正しいルールの使い方
午前中の授業が終わり、昼休みを告げる鐘が鳴ると、アンドレ、セシル、ルイ、マリアの4人は中庭のベンチへと集まった。朝はクラス中の騒ぎもあって詳しく話せなかった、日曜日のモルヴァン先生との面談の全容を共有するためだ。
「朝は処分がなかったってことしか言えなかったけど、実は先生と寮の規則について細かい再確認をしたんだ。俺自身、勘違いしていた部分がたくさんあってさ」
そう前置きすると、アンドレは鞄から一冊の薄い冊子を取り出した。濃紺の表紙には金文字で校章と『学生寮生活規則』と刻まれている。通学生のセシルたちにとっては初めて見るものだった。
「まず基本として、寮生が敷地を出る時は事前に『外出届』を出さなきゃいけない。そして、どんな理由があっても遅くとも19時までには戻らなきゃいけないんだ」
「で、土曜日は勉強に熱中しすぎて、その19時に間に合わなくなっちゃったわけだな」とルイが腕を組んで頷く。
「そうね。だからお姉さんが寮に直接電話を入れて、夜間の安全面を考慮してアンドレを一晩泊めると申し出てくれたのよね」とマリアも朝聞いた話を整理した。
「ああ。それで、規則の第15条には『外泊』についての規定がある。寮に帰らず外部で宿泊する場合は外泊扱いとなり、事前の許可が絶対に必要だ。言うまでもなく、勝手に泊まれば無断外泊として重いペナルティが科される。……ここまでは俺もしっかり頭に入っていたんだ。だから土曜日、門限を破って外泊になるって分かった瞬間、目の前が真っ暗になってパニックを起こしてしまった」
アンドレは苦笑しながらページをめくり、ある条文を指差した。
「でも、俺が処分を受けずに済んだ本当の理由は、この次の第16条にあったんだ」
三人はアンドレの指先に視線を落とし、フランス語で印刷された条文をじっくりと読み込んだ。
Article 16 : Procédure de dépôt de la demande de découchage
1. Tout élève interne souhaitant bénéficier d'un découchage doit impérativement soumettre le formulaire prévu à cet effet. La demande doit comporter les mentions suivantes :
(1) La date du découchage et l'horaire prévu pour le retour à l'internat.
(2) L'adresse complète du lieu d'hébergement.
(3) Le nom, la qualité et les coordonnées de l'adulte responsable ou de l'hébergeur.
2. La demande de découchage doit, en principe, être déposée au plus tard la veille. Toutefois, en cas de circonstances exceptionnelles et indépendantes de la volonté de l'élève justifiant une demande le jour même, la décision relève de l'appréciation du directeur de l'internat ou des maîtres d'internat.
(第16条 外泊届の提出手続き
1. 外泊を希望する寮生は、所定の用紙により外泊届を提出しなければならない。外泊届には、次の事項を記載するものとする。
(1) 外泊日および寮への復帰予定日時
(2) 外泊先の住所
(3) 同宿する保護者等または受け入れ先の氏名および連絡先
2. 外泊届は、原則として前日までに提出しなければならない。やむを得ない事情により当日の提出となる場合、寮長または寮監の判断を仰ぐものとする。)
「これ、読んでどう思う?」とアンドレが問いかけると、3人はすぐに第2項の文章に目を留めた。
「『原則として前日まで』……だけど、『やむを得ない事情による当日の提出は、寮長たちの判断を仰ぐ』……!」セシルが小さく声を上げる。
「そうなんだ」アンドレは頷いた。「モルヴァン先生は、今回の件をこの第16条第2項の適用範囲だと判断してくれたんだ。形式上は事前の用紙提出がない無断外泊の形になってしまっているけれど、決して規則を軽視して破ったわけじゃない。実の姉という確かな保護者から即座に連絡が入ったこと、19時の門限に間に合う交通手段が物理的になかったこと、そして夜遅い時間帯に未成年者を一人で移動させるのはあまりに危険だという判断。それら全てを考慮して、学校側が『やむを得ない緊急避難的な外泊』として承認してくれたんだ」
