可愛い激励の言葉
プジョー308GTから降りたアンドレは、2週間ぶりに戻ってきた実家の空気を吸い込み、ふぅっと深い安堵の息をもらした。しかし、その気の緩みをイザベルが逃すはずもなかった。
「おい、アンドレ。何ホッとした顔をしてるんや。ここを、セシルちゃんのお家だと思って練習する場所やからね。気を引き締めなさい!」
イザベルはサングラスを外し、キリッとした表情で車を降りた。アンドレも慌てて後に続き、一緒に玄関へと向かう。
玄関前に立つと、イザベルはさっそく実践的な指導を始めた。
「いいか、まずはインターホンの押し方からや。指先で上品に1回。そしてドアが開いたら、相手の目を見て明るくハッキリと『こんにちは、アンドレ・ランベールです。お招きいただきありがとうございます』と挨拶する。靴を脱ぐ時は相手に背中を向けすぎず、上がった後にきちんとしゃがんで両手で靴のつま先を外側に向けて綺麗に揃える。……見本は見せた。次はあんたの番や、やってみなさい」
その時だった。
「ただいまー!」と、元気な声が響き渡った。
イザベルがスマホを確認すると、夫のクロードから「エマのお迎え完了しました」というメッセージが届いていた。幼稚園から帰ってきたばかりの、娘のエマだ。
大好きな姪の姿を見つけたアンドレは、思わず「おっ、エマ! 幼稚園楽しかったかー!?」と普段の調子で大きな声を上げかけてしまった。だが、イザベルはすぐに厳しく制止する。
「アンドレ、そこは『エマ、おかえり』と落ち着いた声で優しく微笑む場面や。あんたがエマのことを可愛がっているのは分かっている。でもな、普段からちゃんとした振る舞いを身につけておかないと、いざという本番でできるわけがない。それに私は、将来この子が大きくなった時に、自慢の素敵な叔父さんとして話してあげたいんや。これはあんたの姉としての願いでもあるし、あの子の母親としての強い願いでもあるんやからね」
その言葉にアンドレはハッとし、背筋を伸ばした。
直後、イザベルの表情がふっと緩み、優しい母親の顔に戻った。彼女は標準フランス語に切り替え、愛しい娘のもとへと駆け寄る。
「おかえり、エマ。良い一日だった?」
しゃがみ込んだイザベルに抱きついた後、エマは玄関にいるアンドレを見つけて手を振った。
「アンドレおじちゃんだ!」
「ああ、エマ、おかえり……って、おほん。エマ、おかえり。今日も幼稚園頑張ったね」と、アンドレは先ほどの姉の教えを思い出して、落ち着いた優しい声で挨拶を返した。
イザベルはエマの頭を優しく撫でながら、微笑みかけた。
「エマ、聞いて。アンドレ叔父ちゃんは今からママと一緒に、とっても大事なお勉強をするの。パパが仕事から帰ってくるまで、一人でお部屋で待つことになるかもしれないけれど、大丈夫?」
すると、3歳のエマは健気にしっかりと頷いた。
「うん、だいじょうぶだよ! お部屋には動物図鑑も、動物さんたち(ぬいぐるみ)もたくさんいるから、ひとりで遊んでるね。……アンドレおじちゃんも、ママとのお勉強、がんばってね!」
その無邪気で優しい言葉を受けて、イザベルは愛おしそうにエマを力強く、そして優しく抱きしめた。
――その小さな背中と姪の言葉に触れ、アンドレの胸にも熱いものが込み上げてきた。セシルやその家族に胸を張って会えるよう、そして自慢の優しい叔父さんでいられるよう、ここで絶対に完璧なマナーを身につけてみせる。アンドレは改めて心の中で固く決心をするのであった。




