから、恥ずかしがらせちゃ可哀想だよ」
「わ、分かってるわよ! さすがにそんなこと言わないわ……たぶん!」
「『たぶん』かい?」
穏やかな夫のツッコミに、イザベルは照れ隠しに笑い声をあげ、モロー家のリビングは一足早く温かな期待に包まれていた。
2. サルヴェール家の反応
一方その頃、サルヴェール家のダイニングでは、美味しそうな夕食の匂いとともに家族の賑やかな声が響いていた。
デザートのタルトをつまみながら、セシルが「実はね、今度の土曜日、アンドレのところで勉強することになったの」と切り出した。
サルヴェール家の面々にとって、アンドレといえば「セシルに理数科目を熱心に教えてくれている、面倒見の良い同級生の男の子」という認識だ。
「そうか、いつもお世話になっているアンドレ君のところか。ご家族がいらっしゃるなら、くれぐれも失礼のないように挨拶するんだぞ」
とお父さんがナプキンを置きながら穏やかに諭し、お母さんも「そうね。きちんとお邪魔しますって言うのよ」と頷いた。
厨房の片付けを終えてテーブルについた兄のフレデリックが、腕組みをしながら頼もしく口を挟む。
「おいおいセシル、まさか手ぶらで行く気じゃないだろうな? 人の家に上がるなら、手土産のひとつでも持っていくのが礼儀ってもんだぞ」
「うん、もちろん何か持っていこうと思ってたよ」
セシルが頷いたその時、隣でお茶を淹れていたナナミが、ふと目を丸くして首を傾げた。
「……あれ? ちょっと待って。アンドレ君って、たしかベルギー出身の人じゃなかったっけ? ……まさかセシルちゃん、土曜日にベルギーまで行くの!?」
「えっ……!?」
ナナミのその一言に、お父さんもお母さんも、そしてフレデリックも一瞬にしてピキリと固まった。リヨンからベルギーへ日帰り、あるいは高校生が一人で隣国まで行くのかと、家族全員の頭に一気に疑問符と警戒アラートが点滅する。
家族の慌てように、セシルは吹き出しそうになりながら両手を振った。
「違う違う! ベルギーまで行くわけないでしょ! 行くのはアンドレのお姉さんの家よ。アンドレはコレージュの時にフランスに来て、リセに入るまではずっとリヨンのお姉さんの家で暮らしていたの。だから、市内のお姉さんの家に行くんだよ」
「な、なんだ……リヨン市内か! びっくりさせやがって……!」
国境を越えるわけではないと分かり、両親とフレデリックは揃って胸を撫で下ろした。
特にフレデリックは、妹が信頼できる友人と切磋琢磨していることが誇らしいようで、すぐに破顔してセシルの肩をポンと叩いた。
「よしよし、なら安心だ! 苦手な数学も頑張ってんだからな。しっかり教えてもらって、いい点取ってこいよ、セシル!」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
その横で、ナナミの瞳がきらりと輝いていた。
パティシエールを目指す身として、手土産と聞いて職人の血が騒がないはずがない。
「手土産なら任せて! せっかくだから、私が気合を入れて美味しい手作りのお菓子を焼いて持たせてあげる! ……あ、セシルちゃん、お姉さん一人なの? ご両親も一緒に来るの?」
ナナミがエプロンのポケットからメモ帳を取り出さんばかりの勢いで身を乗り出すと、セシルは嬉しそうに答えた。
「旦那さんと、三歳くらいになる小さな娘さんがいるって言ってたよ。アンドレのご両親はベルギーにいるから。ご両親は来る予定はないよ。」
「旦那さんと三歳の女の子ね! 小さいお子さんがいるなら、お酒や香辛料は使わずに、バターの香りが優しくて子どもでも安心して食べられる焼き菓子がいいかな。よし、最高の詰め合わせを考えるね!」
腕まくりをしてメニューを考え始めるナナミと、それを頼もしそうに見守る家族たち。温かい応援を背に受けて、セシルは週末がますます待ち遠しくなるのだった。
約束も決まったところで次の章に行きます。次回の章は木曜日と金曜日と約束の前日までの四人の学生生活を描いていきます。なお、四人の楽しい学生生活の裏では違う動きも発生して、今後の展開に重要な伏線となっています!