「なるほどな! ちゃんと逃げ道というか、突発的なトラブルのための例外規定が用意されてたわけだ」
ルイが膝を打つと、アンドレはさらに言葉を続けた。
「それに、面談の時にセシルと一緒にいたことも包み隠さず話したんだ。そうしたら先生は、セシルが成人した姉ちゃんの監督下にいたこと、そして帰りも姉ちゃんが車で家の近くまで責任を持って送り届けたという点を確認して、『それなら何の問題もないし、規則違反にも当たらない』と断言してくれたよ」
「えっ、ちょっと待てよ?」ルイが首をかしげる。「生徒同士で一緒にいたこと自体が問題になるかもしれないって、寮ではそれすら禁止されてるのか?」
すると、マリアが知的な灰色の瞳を光らせ、即座に説明を引き継いだ。
「寮というより、学校全体の校則の話よ、ルイ。一般的に全寮制や進学校の規則では、保護者の同伴や正式な許可なしに『生徒同士だけで外泊したり、お互いの家やホテルに泊まり合ったりすること』は厳格に禁止されているの。理由は明確よ。未成年同士では万が一の事故や火災、あるいは近隣との金銭・生活トラブルが起きた時に責任が取れないし、何より犯罪に巻き込まれるリスクを未然に防ぐためだわ。だからアンドレは、セシルを巻き込んでその規則に抵触したと見なされるのを恐れていたのね」
「そういうことか……大人から見れば当たり前の防犯対策だな」ルイも納得の表情を浮かべる。
「ああ、マリアの言う通りだ」アンドレは深く息をつき、静かにページをもう一枚めくった。「でもね……俺が一番ひどく勘違いしていて、学校中で歪んだ噂になっていたのは、この次の『第17条』なんだ」
アンドレは『学生寮生活規則』の冊子を指で押さえ、第17条のページを三人に向けた。
「俺も改めて読んで本当に驚いたんだ。面談の時、モルヴァン先生から『この条文を読むまで、君は保護者とは誰のことだと思っていましたか?』って聞かれてさ。俺、それまでは父親か母親じゃなきゃ絶対にダメなんだと思い込んでいたんだよ」
そう前置きして、アンドレはフランス語で記されたその条文を示した。
Article 17 - Définition des « représentants et tuteurs légaux »
1. Au sens du présent règlement, l’expression « représentants et tuteurs légaux » désigne les personnes majeures assumant la responsabilité civile et la garantie de l'interne, parmi les catégories suivantes :
(1) Les parents ou tout autre tuteur légal.
(2) Les frères et sœurs majeurs.
(3) Les grands-parents.
(4) Les oncles et tantes.
2. Même s’ils appartiennent aux catégories susmentionnées, les mineurs ne peuvent en aucun cas être reconnus comme tels.
3. Lorsqu’il s’avère nécessaire de désigner une personne n’appartenant pas aux catégories précédentes, une dérogation individuelle peut être accordée sur décision conjointe du responsable de l’internat et du chef d’établissement.
(第17条 「保護者等」の定義
1. 本規則において「保護者等」とは、寮生の民事上の責任および身元保証を引き受ける成人であり、次の各号に掲げる者をいう。
(1) 両親またはその他の法定後見人
(2) 成人の兄弟姉妹
(3) 祖父母
(4) おじ・おば
2. 前項各号に該当する場合であっても、未成年者はこれを保護者等と認めることはできない。
3. 前各号に該当しない者を指定する必要がある場合は、寮長および校長の合意による個別判断に基づき、例外措置を認めることができる。)
「みんなは『保護者』って聞くと、真っ先に誰を思い浮かべる?」
アンドレが尋ねると、ルイは「そりゃ親父かお袋だろ」、セシルも「私も普通に両親のことだと思っちゃう」、マリアも「法的な後見人か、責任能力のある成人の親を想起するのが一般的ね」と答えた。
