気持ち(ハート)による意思疎通(コミュニケーション)
火曜日の午前、リセの教室には軽快なチョークの音が響いていた。壇上に立つのは、ロンドン出身の英語教師リチャード・ブラウン先生だ。ツイードのベストに柔和な笑顔を浮かべ、授業はいつものように完全な英語で進められている。
「Now, everyone! Let's talk about our weekend plans!(さあ皆さん! 週末の予定について話しましょう!)」
ブラウン先生が手をパンと叩き、教室を見渡した。
「Who wants to go first? Any volunteers? How about you, Mr. Charbonier?(誰が最初にいきますか? 自発的に話す人は? ……シャーボニア君、どうですか?)」
指名されたルイ・シャルボニエは、琥珀色の髪を揺らしながら臆することなく立ち上がった。教科書は机の端に押しやられ、ペンすら握っていない。
「アイ……ゴー! ウィークエンド、ヴィーン! ガガガッ……パーツ、チェンジ! カチッ!」
ルイは両手でハンドルを握る真似をしたかと思うと、次はスパナを握って何かを締め直すように手首を激しくひねり、全身でバイクのエンジン音を真似してみせた。文法も単語の並びもめちゃくちゃだったが、その表情は真剣そのものだ。
教室からドッと笑いが起きる中、ブラウン先生は大きく頷き、満面の笑みで拍手を送った。
「Brilliant! Your grammar needs a little work, Mr. Charbonier, but your passion to communicate is absolutely magnificent!(素晴らしい! 文法には少し手を入れる必要がありますが、伝えようとするその情熱は実に素晴らしいですよ、シャーボニア君!)」
先生はルイの『ハート』をしっかりと受け止めて満足そうに笑うと、最前列の席へ視線を向けた。
「Miss Russi, could you please explain to everyone in the class what he just tried to say?(ルッシさん、彼が何を言おうとしていたのか、クラスの皆に説明してくれますか?)」
指名されたマリア・ルッセは、黒髪のボフヘアーを軽く払って立ち上がった。冷静な灰色の瞳で一度ルイをジトッと見つめ、小さくため息をつく。
「I understand, Mr. Brown.(わかりました、先生。)」と英語で返答した後、フランス語でクラスメイトたちにルイが言おうとしていることを通訳した。
『彼は今週末、スクーターの壊れたキャブレターを自分で解体して、新しい部品に交換したいそうです』」
マリアの完璧な通訳に、クラス中から感嘆と笑いが漏れる。ルイは「ほら見ろ、通じてる!」と誇らしげに胸を張り、アンドレは隣の席で目を丸くして笑いを堪えていた。セシルもくすくす笑いながら、楽しそうにマリアとルイの掛け合いを見守っている。
「Excellent summary, Miss Russi! Thank you!(見事な要約です、ルッシさん! ありがとう!)」
ブラウン先生の陽気な声が教室に響き、穏やかで活気のある時間が流れていった。
チャイムが鳴り響き、ブラウン先生が「Have a wonderful day, everyone! (皆さん、素敵な一日を!)」と陽気に手を振りながら教室を出ていくと、張り詰めていた空気が一気に解けた。
「ふう……ブラウン先生の英語、相変わらず早かったな。それにしても『ミスター・ランベート』って誰のことかと思ったら、俺のことだったよ。一瞬返事に迷った」
アンドレが苦笑しながら教科書を閉じると、セシルも隣で小さく笑った。
「ふふ、私もよ。『ミス・サルヴェイル』って呼ばれて、自分の名前だと気づくのに三秒くらいかかっちゃった」
「だろ? 発音が全然違うよな」
「おいおい、お二人さん! 先生の英語なんてパッションで受け止めりゃいいんだよ、パッションで!」
琥珀色の髪を揺らしながら、ルイが二人の机にひょいと腰掛けるようにして割り込んできた。アンドレと同じ174センチの背丈を丸め、人懐っこい笑顔を浮かべている。アンドレ独特のベルギー・ワロン地方の訛りなど、ルイにとっては最初から毛ほども気にならない様子だった。
「ようアンドレ! 明日の水曜の午後さ、授業ないだろ? 駅の裏にあるスクラップ屋に付き合えよ。すげえバイクのパーツが入荷したらしいんだ!」
「えっ……いや、ルイ、悪いんだけど明日は先約があるんだ。用事があってさ」
アンドレがすまなそうに断ると、ルイは「えーっ、先約? 部活もねえのに誰とだよ?」と目を丸くした。
「ルイ、そこまでにしなさい」
すかさず背後から冷静な声が飛んだ。黒髪のボブヘアーを揺らし、ノートを抱えたマリアが灰色の瞳でルイをじっと見据えている。
「アンドレは明日、忙しいの。あんたの油まみれのガラクタ漁りに付き合ってる暇なんてないわよ」
「ガラクタとは心外だな! 男のロマンだぞ、マリア!」
「ロマンより、あんたは明日提出の英語のワークシートを埋めなさい。……アンドレ、気にしなくていいわよ。セシルから聞いてるから。明日、ふたりで買い物に行くんでしょ?」
マリアがさらりと言い放つと、セシルは「あっ、マリア……!」と顔をぽっと赤くした。アンドレも少し気まずそうに、しかし嬉しそうに首筋をかく。
「へえー! なんだよ、アンドレはセシルとお出かけか! 抜け駆けだな〜!」
ルイがニヤニヤしながらアンドレの肩を小突く。アンドレは苦笑いしながら「別に抜け駆けじゃないって。ただ、街でちょっと探したいものがあって、セシルが案内してくれるんだ」と返した。
「ほらルイ、騒がない。邪魔しないの。……さ、セシル、今のうちにさっきの授業のノート整理しちゃいましょ。あやふやなところ、復習しとくわよ」
「う、うん! お願い、マリア」
セシルはマリアの隣にノートを広げ、ルイの冷やかしから逃れるようにペンを走らせ始めた。文法をテキパキと解説するマリアと、真剣にペンを握るセシル。その横でルイは「冷たいな〜」と肩をすくめつつも、アンドレに向かって楽しそうにウインクを投げていた。