「だろ? モルヴァン先生も『この規則の保護者を、ただの父親や母親のことだと勘違いしている寮生が非常に多い』って言っていたよ。この条文を読んでみてくれ」
3人は並んで条文に目を通し、それぞれの視点から感嘆の声を上げた。
「うわ、マジだ! 第1号の両親だけじゃなくて、成人の兄弟姉妹、祖父母、おじ・おばまで全部入ってるじゃん!」
ルイが目を丸くして指をさす。
セシルも青い瞳を輝かせ、胸を撫で下ろすように息を吐いた。
「本当ね……! 成人しているお姉さんなら、第2号に完璧に当てはまるわ。第2項で『未成年は不可』ってきっちり釘を刺しているからこそ、成人のイザベルさんが連絡してくれたことの正当性が際立つわね」
マリアは知的な灰色の瞳を細め、第3項を指先でなぞりながら感心したように呟いた。
「非常に合理的で完成された法的枠組みだわ。第1項で親族の範囲を現実的に広く定義しつつ、第3項で『親族以外の第三者』であっても、寮長と校長の個別承認があれば例外を認める裁量の余地を残している。硬直化しがちな寮規則の中で、極めて柔軟かつ生徒の安全を守るために機能しているわ」
「そうなんだ」とアンドレは頷いた。
「俺の場合、9月の入寮手続きの時はベルギーから母さんが来てくれたから、書類上の登録保護者は母さん一人になっていたんだ。でも日曜日にモルヴァン先生がベルギーの実家に国際電話をかけて確認を取ってくれた。そこで母さんから『リヨンに成人した実の姉がいる』という言質が取れたことで、学校側も姉ちゃんを正規の『保護者等』として正式に認定してくれたんだ」
そしてアンドレは、モルヴァン先生から教わった「学校がここまで保護者の定義を広く設定している理由」を三人に明かした。
「この学校の寮生って、俺みたいに外国から来ている奴や、国内でも遠方から来ている生徒がほとんどだろ? 親にだって仕事や日々の都合がある。もし保護者を『親だけ』に限定してしまったら、緊急時に親と連絡がつかなかった場合、事態が手遅れになって大問題に発展してからしか大人が把握できなくなるリスクが高いんだ。それに、さっきマリアが触れてくれた第3項も重要でさ。家庭環境の事情で身近に親族がいない生徒の場合、保護者の定義がガチガチだと、週末の外出や一時的な外泊の許可すら下りなくなって孤立してしまう。だから学校は、生徒の安全を確保しつつ生活を縛りすぎないために、あえてここまで受け皿を広げているんだってさ」
その説明を聞き、3人は深く感じ入った様子で表情を引き締めた。
ルイは深く感心したように腕を組み、唸り声を上げた。
「すげえな……! ただ規則で生徒を縛り付けるためじゃなくて、遠くから来てる俺たちみたいな生徒が孤立したり、連絡が取れなくて危険な目に遭わないための『安全ネット』だったんだな! 俺、寮の規則って生徒を縛るためのものだと思ってたぜ」
セシルも安堵と尊敬の入り混じった眼差しで頷いた。
「本当にそうね。親が遠くにいても、近くにいるお姉さんやおじさん・おばさんが守ってくれるなら、生徒も安心して学校生活を送れるもの。規則って、冷たく処罰するためのものじゃなくて、生徒を守るために作られているんだってよく分かったわ」
マリアは静かに頷き、その灰色の瞳に深い納得の色を浮かべた。
「ええ。保護者を親だけに限定しないのは、危機管理の鉄則である『連絡網の冗長化(バックアップの確保)』よ。親族がいない生徒に対する第3項の救済措置も含めて、この規則は本来、生徒一人ひとりの現実に寄り添った素晴らしいセーフティネットとして設計されているわね。」
三人の的確な反応に、アンドレは力強く頷き、この規則が全校生徒に正しく知られるべき時が来ているのだと、改めて実感していた。
マリアが冷静な面持ちで「……それだけに、こんなによくできた規則が、どうしてあんな『異性の立ち入り禁止』だの『即退学』だのという、歪んだ恐怖の噂にすり替わって広まってしまったのか……そちらの闇の深さを感じるわ」
そう呟き終えた、まさにその瞬間だった。
「――それはいずれ明らかになるわ」
静まり返った中庭の空気を切り裂くように、どこかから凛とした声が降ってきた。
低く落ち着いていて、どこか涼やかな響きを持った声。それは、ベンチに腰掛けているアンドレ、セシル、ルイ、マリアの誰のものでもなかった。
「……えっ!?」
セシルがびくっと肩を跳ねさせ、青い瞳を丸くして周囲を見回した。
ルイは「うわっ、誰だ!?」と大声を上げながら勢いよく立ち上がり、植え込みの陰をキョロキョロと見回す。
マリアは知的な灰色の瞳を鋭く細め、声が届いた方角へと即座に視線を走らせた。
アンドレもまた、息を呑んでベンチから身を起こし、その声の主を探した。
四人が目を向けた先――回廊の影から、一人の女子生徒がちょうど歩み去っていく後ろ姿があった。
風にふわりとなびく、美しいアッシュブロンドのロングヘア。
無駄のないすらりとした長身と、背筋の完璧な伸び。まるでランウェイを歩くトップモデルのような洗練された佇まいでありながら、同時に一切の隙を感じさせない軍人のような堂々とした歩幅で、彼女はその場を静かに後にしていた。
その少女――ベアトリス・ロシュフォールは、少し前からアンドレたちの近くを通りかかり、彼らの会話に静かに耳を傾けていたのだ。
特に、アンドレが規則の第17条を開き、保護者の定義について友人たちへ的確に解説していた場面を、彼女は確かに聞き届けていた。
(……悪くない理解力ね)
四人のやり取りを背中で聞き届けたベアトリスは、微かに満足そうな気配を漂わせていた。
彼らが規則の本来の意図を正しく掴んでくれたことで、無知が生む無用なトラブルという一つの懸念は、ひとまず払拭されたと言える。
だが、依然として横たわっている最大の火種――「学生寮に異性を招き入れたら即刻退学になる」という、全校を覆う悪質な都市伝説。
先週金曜日、彼女自身が寮の事務室に乗り込んで直談判した際、モルヴァン先生をはじめとする教員たちは「今週中に職員会議の議題として正式に上げる」と約束してくれたはずだ。
回廊を歩きながら、ベアトリスのディープブルーとバイオレットが混ざり合う神秘的な瞳が、決意を秘めて鋭く輝いた。その秀麗な口角が、微かに、そして不敵に持ち上がる。
一方、中庭に残されたアンドレは、遠ざかっていくアッシュブロンドの後ろ姿をまじまじと見つめながら、小首をかしげていた。
「……あの後ろ姿、どこかで見たことがあるような気がするんだけど……どこだったかな……」
「アンドレ、知り合いなのか?」とルイが尋ねるが、アンドレは「いや、名前までは思い出せないんだ」と首を横に振るばかりだった。
去っていく彼女こそが、体力測定でセコンデ(高校一年生)女子の総合第1位にその名を刻んでいた「ベアトリス・ロシュフォール」その人であるとは、この時の4人はまだ知る由もなかった。
去っていく女子生徒の背中が回廊の角へ消えていくのを、アンドレは腕を組んだままじっと見つめていた。
「うーん……どこで見たんだろう……絶対にどこかで見覚えがあるはずなんだけどな……」
記憶の引き出しをいくら引いても、肝心の場面が霞がかって出てこない。
※ 実は土曜日の朝、寮の受付で外出簿に名前を記入する際、アンドレのすぐ目の前でペンを走らせていたのが彼女だった。だがその時のアンドレは、セシルとの初めての待ち合わせに遅れまいと極度に緊張しており、前の生徒の後ろ姿がおぼろげに視界に入った程度で、記憶に定着していなかったのだ。
「まあ、少なくとも俺たちのクラスメイトじゃないのは確かだな」
ルイが確信に満ちた口調で言った。
「あんなモデルみたいに背が高くて、アッシュブロンドの髪が目立つやつが同じ教室にいたら、俺が見落とすはずねぇもん。絶対に別のクラスだろ」
マリアは顎に指を添え、知的な灰色の瞳をわずかに細めた。
「ええ、ルイの観察は珍しく的を射ているわ。他クラスのセコンデか、あるいはプルミエール(高校二年生)以上の先輩でしょうね。それに、今のあの一言……『それはいずれ明らかになるわ』という口ぶり。単なる通りすがりの独り言にしては確信に満ちていたわ。まるで、私たちが話していた寮規則の真相や、学校がひた隠しにしている裏事情のすべてを最初から把握しているような響きだった」
「裏事情……」
セシルは少し不安そうに青い瞳を揺らし、去っていった回廊の方を振り返った。
「なんだか、すごく堂々としていて隙のない人だったね。でも……怖い人なのかな?」
すると、ルイがいつものように肩をすくめ、からっとした笑顔を見せた。
「いや、敵意がある感じじゃ全然なかったろ! むしろ『お前ら、よくそこまで気づいたな』って上から見守られてたような気すらしたぜ。まあ、正体は謎だけどさ、彼女の言う通り『いずれ分かる時が来る』んじゃないか? ここでいくら頭を悩ませても答えは出ないしさ!」
「ふふ、それもそうね」
ルイのあっけらかんとした物言いに、セシルも思わず笑みをこぼして肩の力を抜いた。
「確かに、ルイの言う通りだわ。今あれこれ推測しても時間の無駄ね。昼休みのうちに予習の確認を終わらせましょう」
マリアも手帳を閉じて気持ちを切り替える。
「……そうだな。思い出せないってことは、大したことじゃないのかもしれないし」
アンドレも頷き、規則の冊子を鞄へとしまった。
今朝、事務室の机に並べられていた外出名簿で自分のすぐ上にあった名前のことや、モルヴァン先生たちが「真実を全校生徒に明かす」と決意していた大人の対話など知る由もないアンドレは、友人たちと共に午後の授業に向けてベンチを後にした。
活動報告を書きましたので下記のリンクも参照お願いします。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/3070834/blogkey/3720981/




